古代ローマの女たち――ある種の行動の祭祀的にして神話的な起源 (平凡社ライブラリー く 16-1)
- 平凡社 (2006年2月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (152ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582765687
作品紹介・あらすじ
学識と遊戯性に満ちた特異なエロティスム論。バハオーフェンの母権論の紹介を導入に、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』やアウグスティヌスの『神の国』に見られる異教的祭礼に関する記述に拠りながら、古代ローマの頽廃ぶりを、神話的世界が見世物的世界に転じてゆく過程として素描する。作者の想像的世界の自註とも読める奇書。「フレデリック・トネールのユディット像」を併録。
感想・レビュー・書評
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祭祀と宗教的儀礼を、古代ローマ時代に発展したエロティスムの見世物的性格の源泉として考察する、一風変わったエロティスム論。エロティスムが行き着くところまで発展していくと、神話的主題は祭祀の場から解放され、見世物が取り扱う題材となる。それが世俗化し、個人的なものに変容していくと倒錯的エロティスムとなる。
公の場でのエロ、広く大衆に向けて発信されるエロってさらに歴史を下っていくと面白そう。現代では個人的なこととして秘匿されるか、広告宣伝等の場でうまくエロをまぶすか、という扱われ方になってくるけれど、もっとオープンに、国の政策等に利用されるエロは今にない発見がありそう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古代ギリシャ前期ぐらいの、原始的な性と祭祀との結びつきから説き起こし、古代ローマにも引き続いて現れた、一見「腐敗的な」性文化を分析している。
若い頃はバタイユの方が好きだったが、歳をとってみると、クロソフスキー(クロソウスキー)の得体の知れなさの方が面白いと感じる。クロソフスキーはなかなかに厄介だ。彼の得体の知れなさは、武田泰淳の文学世界がもつ不気味さと通じるものがある。これは概念的には説明しきれない。
この本に出てくる(古代ローマ時代の)「見世物」というキーワードは、そういえば、ギー・ドゥボールの「スペクタクル」とつながっている。見世物、演劇、つまり「場所」と「みんな」とに向けて主体を記号化して開示すること。ここには人類文化の根源的な何かがある。 -
性生活に深い執着を持つわたしには救いとなる書物だった。
山田恵理香さんに演劇にしてもらいたい!
Mahalo