技術への問い (平凡社ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582768008

感想・レビュー・書評

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  • 「技術への問い」「伝承された言語と技術的な言語」のみ読了。訳は、原文に忠実であろうとしているせいか、読みづらかったが、後者の論文を読めたのは良かった。サイバネティクスに触れた論文と言われているが、AIの話題が絶えない現在では、言語と技術について論じているという観点から興味を持てた。(実際、サイバネティクスの印象はあまりなかった。)

  • ハイデガーの技術論集。現代の科学技術が単なる手段ではなく、人間をも徴用する制御不可能な力としてあることを指摘する。古代ギリシアにおける技術テクネー概念との比較により、現代技術が形而上学から近代哲学までつながる「計算可能性から自然を捉える視点」にあることを示し、その危険性を「集立」「命運」などの概念から説明する。思索はこの問題に解決をもたらすわけではないが、単なる手段ではない、危険を熟考することの必要性を強調している。
    ・技術への問い
    普通、人は技術を目的のための手段、つまり因果関係における中立的なものとして考える。因果における原因は、古代ギリシャでは「責めを負うこと」として捉えられていた。それは単なる作用原因ではなく、誘発である。その働きは生み出すこと、ポイエーシス(こちらへと前へともたらすこと)。この働きはまた真理を現わすことでもある。現代技術においては、自然に対する挑発である。自然を用立て、用象bestand在庫とする。人間も用立てられる、その要求するものを集立Ge-stellと名づける。近代物理学は、現代技術の本質の先駆者である。集立が用象へと導く、派遣する働きを命運と名づける。命運に隷属するのではなく、傾聴(命運を受け入れ、自分や物の固有性を見逃さない)するのであれば人間は自由になれる。テクネー技術は、古代ギリシアでは芸術も表した。技術の真理を開蔵する(暴く)本質は芸術である。たんなる美学ではなく、救うものへの道として。
    →数的に処理せず、固有名として扱うこと。資本主義・人口統計学的生権力と実存や、公私の対立としても読める。
    ・科学と省察
    「近現代科学は現実的なものの理論である。」その本質はプラトン以来の哲学に基づく。
    現実的なもの=働いているもの。現実性wirklichkeit。働くwirken=行うことは、古代ギリシアでは、ピュシス自然の行いを含めたテシスこちらへと前へともたらすことだった。→ポイエーシス創作と同じ論法
    この働きは、作用(efficere実現,effectus結果)ではない。ギリシア語ergon働きを、ローマ語訳経由でactio作用→actus現実となった。因果性は、数学的時間計測だ。続いて結果として起こるものが、現実的で確実な事実となった。現実的なもの=対象gegenstandとなる。対象性gegenständilichkeit。
    理論theorieの語源は、テオリア観照。その動詞テオーレイン注視するは、テア外観、ホラオー注視の二つを根語としている。テオリアは有用性によらない最高の行為。ラテン語訳はcomtemplariとされたが、templumは分割、どのような地点も見ることのできる場所。さらにドイツ語訳はbetrachten観察、鑑賞。trachtenは処理すること、捕らえることnachstellen。ある特定の科学領域の対象gegenstandとすることで理論として規定できる。対象は測定可能でなければならない。科学の手続きは計算である。原子物理学は、自然という対象ではなく、理論の中の対象領域として処理するため、主観客観を越えた関係性が支配する。
    "対象性は集立から規定される用象の用象性へと変化する。"
    計算可能かどうかが重視される。自然の現前と自然への理論適用は不可避だが、科学は対象性により固定された領域のみしか扱えない。→現実=因果法則、理論=測定可能な範囲のルール、とすると「近現代科学は現実的なものの理論である」ということ意味が変わる。
    精神医学は現存在、史学は歴史、文献学は言語を対象とするが、それぞれ学的に対象を絞って理論化する。科学は、その科学の言葉でその科学について語ることはできない。不可避的なものを「目立たない事態」と名づける。常に見過ごされる。
    "省察は、科学のなす意識させることと知ることとは別の本質をもつ。それは教養とも別の本質をもつ。"
    教養は不変の理性を強要する。省察は「役に立たないものの光輝」をもち、時代状況の呼びかけに応答する。
    "省察が必要なのは、応答としてである。"
    ・形而上学の超克
    形而上学→科学=技術的な知→ナチスへの批判。
    形而上学が過去のものになった場合、乗り越えられたものとして存在し続ける。
    形而上学的な人間=理性的動物は、労働する動物として確立された。意志への意志が意志できるのは無価値の無である。そのうちに労働する動物は自らを絶滅させる。
    形而上学において、近代的デカルト的自我は、主観が最初の対象である。存在者性は対象性。
    認識論はカント超越論的哲学、対象の存在論だが、認識作用や科学の理論として誤解したのが記号論理学。
    形而上学は、ヘーゲル精神の意志・絶対知で、完結が始まる。「意志への意志」の現実性の規定はされたが、現実にはなっていない。
    形而上学は西洋の宿命。意志への意志は存在よりも存在するものが優越する。
    形而上学の超克は、存在するものが固有性を奪い去られる出来事である。ニーチェ的な感性の優位による形而上学批判は形而上学の内部に留まる。
    意志への意志は命運を拒み、非歴史的な算定と整備によって、存在するものの存在の顕示性を割り当てる。それを技術と呼ぶ。これは完結した形而上学である。
    ニーチェは、形而上学の「生の高揚に対する心理学的陶酔」を批判し、高揚の上昇を重視した。上昇、つまり力への意志は計算する理性の無制約的支配であり、意志への意志の手前の段階である。
    意志への意志は、真理(存立確保、技術)と芸術(衝動の過剰性、無思慮、体験)を整備する。この真理は原初的本質は失われ、正義となる。
    "正しいものは真なるものに打ち勝ち、真理を除去する。"
    意志は無目的に計算し、力の確保以外なにも考慮しない。カントの実践理性に兆しが見られる。
    意志への意志は一方向で一様な世界。任務を与えることで秩序を保ち、力に支配される。非命運、存在から見放される。ニヒリズムの存在歴史的本質である。
    存在するものの消費、人間の動員、目的喪失による濫用。全てを対象化し、固有の働きのない非世界となる。戦争は平和に至り着くようなものではない。指導者は濫用するものを算定し、超人たる直感力、野獣性を解放する。
    大地の目立たない掟は「可能なもの」によって保護するが、意志は大地に「不可能なもの」を強いる。「固有化の出来事」が人間本質を呼び求め、死すべき者を思索、詩作、建築の道にもたらす。
    ・伝承された言語と技術的な言語
    言語、技術、伝承の概念の思索。
    荘子を引いて、有用性(実用)と無用性(事物の意義)を説く。役に立たないものは無用ゆえに持続する。役に立たないものへの洞察は、あらゆる教育学的実践的熟慮を常に至る所で規定するような視野を開きうる。
    技術…調整と制御、サイバネティクス、人間的道具的な通俗観念である。古代ギリシア語テクネーは技術における知を表す。現代の命題、量子物理学マックスプランク「現実=測定」は、エネルギーの挑発に繋がるが、測定可能なものとして自然を立てることだ。技術が科学から発展したのではなく、むしろ科学が技術の一変種。技術の支配が制御できなくなっているとすれば、単なる道具的な目的手段観念ではない。人間もまた挑発されている。
    言語…通俗観念では、言語は交換手段→情報、記号。モールス信号の様な有無の二項対立の伝達技術となり、一義性によって規定される。言うことは現出させること。詩の多義性はプログラムできない。サイバネティクス創始者ノーバートウィーナー「全世界への命令=全世界での存在、活動的=適切な情報、学ぶ=フィードバック、人間と機械が言語を分かち合う」、これは言語が単なる記号発信、報告にされるという前提が必要。自然言語に対する一義性の限界。言語と人間の関係を脅かす危険。
    伝承された言語…自然的、技術化されざる日常語。母国語の授業は、単なる一般教養ではなく、危険と救うものへの省察の一種。
    ・芸術の由来と思索の使命
    アテネ学芸アカデミーにおけるギリシア芸術の起源、サイバネティクス批判について。
    テクネー=制作に関する知、見に見え耳に聞こえるようにさせること。古代ギリシアでは、職人に助言し明るくすることは女神アテーネーによるものだった。ピュシス自然、自ずから現れるものもアテーネーの現前性に含まれる。芸術はピュシスに応答し、テクネーと属した領域にある。
    現代的自然は科学技術の世界になった。ニーチェがいう科学的方法とは算定可能性である。極限はサイバネティクスによる制御が根本にある。制御は情報のフィードバックの性格を持ち、人間の主観の働きかけと客観世界の関係を規定する。生化学、生物物理学がその基礎となる。生命的なものは胚細胞ということになる。主観が客観世界に関連づけられる。
    →フーコー人口統計学、ドゥルーズ器官なき身体
    科学は実存を奪う。産業社会において芸術は、固有な使命に対して閉鎖されている。科学技術的な計画と製造では打破できない。必要なことは原初へ立ち戻り熟考することである。

  • 12月新着
    東京大学医学図書館の所蔵情報
    https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_search/?amode=2&kywd=4311487898

  • アンドリュー・フィーンバーグの同名の書籍が面白かったのでこちらも手を出してみたが、比べ物にならないほど難解で、一応最後まで読み通してはみたが、断片的にしか理解できなかった。
    とにかく用語が独特で、[集-立:Ge-stell]、[開蔵:Entbergen]、[不伏蔵性:Unverborgenheit]など、ドイツ語併記されているのが辛かった。たぶんある程度ハイデガーを読み込んでないと頭に入ってこなさそうだが、そこまでしないと思うので、そっと頁を閉じておしまいにする。
    本書は、ナチス政権時代の責任を問われ干されていたハイデガーが復帰した際の「講演」録だというが、当時の人は耳からきいて分かるレベルだったんだろうか。

  •  科学は現実的なものの理論である。(中略)知の近代的なあり方の画期的性格はけっして弱められてはならない。むしろまったく逆なのである。近代的な知の際立っているところは、ギリシア的に経験された知の本質のうちではなお伏蔵されたままにとどまっているが、ギリシア的な知にたいして別の知になるためには、ほかならぬギリシア的な知を必要とするというような動向を、決定的に作り上げたことに存するのである。(pp.70-71)

     問いつつ、熟慮しつつ、そのようにしてすでにともに行動しつつ、われわれが刻々経験している世界的震撼の深みに応答することを今日あえて実行するひとは、われわれの今日の世界が現代科学の知識欲によってくまなく支配されていることに注目するにちがいないが、それだけではない。そのようなひとは、いま存在するのはなんであるかということについてのあらゆる省察(Besinnung)が芽生え、そして成長するのはただギリシアの思索者と彼らの言葉と対話することによってそうした省察がわれわれの歴史的現存在の根本に根を下ろす場合だけであるということをも、なによりもまずよく考えているにちがいない。(pp.71-72)

    ある対象領域の探求は、その研究にさいして、その領域に帰属する諸対象のそのつど特別な性格に精通しなければならない。そのように特別なものに精通することが、専門科学のなすところを専門研究にする。それゆえ、専門家はけっして現代科学の無分別な退化あるいは頽落減少ではない。専門化はおよそ避けることのけっしてできない災いなのでもない。それは現代科学の本質からのひとつの必然的な帰結なのであり、つなり積極的な帰結なのである。
     対象領域の境界を画すること、対象領域を専門分野に限定することは、諸科学をばらばらに引き裂くのではなく、むしろそれらのあいだの境界での交流をはじめて生ぜせめ、そのことによって境界分野を際立てる。これらの境界領域から生じてくるのは、新たな、しばしば決定的な問題設定を呼び起こす、特有の衝撃力である。人びとはこの事実を承知しているが、その理由は謎のままにとどまっている。現代科学の本質全体が謎であるのと同様に。(pp.93-94)

  • 「技術は、技術の本質と同等のものではない」から「われわれは技術について問い、そのことによって技術との自由な関係を準備したい」ということで、技術そのものについて沈潜するが如くに考察を進めていく。

    確かに、皮相的な脊髄反射の如き正反論の騒音を超え、Schwarzwaldを孤独に歩むその営みには、知の先達に対して一種の憧憬を覚える。

    しかし、同時に違和感も残る。

    ちょうど4月から、熊野純彦さんの『存在と時間』新訳(岩波文庫)が出たので、ドイツ語のリハビリで読み始めていますが、その掘り進めていくハイデッガーの言葉には深く共感するのだけど、同じなような違和感が残る。

    『存在と時間』を読み終えてから、印象が変わるかもしれませんが、ハイデガーの場合、その思惟を遂行する私というのが、どこまでも徹底的に「孤立」した私が遂行しているがゆえに、その共感と違和感をいだくのではないか、そんな印象です。

    技術論はたしかにそう感じました。悪いって訳じゃないんですよ、勿論。

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