三ギニー (平凡社ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582768602

感想・レビュー・書評

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  • そうだよ、、、

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    教育や職業の場での女性への直接的・制度的差別が戦争と通底する暴力行為であることを明らかにし、戦争なき未来のあり方を提示する。
    http://www.heibonsha.co.jp/book/b310913.html

  • 教養の深い作者がいろんな種類のオブラートやサランラップで包んでこてこて執筆してらっしゃるが、どうやら「あんたら男どもが好き勝手やって腐敗したこの社会において、女性を家に閉じ込めといて、自ら稼ぐすべを無くした上で、施設を改築する寄付をしろ、ですってえ?勝手に戦争始めといて、戦争を止めるにはどうしたらいいかですってえ?まずは無駄な装飾ごてごてのコスプレ軍服やめなよ。あれが間違ってもカッコイイとか思ってる人がいたら戦争終わらないんじゃないの?」と言った、おっしゃる通りですわ、奥さま、という本でございます。

  • 「どうしたら戦争を阻止できるか?」という男性からの質問の手紙に対し、いち女性として返信するという体裁で綴られた、戦争と女性をめぐるエッセイ。

    戦争は男性が引き起こすもの、そして戦争を防ぐには女性の教育と自立が必要だと説くウルフの筆致からは、男性社会において貶められてきた女性たちの歴史と、戦火が迫りつつあった当時(1938年)の状況への、冷静な怒りを感じた。

    人生を束縛されないためには他人に依存せず、みずから働いて生活費を稼ぐことが大切。あたかも現代を生きる私たちに宛てて投函されたメッセージかのように、響いた。

    【キーワード】

    私的世界/公的世界 教育のある男性の娘たち・姉妹たち アーサーの教育基金 ホイティカー年鑑 生活費を稼ぐこと 奇妙な鉛 独裁者 母親業 パウロの純潔観 女性家庭教師(governess) させない、させない、させない アウトサイダー 女性に国はない 幼児性固着 アンティゴネー 男性解放

    【ノーツ】

    ・1ギニー ≒ 1万円

    ・「私的世界/公的世界」×「男の世界/女の世界」= 4つの世界

    ・私的世界(家庭と家父長制)と公的世界(職業と女性排除・女性差別)はつながっていて、一方の世界での専制と隷属は他方の世界でのそれをもたらす

    ・教育のある男性の娘 = 中流階級の娘

    ・女性たちが受けてきた〈無償の教育〉の四大教師(145; 148-9頁):
    ①貧困(自立に必要なだけのお金を稼ぎ、それ以上を求めない)
    ②純潔(お金欲しさに頭脳を切り売りするのは拒む)
    ③嘲笑(名声や称賛を得るよりも、冷やかしや非難を受けること、無名のままでいることのほうが好ましい)
    ④偽りの忠誠心からの自由(国籍、宗教、学校、家族、性別などへの誇りや忠誠心を捨てる)

    ・ソフォクレス『アンティゴネー』 = 国家権力への抵抗の物語(356頁)、人間の作った法と自然の法を峻別(151頁)、書かれた法と書かれていない法(ある種の本能や情熱や心身の願望をコントロールする私的な法)(317頁)

    ・あらゆる人にとって最大の重要性を持つただ一つの権利 = 生活費を稼ぐ権利(185頁)

    ・〈社会(society)〉は個人としての〈兄弟〉を怪物じみた〈男性〉に変えてしまう(192-3頁)

    ・アウトサイダーの義務(195頁):
    ①武器を持って闘ってはならない
    ②弾薬を作ってはならず、負傷兵を看護してもいけない
    ③〈兄弟たち〉には戦いなさいと励ますこともなく、やめなさいと説得することもなく、完全なる〈中立性=無関心(indifference)〉を貫かねばならない

    ・国家は「結婚と母親業を専門とする人たち」(=女性たち)に賃金を支払うべき → 戦争阻止のために有効、ついでに出生率も上がって少子化の抑制にも貢献(202-3頁)

    ・ヴィクトリア時代(1837-1901)以降 = 伝記の内容が豊かになり人びとの生活をよく再現できるようになった(237頁)

    ・父の怒りと娘の恐怖 ← 幼児性固着が社会(society)に守られていることに由来(247頁)

    ・売春 = 女性に開かれた最古の職業(247頁)

    ・女性の純潔についての聖パウロの理論(女性は祈ったり預言をしたりする際にヴェールを被らねばならない、コリント人への第一の手紙 11:6-10)をウルフは徹底的に批判(292-8頁)

    ・『自分ひとりの部屋』(1929)の続篇として構想していたもののけっきょく断念した novel-essay(小説‐評論)のうち、小説部分が『歳月』(1937)に、評論部分が本書(1938)になった。

    ・1960年代以降の第二波フェミニズムでウルフ再評価、1990年代から『三ギニー』読み直し

    【引用】

    ▶第一章

    結婚は、太古の昔から一九一九年に至るまで、〔〈教育のある男性の娘〉という〕わたしたちの階級に開かれた唯一の職業でした。結婚とはいっしょにうまく生活していける人間を選ぶ技術のことと考えれば、結婚によってわたしたちは〈心理学〉の技能を教わってきたはずです。(14頁)

     明らかに戦争と密接な関連のある職業、つまり政治に関して、過去の女性たちがどんな影響力を行使してきたかを考えてみましょう。(27頁)

    わたしたちは会計係にこう言えます。「若い人たちが戦争を憎むような教育をしなくてはなりません。戦争は非人間的である、ケダモノである、とうてい支持できないものであると感じられるように教育しなくてはなりません」。でも、どんな教育をわたしたちは求めることになるのでしょうか? どんな種類の教育なら、若者は戦争を憎むようになるのでしょうか?(45頁)

    教育の価値は、およそ人間の重んじる価値の中でも最大級のものです。(49頁)

     でも、教育の価値について伝記から拾い出せる証言のうち、おそらくもっとも重みのある事実とは、〈教育のある男性の姉妹たち〉が、兄弟を大学に送るために自分たちの喜びと楽しみを犠牲にしただけでなく、自分たちも教育を受けたいと願ったということにあるでしょう。(50頁)

     次に、この新しい学寮、この貧しい学寮で教えられるべきものは何でしょうか? 他人を支配する技術でも、統治の技術、殺人の技術、土地と資本を獲得する技術でもありません。これらの技術には、給料やら制服やら儀式やらの諸経費がかかりすぎます。この貧しい学寮では、安価で教えられるもの、貧しくても実践できるもの、つまり医学、数学、音楽、絵画、文学が教えられねばなりません。人と関わるための技術、他人の人生や精神を理解する技術と、それらと併せて会話術、服の着こなし、料理なども少しずつ教えられるべきです。この新しい学寮、安価な学寮が目的と掲げるべきは、分離することや専門分化することではなく、組み合わせることです。どうしたら精神と身体が協調するようになるかを探らねばなりませんし、どんな新しい組み合わせによって、人生によい統合が生まれるのかを発見せねばなりません。(66頁)

     しかし現状を考えたら、あなたがたが戦争を阻止するための手助けを教育によって行おうとするなら、〈教育のある男性の娘たち〉の学寮にできるだけ寛大な寄付をするのがもっとも効果的である――という事実に疑いはありません。というのも、繰り返しましょう、〈娘たち〉が教育を受けられないなら、自分の生活費を稼ぎ出すことはなく、私的な家庭内の教育だけにふたたび制限されることになり、私的な家庭内の教育だけに制限されるなら、意識的かつ無意識的な影響力のすべてを行使して、ふたたび戦争支持に、まわることになるのです。そのことについて、ほとんど疑問の余地はありません。(71-2頁)

    ▶第二章

    (中略)自分の生活費を稼ぎ出すことができ、この新兵器――つまり、わたしたちの唯一の武器である〈自立した収入に基づく自立した意見〉――を実際に手にしている人たちに向けて、戦争に抵抗するためにその武器を使ってくださいと説得するほうが、より大きな助けになりそうです。(77頁)

     しかし、一定数の娘たちが試験を受け合格しているのに、「ミス」という単語のつく名前は数字四桁の給与のところには入らない、という奇妙な事実には説明が必要です。ホイティカーを見るに、女性という性別には奇妙な鉛のような性質があり、その性別を括りつけられた名前は下方に落ちていく傾向があるようです。(91頁)

    先の引用には、他国では他の名前で通っている毛虫の卵が潜んでいます。つまりイタリアやドイツにいたとすれば〈独裁者(ディクテーター)〉とわたしたちが呼ぶであろう生き物、つまり神か自然か性別か人種かによって賦与される権利を振りかざし、他人がどう生きるべきか、何をなすべきかを自分が決めてよいと信じている生き物の胚があるのです。
     もう一度引用してみましょう――「女はいまでこそ男に無職を強いているが、家庭こそ女の本来の居場所である。仕事をもっと多くの男に与えるよう、政府は雇用主らに働きかけるべき時期だ。そうすれば現在では近寄ることもできない女と、男は結婚できるようになる」。隣にさらに一つ引用を並べましょう――「国民生活には二つの世界がある。男の世界と女の世界である。自然は男に対して家族と国家を統治するよう委ねた。女の世界は家族、夫、家庭である」。一方〔の原文〕は英語、もう一方はドイツ語です。しかしどこに違いがあるでしょうか? 同じことを言ってはいないでしょうか? 英語だろうとドイツ語だろうと、どちらも〈独裁者〉の声ではないでしょうか? 外国の〈独裁者〉のことを危険で醜悪極まりない生き物だと、わたしたちは思っていないでしょうか? ところが同じ〈独裁者〉はわたしたちの近くにいて、まだ小さいながら醜い頭を持ち上げて毒を吐き出し、このイギリスの只中にあって葉上の毛虫のように身をくねらせているのです。(100-1頁)

     すなわち、貴兄がおっしゃりたいのは、現状では世界は二つのサーヴィス、つまり公的サーヴィスと私的サーヴィスに分かれているということだと思います。一方の世界では〈教育のある男性の息子たち〉が公務員、裁判官、軍人として働き、その仕事には賃金が支払われます。もう一方の世界では〈教育のある男性の娘たち〉が妻、母、娘として働き――でもその仕事に賃金は支払われないのでしょうか? 母、妻、娘としての仕事には、国家がきちんと現金を支払うだけの価値がないのでしょうか? その事実は――事実だとしたら――驚嘆すべきものなので、もう一度完璧なるホイティカーに当たってみましょう。ホイティカーの頁をめくってみます――頁をめくり、そしてまためくります。信じられませんが、間違いないようです。さまざまな職種があるのに〈母親業〉という職種は存在しません。さまざまな給与があるのに〈母親業〉への給与は存在しません。(102頁)

     そしてその答えとは――ひどく奇妙なものと白状しなくてはなりません。というのも、一九世紀――それほど昔でもない、資料も豊富なこの時代だけを見るとして――の職業男性のほとんどすべての伝記の大半が、〈戦闘〉で占められているのです。ヴィクトリア時代の職業男性は、大した戦闘家だったようです。政界(ウェストミンスター)での〈戦闘〉、諸大学での〈戦闘〉、官庁街(ホワイトホール)での〈戦闘〉。医学界(ハーリー・ストリート)での〈戦闘〉。美術界(ロイヤル・アカデミー)での〈戦闘〉。まだ継続中の戦闘もある――このことについては、貴姉も証人となってくださるでしょう。実際、一九世紀に激しい〈戦闘〉を行わなかった職業は、文学くらいです。伝記を根拠とする限り、他のあらゆる職業は軍隊と同様、血に飢えています。(118-9頁)

     しかし伝記は多面的であり、投げかけた問いに決して一つの単純な答えを返したりはしません。たとえばフローレンス・ナイティンゲール、アン・クラフ、エミリ・ブロンテ、クリスティナ・ロセッティ、メアリ・キングスリなどの個人の伝記を読むと、この無償の教育には大きな欠陥があったにしろ、同時に大きな長所もあったに違いないとわかります。というのも、彼女たちは〈教育のない(uneducated)〉女性だったにしろ、〈教養のある(civilized)〉女性だったことは否定できないからです。(147頁)

    ▶第三章

    そこでわたしたちの目的のために、文化とは〈母語の読み書きを公平無私に探求すること〉、そして知的自由とは〈考えを自分の言葉で、自分なりの方法で発言したり書いたりする権利〉と定義しましょう。(167頁)

    させない、させない、させない。学ばせない、お金を稼がせない、所有させない、◯◯させない。何世紀にもわたる兄弟姉妹の社会的関係とは、およそそんなものでした。(192頁)

    彼女は言うでしょう――「(中略)貴兄が戦っているのは、わたしには理解できない男性本能を満足させるため、これまでもこれからもわたしには関係のない利益を手に入れるためであり、わたしの本能を満足させるためでも、わたしを護るためでも、わたしの国を護るためでもない、と」。
     そしてアウトサイダーはこう言うでしょう――「実際、女性であるわたしに国はありません。女性であるわたしは国などほしくありません。女性であるわたしにとって、全世界がわたしの国なのです」。(中略)
     さて、こういうものがアウトサイダーの「中立性」の性質です。(198-9頁)

     アウトサイダーは自分で生活費を稼ぎますと誓わねばなりませんが、それだけでなく、専門性を充分に発揮して稼いで、彼女が労働を拒もうものなら雇用主が困惑するくらいでなくてはなりません。アウトサイダーは職業実践のための知識を完璧に身につけ、自分の職業に専制や酷使の事例が生じた際は告発します――と誓わねばなりません。そして食べていけるだけの収入を得たら、どんな職業であれ、金稼ぎのための労働といっさいの競争はやめにして、調査のため、そしてその仕事じたいに対する愛情のために実験的な職業実践をします――と誓わねばなりません。(204-5頁)

    世俗の雑事や骨折りを放棄したい、他人に肩代わりしてもらいたいというのは、ある種の人にとってたいへんな魅力的な動機です。神学があれほど洗練され、学問があれほど精妙になっていることからわかるように、引きこもって研究していたいと願っている人は間違いなくいます。しかし他の人にとってみればその動機は悪しき動機、間違った動機で、さまざまな分断――教会と人びととの、文学と人びととの、夫と妻との分断――のもとになっており、わたしたちの社会(コモンウェルス)全体の調子を狂わせている原因の一端もそこにあると思えるものです。(233-4頁)

    そして、沈黙の中でいつまでもしつこくつきまとう難問はこれです――支配とは、支配者にどんな満足をもたらすのだろうか?(236頁)

    ▶原注

     もちろん、教育のある女性にしか提供できないものが一つある。子どもである。戦争を阻止するために女性になしうる手助けの一つが、妊娠拒否である。だからこそヘレナ・ノーマントンは「どこの国の女性であれ、戦争阻止のためになしうるのはただ一つ、「兵士」の供給を中止することである」と述べた(『デイリー・テレグラフ』紙、一九三七年三月五日、〈平等な市民権のための全国評議会〉の年次総会報告)。(266-7頁)

    ▶訳者解説

    戦争が終わったら、どうやって生きてきたかを語り合いましょう。男性の仕事と女性の仕事を総点検しましょう。戦後になれば、男性の抱える障害を取り除くこともできるかもしれません。性別の特徴というものは変えられるのではないでしょうか? この変化に向けて、女性運動はどのくらい目覚ましい実験となっているのでしょうか? わたしたちが次にすべき仕事とは、男性解放ではないでしょうか?
    (ヴァージニア・ウルフ『書簡集』第六巻、三七九頁)(399頁)

  •  「戦争を阻止するためにはどうしたらよいか?」と問う手紙に対し、〈教育のある男性の娘〉という立場から回答する体裁のエッセイ。どうやら『自分ひとりの部屋』の続編に当たるらしいが、わたしはそれを未読の状態で読み始め、そんなことを気にせず読み終えた。
     著者は手紙の問いに、小説や詩歌、伝記、統計情報を参照、引用しながら答えていく。時には〈教育のある男性〉の協会、またある時には〈職業に就いている女性〉の協会に1ギニー(約一万円だそうだ)を寄付するか否か、それはどういった理由によってかを回答するのだが、それを検討する真摯な姿勢には頭が下がる思いだ。
     これは第二次世界大戦が起こる直前に書かれたものだが、それから80・90年近く経った今の情勢にも通じることが沢山あると思う。そもそもこれを読もうと思った切っ掛けも、プーチン政権のロシアによるウクライナ侵攻である。今からでも遅くはない、戦争をやめさせ、戦後どのような社会を創るべきかの指針を、この本は与えてくれると思う。

  • 私があなた達の団体に一万円を寄付する理由なんですがね、わかるかしら、一体どこから説明したら良いかわからないし、この金でとりあえずあなた達の団体施設に火を放ってくれるのが手っ取り早いんたけど、そうもいかないだろうから、説明します。
    ってそれぞれの団体に一万円、計三万円を寄付する理由を長々くどくど述べた本。わざと冗長に皮肉に、男のあなたに一体どう説明したら良いやら、と頭を抱え途方に暮れながらウルフ女史はこんこんと少年に噛み砕いて言い聞かせるように、でも相手は男性の偉い人だからへりくだって懇切丁寧に書いていく。
    で、締めに、こんな手紙そもそも書いたのも、あなたがお返事ください、なんて書くからですよ、と釘を刺しておしまい。
    戦いと軍隊が大好きな男性へ、ウルフ女史からのメッセージはなかなかキックが効いています。

  • 〈アウトサイダーの会〉。中立性。ペソアのアナーキストバンカーを思う。時おりとても攻撃的で、頭の良さを感じる。サークルをつくり、夫とともに自分で出版社をつくってしまうあたり、非常にzine的。

  • 終戦の日に。

  • 東2法経図・開架 934.7A/W87s//K

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著者プロフィール

1882年―1941年、イキリスのロンドンに生まれる。父レズリーは高名な批評家で、子ども時代から文化的な環境のもとで育つ。兄や兄の友人たちを含む「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団の一員として青春を過ごし、グループのひとり、レナード・ウルフと結婚。30代なかばで作家デビューし、レナードと出版社「ホガース・プレス」を立ち上げ、「意識の流れ」の手法を使った作品を次々と発表していく。代表作に『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』など、短篇集に『月曜日か火曜日』『憑かれた家』、評論に『自分ひとりの部屋』などがある。

「2022年 『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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