京都守護職始末: 旧会津藩老臣の手記 (2) (東洋文庫 60)

  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582800609

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  • 再読。下巻は八一八の政変後から。一時的に京都はちょっと平和になるも、もともと病弱な容保さまはストレスMAXで病の床に。守護職辞任を申し出るがどうしても許してもらえない。そうこうしているうちに元治元年、池田屋事件と蛤御門の変。薩摩と組んでなんとか長州を追い払うも、そののちは長州征伐だの将軍の上洛だのでまたしてもモメにモメ、うだうだしているうちにさまざまな機を失することに。

    上巻から続く慶喜ディスりの筆はますます冴え、だんだん慶喜のみならず、松平春嶽や幕府閣老のことも名指しでディスりはじめる山川兄弟。最終的に戦った相手の薩長よりも、味方の優柔不断、自己保身の裏切り等のせいで酷い目に合わされたことのほうが許し難いのでしょう。とてもよくわかる。

    参考までに慶喜ディスりの一部を引用しておくと「一橋慶喜卿は資性明敏で、学識もあり、その上世故に馴れているので、処断流るるがごとくであり、すこぶる人望のある人であるが、それは、単に外観だけのことで、その実、志操堅固なところがなく、しばしば思慮が変り、そのため前後でその所断を異にすることがあっても、あえて自ら反省しようともしないのが卿の特性である。(39頁)」ボロカスです。

    そもそも京都守護職を引き受けた時点で貧乏くじだったのに、それでも一生懸命頑張ったので孝明天皇に大変信頼され、公武合体の理想に近づくも、そうすると今度は幕府側から、朝廷のご機嫌ばっかりとりやがってとやっかまれ、守護職の役料を取りやめられたりする。じゃあもう守護職なんてしんどい仕事は辞めたいので誰か代わって、と言うと、結局誰もやりたがらない。むちゃくちゃだよ幕府。そら滅びるわ―という気持ち。

    一度、長州征伐のために会津藩は守護職を解かれ軍事総裁職に任命されたことがあるのですが(これはこれで、面倒くさい仕事は全部会津藩にやらせようという魂胆がミエミエ)代わりに守護職は松平春嶽が任命されるも、なんと守護職配下の新選組が、春嶽嫌いだし、容保さまのほうが良いので守護職預かりじゃなくていいから会津藩の配下にして、と直訴(※通りました)。孝明天皇も容保は京都にいてくれなきゃイヤイヤというわけで、結局また会津藩が守護職に復活。春嶽、意外と人望ない…。

    あと容保さまLOVEな家臣たちの微笑ましいエピソードを紹介しておくと、不逞浪士たちによる容保さま襲撃計画の噂があったため、家臣たちが容保さまの従者を増やそうとすると、容保さま自身は、万一のことがあってもそれが天命だからそんなことしなくていいよとおっしゃる。しかし心配な家臣たちは道中の途次にこっそり家来たちを配置。まあもちろんバレます。なんかいっぱい道端に家臣いたけどあれ何?と容保さまに問われて、久々に容保さまがお帰りになったのでみんな嬉しくて見に出てただけですと言い訳。ほほえましすぎる。

    そんな微笑ましい会津藩主従も、時代の波には逆らえず。第二次長州征伐で幕府がぐだぐだぐだぐだしてるうちに、長州藩は高杉晋作のクーデターで盛り返しちゃうし、こっそり薩長同盟は結ばれちゃうし、将軍家茂さまに続き、幕末最大の佐幕派と言われた孝明天皇も立て続けに亡くなり、時勢は急展開、あっという間に会津藩は逆賊に仕立て上げられてしまう。終盤は駆け足で、鳥羽伏見が開戦したあたりまでで本書は終わっている。本当にもう、こんなに一生懸命働いた会津藩がなんでこんなひどい目に…と思うと悔しくて泣けてくる。

    続きは山川健次郎の『会津戊辰戦史』に。紙の本は古書で高額すぎるので、国会図書館のデータベースでなんとか読むか…。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1921057

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