橋の上の「殺意」: 畠山鈴香はどう裁かれたか

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582824520

作品紹介・あらすじ

「畠山鈴香は人間ではない」と、それでもあなたは言いますか?33歳のシングルマザーは何故、幼い命を手にかけたのか?死刑判決待望論に挑み、「破滅」と「殺意」の深層に迫って書き下ろした、著者畢生のルポルタージュ。

感想・レビュー・書評

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  • 裁判って何にもわからないんだな。事件と動機の関係性が検察側の主張を読んでもさっぱり理解できなかった。全ての事件を病気と紐付けられないが、ほぼ無関係ではないんだろうな。

  • 畠山鈴香は子供時代に色々辛い目にあってあまりよい環境じゃなかった
    ある意味被害者でもあるのかな

  • 定期購読している月刊百科の記事をよみ、興味を持った一冊。
    これまた地元の図書館にはやくも到着していて、さっそく借りました。
    裁判員制度がはじまり、第三者として事件とかかわることを余儀なくされる機会が増やされた今、それぞれの事件の背景を考えていくことは大切だと思います。
    かなりプライバシーに踏み込んだ内容であり、読みすすむうちに少し抵抗も感じたりしましたが、いろいろ考えさせられるものでした。

  •  報道と実際とのズレ
     しかし、個人情報とやらにはばまれ、ドキュメンタリー取材ものはしづらくなっただろうなあ。
     子を愛せない親もいる。自己愛がすぎれば、暴力になることを教えてくれた本。むろん、こんな哀しい事件もない。

  • 本書は、ジャーナリストで

    公害や狭山事件などに関する著作がある著者が

    2006年に起きた児童殺害事件の被告人について記した著作。


    被告人の生い立ちから、結婚・出産を経て

    事件、逮捕に至るまでを、

    同級生や知人の証言や

    公判に現れた証言・証拠などをもとに追います。


    幼い日のいじめや虐待、地域社会での孤立

    我が子に対する複雑な思いと

    第二の被害者への理不尽な殺意―

    いずれの記述も痛切で、胸を締め付けます。


    なかでも、個人的に最も印象深かったのは

    第一の事件現場である橋の模型まで持ち出し

    執拗に行われた、公判廷での検察の尋問の描写。

    検察官の言葉は一言一言が鋭く

    読者である私の心も貫かれるような感覚に襲われました。


    犯罪被害者の悲しみ、加害者家族の困惑

    犯罪報道や取材のあり方、

    刑事手続きにおける鑑定や事実認定のあるべき姿

    そして犯罪被害者保護、死刑制度―など様々な問題提起をする本書。


    被告人に同情的な書き方には

    違和感を覚える方もいるかもしれませんが、

    刑事事件や刑事制裁について、感情ではなく、

    自分の頭で考え判断するため、

    一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。

  • 事件報道は書く人が違うとそれぞれ違う事件のようになるので
    そこがものすごく怖い

  • 2006年4月、秋田県藤里町で2人の子どもが相次いで命を落とした。日本中の注目を浴びたこの事件。やがて捕まった犯人は最初に死んだ女児の母親だった。本書は、「鬼女」として報道された被告の真の姿に迫ろうとするノンフィクションである。衆目を集めたこの事件に関して、多言を弄する必要はないだろう。被告の言動はマスコミをさんざん賑わせた。しかし、被告は報道されたようなモンスターではなく、子ども時代に虐待を受け、精神的に弱い部分を抱えたシングルマザーだった、というのが本書の主題である。以下、個人的な感想だが。暗澹たる気持ちで読み進めた。理由は主に3点。1つめは幼い子ども2人が理不尽な殺され方をした事件自体の重さ。2つめはこの本を読むこと自体が野次馬的行為である気がしてしまったこと。そして3つめは、著者の言いたいことはわかるけれども自分は「被告を糾弾するのではなく救済すべき」とする著者の主張に賛成できないこと。一番引っかかるのはやはり、3番目だ。おそらく著者の言うとおり、この事件の被告は精神的に不安定な部分があったのだろう。そうした不安定さからくる言動が、マスコミによって非常に歪曲された形で報道されたというのも、おそらく真実だろう。しかし一方で、被告が2人の子どもの死に関わっていた、ということが、そのために消えるわけではないと思うのだ。素人の私見だけれど、司法はもっとドライであることはできないのだろうか? そもそも当事者同士で解決せずに第三者がことを判断する、「裁判」という形式は、私刑や仇討ちの応酬を避けるための仕組みだったのではないのか? それならば刑事事件において、「なぜ」なされたかに主眼を置くのではなく、「何が」「誰によって」なされたかを究明して、「なしたこと」に対して刑罰を科すべきではないのか? 人はいつでも論理的に動くわけではない。なぜこうしたか後で考えるとよくわからないなどということは、よくあることだろう。そしてまた、人の記憶も思っている以上に曖昧であり、状況に左右されやすいものだと思うのだ。「責任能力」や「殺意」など、きわめてわかりにくいものに取り組むのではなくて、検察は、物的証拠から、加害者が何をしたために被害者がどういった害を被ったかを淡々と調べる。そして裁判は、「情状酌量」にも「処罰感情」にもどちらにも引きずられることなく、「被害」と見合う「量刑」を科す。そういった形では駄目なのだろうか?起きてしまったことの責任は誰かが負うべきだろうし、それは加害者以外にはいないだろう。加害者が極悪非道であるから重い罰、同情すべき人物であるから軽い罰。本当にいつもそんな風に割り切れるものなのだろうか? そこが微妙だから裁判が長期化する面があるのではないだろうか?結論の出にくいことについて長期に渡って裁判を行うのは、結局誰にとっても益にはならない気がしてならない。我ながら消化し切れていない気がするし、本の内容自体からやや離れてしまったけれど、現時点での感想である。*読んだ印象だけだが、一番目の事件は自白に頼っていて、物証が少ないように思う。動機を追及するより、そちらの方が気がかりだ。本当に被告が関与していないとしたら大問題だと思うのだが。

  • あの名作『死に絶えた風景・・日本資本主義の深層から』や傑作『自動車絶望工場』そして問題作『大杉栄・・自由への疾走』を書いた鎌田慧が、2006年の児童殺害事件の闇を描く渾身の一冊。今まで読んできた彼の100冊以上の著作の、社会正義や差別・弾圧や崩壊する現場の報告などといった骨太のテーマとは異なる、殺人者の境遇を取材し心の問題に分け入ろうとする眼目は、裁判所での争点やゴシップ記事風のマスコミの報道に憤りを感じてのものですが、でも、やはり私は、犯罪者の山ほどある理由を指摘したり分析したり同情しても、厳然として殺された被害者は存在する分けで、よほど相手から虐待を受けていたことの正当防衛的なもの以外は、人を殺したら自分の命をもって償うことに徹するべきだと思います。

  • 何かと考えさせられる作品でした。
    落ち度だらけの警察の初度捜査、強引な取調べ。
    『空白』だった鈴香の心。読み進めるうちに今まで僕が持っていた不遜で不敵で冷酷な鬼親に見えていた畠山静香が哀れな魔女に思えてくる。
    裁判員制度が始まった今、人が人を裁くことの難しさやるせなさ辛さを痛切に感じながら苦しい思いで読んだ。

  • あやかちゃんを殺したとまでは言い切れない。そのときの記憶がないから。無期懲役の理由がわかった気がした。人を殺して言い訳ではないけれど彼女は悲しい女だ

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著者プロフィール

鎌田 慧(かまた さとし)
1938年青森県生まれ。ルポライター。
県立弘前高校卒業後に東京で機械工見習い、印刷工として働いたあと、早稲田大学文学部露文科で学ぶ。30歳からフリーのルポライターとして、労働、公害、原発、沖縄、教育、冤罪などの社会問題を幅広く取材。「『さよなら原発』一千万署名市民の会」「戦争をさせない1000人委員会」「狭山事件の再審を求める市民の会」などの呼びかけ人として市民運動も続けている。
著書は『自動車絶望工場―ある季節工の日記』『去るも地獄 残るも地獄―三池炭鉱労働者の二十年』『日本の原発地帯』『六ケ所村の記録』(1991年度毎日出版文化賞)『ドキュメント 屠場』『大杉榮―自由への疾走』『狭山事件 石川一雄―四一年目の真実』『戦争はさせない―デモと言論の力』ほか多数。

「2016年 『ドキュメント 水平をもとめて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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