降ります: さよならオンナの宿題

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582829815

感想・レビュー・書評

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  • 914.6

  • はい三冊目。1999年から2001年だから、著者33歳から35歳。これが、フェミニズムというのがどうなのかわからんが、とにかくトゲトゲしている。それほど、学者の世界で不安定な世界の職場を渡り歩くとき、女性ということ、アジア人であるということがハンデになったということなのかな。そうか、東大卒女性って、風当たりも強いのかも。女の服装とメイクアップは文化的戦闘服である、独身というコトバの廃止を要求する、なぜアメリカはたいくつか、「三界に家なしとは女の境遇のことであるが、三界五大陸どこでも家のようにおもう、この感じはなんなのだろう。」日々の営みのかわらなさ。毎日が旅といえば旅なのだ。トゲトゲがときどきしんどいけど、このあとに、いまのこなれた達観があるのかな、と感じた。

  • 「幻想を押しつけられて仰天したり憤死しそうになりながら、ほかのだれかにまた幻想を抱くわたしたちの矛盾について、わたしにこれといった策はない。」

    「低カーストである自分のみじめさに拘泥していくなかで現実の人間関係が見えなくなっていく、自分のつくりあげたステレオタイプの自己像・的像にはまっていく、そういうひとを愚かものというのではないかしらん、主義主張立場にかかわらず。〜しかし闘わなきゃいけない状況はあるよね。状況への怒りはある。そしてそれに拘泥せず、目の前のヒトヲ見ていくことって、当然できるとわたしはおもうの」

    「かれらが「そのまんま」で生きられるそののびやかさときたら、あ然としてしまう。かれらの世界の「外」にいる、あるいはかれらに描かれて内心「そんなではないのにわたしは」とおもいながら「世界」にようやく存在しているひとたちは、羨望のまなざしでかれらの「そのまんま」ぶりを見つめる。ああ白人はなんて堂々とアメリカを歩くのだろう。男はなんてつくらない自分のままで生きていることだろう。かれらはそして、善意にあふれていたりさえするのだ。だけどこっちは見逃せない、「世界」がかれらのものであることを。〜かれらは自分が見世物だなんて考えてもいない。かれらは見る者、解釈を与えるほう、評価を下す側。かれらでないわれわれは、それを痛烈に感じる。」

    「がまんできない!といいつづける。良識ある市民としてはどうも正しくないとおもわれることを口走りながら、過激に、戦略的に、なによりしぶとく。ばかのひとつ覚えで「がまんできない」といいつづけることが運動には必要なのだね。あきらめがよくちゃだめなのだ。」

    自分もこれだけ的確にものごとを言葉にできればなー と思う本
    言葉の温度もちょうど良い

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著者プロフィール

1966年生まれ、明治大学法学部・同大学院教養デザイン研究科教授。
著書に『日本語に生まれて』(岩波書店、2013年)ほか。共編著に『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店、2009年)ほか。訳書にアール・ラヴレイス『ドラゴンは踊れない』(みすず書房、2009 年)ほか。

「2023年 『蜘蛛の巣上の無明』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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