会社はだれのものか

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582832709

作品紹介・あらすじ

おカネよりも人間。個人よりもチーム。会社の未来は、ここにある。

感想・レビュー・書評

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  • 会社は誰のものか?
    この問いはいろいろな人によるいろいろな答えがある。
    かつて日本社会では「資本主義より人本主義」という考え方が主流で、会社は社員のものである、という回答がしっくりきてたとおもう。
    最近では、アメリカ的な会社とは株主のものであるが主流ではなかろうか?

    はたしてそうか?と筆者はとう。
    会社は株主のものである、というグローバルスタンダードに異見をとなえる。

    たとえば個人営業をしてるラーメン屋のオーナーがラーメン屋のどんぶりを勝手に家にもってかえっても罪にはならない。
    なぜならラーメン屋もその什器備品もすべてオーナーのものだから。
    しかしこれがラーメンチェーンの法人ラーメン屋だと勝手に株主が店の備品をもちかえると罪になる。
    会社(=ラーメン屋)は株主のものではないとなる。

    筆者は、法人とは「本来、ヒトではないモノなのに法律上のヒトとしてあつかわれるモノ」という定義をする。

    モノは売買できるし所有もできる
    しかしモノは意思決定できない。
    だから意思決定できる経営者をおく。
    株主=モノとしての法人=>ヒトとしての法人(経営者)=会社資産
    という構造をとく。


    ではなぜモノである法人にヒトの要素をいれたのか?

    資本主義社会は契約によってうごく。
    会社はモノとして法人でもあるが、一方でモノは契約書にサインをできない。
    契約すら不可能。
    だからヒトとしての法人の要素が必要になる。
    それを代弁するのが経営者。

    しかし・・・
    経営者が利益の追求のみをしてしまって自己利益ばかり考えるとまともに会社はうごかない。
    会社がちゃんとうごくには経営者の倫理性が必要だ。

    倫理?資本主義とはまったく相容れない世界観にみえるかもしれない。

    筆者は利益追求とまったく対立する経営者の「倫理」があるととく。
    これが入っていないと、そもそも会社制度がなりたたない。
    自己利益を追求する資本主義には、倫理が本質的にはいりこむととく。

    まだまだ消化不良なところもあるが再読してかみ締めたい本である。

  • 会社 法人 企業
    3つの単語の違いと本当の意味を知れただけで満足。
    前半部分はそういう意味では面白かったが、後半はアメリカの株主主義を批判するようないかにも"原丈人"ぽい文章が目立った。

  • ロングセラー『会社はこれからどうなるのか』の待望の続編。もっとも分かりやすい会社論の一つとして好評だった前作のテーマをさらに広げ、「会社」という組織の本質に迫る。

  • 機械製工場を利益の源泉とする資本主義である産業資本主義の時代が終わり、差異性が価値を生む時代になったことでヒトの価値が上がったという主張を軸にして、M&AやCorporate Social Responsibility(CSR) の議論と共に会社の社会的な存在意義について論じている。

    本書は第一部と第二部に分かれていて、分量はそれぞれ本文のおよそ半分を占めている。第二部は対談の書き起こしになっていて、著者の主張を知るには前半で十分である。

  • 株式投資を始めるにあたり、参考になるかと思い第一部(会社はだれのものか)のみ読みました。2005年に出版された本ですが、将来にわたっても陳腐化しない内容であると感じました。要所で筆者の理解と株主主権論を常に対比させることで、理解がより深まったと思います。法人企業が本質的に矛盾した存在であることをまずは読者に認識させ、次に法人企業の法律上の構造を強調、最後に法人企業の中核に倫理性が要求されることを示し、その事実が実は自己利益の追求を原則としている資本主義との逆説性を孕む。と言った序盤の一連の流れは個人的にはグッときました。中盤のポスト産業資本主義の説明は本文の中でどの様な役割を果たしていたか消化不足も、イノベーションの創出が重要視される今の時代に於いては、お金ではなく個人がものを言う時代であり、同時に組織がものを言う時代であるという主張から、株主主権論とは対極にある日本型の会社も捨てたものではないというメッセージだったのかと思慮。果たして自社の組織はどんなものか、考えるきっかけに。最後のCSR(会社の社会的責任)の説明では、モノである法人企業がヒトとして承認されている特殊性を再認識。さらに承認の根拠となる、法人企業が社会にもらたすプラスの価値というのは、その時代の市民社会が決めていくものであり、道徳があり、より良い社会を望む市民が、自己利益や法的な義務の外に価値を拡大していくのは至極真っ当なことだと思いました。しかし、どの会社も頑張ってる様に思えるので、株式投資に役立てるには自分には力不足でした。筆者は会社勤めをしたことがない学者で、自らの主張の現実性を検証されたかったようですが、それに答えてくれる(答えられる)、会社勤めしか知らない人が一体どれだけいるでしょうか。私は20代後半ですが、とても太刀打ちできそうにありません。

  • 法人企業と企業は、違いがある。
    機械が利益を生み出すと考えれば、企業は株主のもの=産業資本主義の時代。
    今は、それだけでは利益は出ない=ポスト産業資本主義、知価社会、高度情報化社会、知識社会、脱工業化社会など。
    ヒトが重要な違いを生み出す。お金の力は相対的に弱くなった。

    CSRによって、顧客に好印象を与えることによって長期的な利益が増える、そのためにCSRをやるのか。そうでないと考えれば、会社は社会のもの。

  • 2005年6月に発行された本。

    ライブドアとフジテレビのニッポン放送買収合戦がきっかけで、「会社の買収」という視点から「会社はこれからどうなるのか」の論点を整理しなおし、理論を「現実性」のあるものにすることがねらい。

    信用供与論
    社会的責任論
    の二つが追加された。

    本書の方で、最も参考となったのは、CSRについての議論である。(わがなつかしき)フリードマンの徹底した個人主義にもとづく株主主権論的な「企業の役割は、利益を上げることである」という主張に対してCSRという発想が何を意味するか。CSRという発想に意味がありうるとすれば法人であれば、確かに「その存在意義は、それが何らかの社会的価値を持っていることにしかない」といえる。その点で、社会的な価値をもたらしたいのであれば、ソロスのように自分で儲けるだけ儲けてからこれを慈善活動に「個人の判断」として活用する、というのは、一つの考え方である。「個人主義≠利己主義」だからである。

    このあたりの議論は、非常に興味深い。

    他方、M&Aによってどのようにリターンを獲得するかについての様々な手法を検討してあるのも本書から得られる価値の一つである。特に、産業資本主義時代と比べたリターンの源泉の違いは、自分が投資判断を行っていくための材料になる。

    人間社会の中で、岩井の挙げている人間らしい人間のための発明は、
    言葉、法律、貨幣
    の三つである。いずれも人間を媒介するものであり、真実よりも真実らしいというのが特徴。

  • ヒトとモノの両側面があることが特徴。代表取締役は信任をうけた会社の代表者、法人格の代わり。ヒトは所有できないから、モノの側面で株式がかわり。根本的な話でデジタル社会においても論議になりそう。

  • 経済学者が資本主義経済を会社という器を通じて、現実的に振り返ったものが本書。

  • 第1部 会社はだれのものか(ライブドアとフジテレビ
    会社とは何か
    会社の二階建て構造
    コーポレート・ガバナンスとは何か
    会社経営者の義務 ほか)
    第2部(新・日本型経営が見えてきた―小林陽太郎氏との対話
    次世代産業は日本がリードする―原丈人氏との対話
    会社は、驚きに満ちている―糸井重里氏との対話)

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著者プロフィール

国際基督教大学客員教授、東京財団上席研究員
東京大学卒業、マサチューセッツ工科大学経済学博士(Ph.d.)。イェール大学経済学部助教授、プリンストン大学客員準教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学経済学部教授など歴任。2007年4月紫綬褒章を受章。

「2021年 『経済学の宇宙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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