- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582833256
感想・レビュー・書評
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知らない名前ではない五木寛之の名前と物々しいタイトルに
つられて読んだのだが、中身は2歩も3歩も踏み込みが足り
ない、実に中途半端な本だった。3時間とかからずに読了
するくらいだし。やれやれ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の霊性の発見。「霊」というと背後霊とか人魂のようなものを思うが、「霊性」という方がしっくりくるようだ。神道では「畏れる」ということが基本になっているとか。畏れ多いことが少なくなった日本では人が野放図になってきていると感じる。
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対談なので仕方ないかもしれないけれど、事実も推測も何もかもごちゃまぜに書かれていて、胡散臭いテーマがなおいっそう何だかわからなくなっていた。
命や自然に対する畏怖の文化を語りたいのか、自分が霊能者だと言いたいのか。
文化についても、広く調べたというよりは、自分が気づいたこと、知ってることを並べただけで、あまりにも主観的で検証もされない。
対談だからといわれればそれまでだけれど、もうすこし客観的な話を展開してほしかったと思うのは、私の勝手な期待なんだろう。
おまけにこの字の大きさと行間。
昔、学生時代に、中味があんまりすくないので行間2行で12ポイントの字を使って書いたレポートを思い出した。 -
色々とお勉強になります。
五木先生の本は初めて読みましたが、他も読んでみたくなりました。
対談なので、各セクション、ビミョーに物足りないところで終わってるのが残念。そこからがもっと聞きたいのにー!みたいな。
鎌田先生の石笛が聞いてみたい。
っていうかホテルに泊まった時に、隣の部屋から石笛と法螺貝の音色が聞こえてきたらとてもコワイ(笑)。 -
霊ってやっぱりいたんだー!こえー!
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怨霊の話をもっと突っ込んで欲しかったが、日本人の精神性の根底にある気配への恐れみたいなものについて語り合っていた所に出会ったのはよかった。
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霊というよりは、神道に関しての気づきを多く与えてくれた。日本人の自然な心の機微は、神道の宗教性そのものとも言える。
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霊の発見というより神道の神の発見の方が題名と内容が一致します
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【目的】:霊はどのように受け止められているか。<BR>
・あらゆる自然に宿る魂。アニミズム。自然や土地・意識のエネルギー。<BR>
・終末意識が、無意識の底にあるエネルギー・情報に向かう。<BR>
・石笛はアッパー、法螺貝はダウナー。霊的身体感覚。音霊。マントラ、念仏。呪術。<BR>
・修験は内的な悟りでなく、外的な超能力、霊能力、霊験を求める。<BR>
・自然への畏怖、それに反することへの祟り、怨霊。異世界の感覚。<BR>
・生きる勇気や、それを継いでいく実感のためのシルシ。見えない世界観の表象。あの世もそうしたもの。<BR>
・怖れに対する「かしこみ」「つつしみ」としての神道。<BR>
・畏怖と魅惑。<BR>
・人間はほんらい、目に見えない価値を信じ、実感・体験する。<BR>
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#大自然の中の小さな限りある存在としての意識、自然への畏怖が、霊の世界を支えている印象を持った。<BR>
#具体的な表象の力よりも、無意識の底の無限のエネルギーをこそ信頼したいと感じた。<BR>
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