- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582834284
感想・レビュー・書評
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久しぶりに本を読んだ。
台所をする、ということの大変さがものすごく伝わってきた。
料理をして食事を作ることは半端な意識ではできないのだな。
幸田文さんの文章は読んでいてとても心地いい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
明治の女性のお台所の話。
昔の日本の料理の話を期待して読み始めたところ、そうではなく。
料理をする人間の心構えとか、つくった料理を人様に出すときの心構えなどに重きをおかれている作品。
きりっとした文章は、読んでいるこちらまで背筋が伸びる。
文中によくでてくる「台所の音」の話。
私が台所に立っているときは、さぞかしい騒騒しいことだろう。
作者が辻嘉一氏と対談をしている。
その中で、水の使い方に関して、「いまの子」に苦言を呈している部分にはっとさせられた。
いわく、いまの子は水の尊さを教えてもらっていない。
それは、水を汲まないから、水を汲む労力を知らないから。
この対談は1979年のものだから、今から約30年前の話。
その当時の「いまの子」は水の尊さを知らない。
そして2012年現在の「いまの子」は、火の尊さ、危うさを知らない。
オール電化だからね。
しかし、明治の女性というのは、本当にたいへんだったのだなぁ。 -
幸田文さんの日本語は本当に美しい響きを持っているな、と思う。日々の生活を綴った様子もかっこうつけすぎてる感じはなく、たんたんとして、楽しそうで本当に素敵だなと思う。これは小説「台所のおと」も入っているので、お得だなと。
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台所仕事の心構えを学んだ。
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図書館で借りた。→2012年に人からもらった。
幸田文全集を底本に台所にまつわるエッセイ・小説を抜き出し、編集してある。
台所には、火水刃物と使い方によっては危険な物がすべてそろっている、という話、正月にあまり親しくない同級生にごちそうに誘われた話、切り目正しくなきは料理に非ず、のような言い回しの話が印象に残った。
そのうち、幸田文全集を読もうと思う。 -
まだまだだと思う。
そうか、こうやって食べ物に対峙して食べる人に対峙して、自分に対峙すればいいのかってそんなことを思った。
上品でかっこいい本です。 -
第3回。
魂を込めて炊事をするとこうなるのだなあと思う。台所の美学が詰まった1冊。こんな台所がある家は豊かだとも思う。
是非、幸田家の食卓にお邪魔してみたい。 -
幸田文の娘、青木玉が編集した一冊。
同じシリーズに「しつけ帖」「きもの帖」がある。
「台所帖」の中でも、「台所の音」というエッセイが好きですね。(引用をご参照下さい。)「台所帖」というと、通常は「食」に関する蘊蓄や、レシピを想像しがちで、もちろん、そういうエッセイも含まれるのだけれども、やはり、なんといっても、幸田文の真髄は「音」と表現される「台所での立ち居振る舞い」についての戒めから入るところでしょう。
本の帯に「台所が、教室だった。ささやかな煮炊きのくり返しが、私の心をみがいてくれた」とあるように、読者はこの本を読むことで幸田文と同じ教室に入ることができる。 -
しつけ帖に続き、またもや頭の上がらなくなる本。料理といえる料理ができない、台所に立つ事もほとんどない私には耳が痛いやら胸が痛いやら。
しつけ帖でもそうでしたが、つらかったことなども書かれているのに、読んでいるこちらが苦しく嫌に感じない。さっぱりとしていて、心底優しい文章。
結構に昔の文章も収録されているのですが、今になっても鮮やかに感じられる素敵な随筆です。