- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582836271
感想・レビュー・書評
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作家の森まゆみさんは、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(通称、谷根千)を四半世紀続けたことでも知られる。その奮闘記、『谷根千の冒険』には心を躍らせた。本書は森さんの『谷根千』経験を活かした『青鞜』の評伝。『青鞜』代表の平塚らいてうは森さんと同郷であり、『青鞜』の創刊場所は千駄木であった。
本書がユニークなのは、編集方針、原稿取り、レイアウト、校正、資金集め、広告、出版社との付き合い方など、雑誌作りの観点からの分析が行なわれていることである。これまでの思想史による研究では、この辺にはあまり光が当てられてこなかったのではないだろうか。森さんによると、らいてうは編集実務は苦手であり、そもそも好きではなかったようだ。この辺は保持研たち他の同人がカバーしていたが、それにも色んな問題があり、結局4年半で終焉を迎える。
森さんは「礼賛と称揚、カリスマ化から、らいてうという人を取り戻し」たかったと述べていて、その試みは成功していると思われる。だからこそ、本書が描く『青鞜』の群像は、とっても魅力的である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
創刊者である平塚らいてうを始め、個性的な同人たちを通じて、マスコミからのバッシングや発禁処分などに耐えながら発行され続けた『青鞜』(明治44年創刊)。その73年後、著者自身数名で地域雑誌『谷根千』を刊行した経緯を踏まえ、自身の経験を重ね合わせながら女性の手で作る雑誌づくりの苦難と奮闘を語る。
確かな目標に向かって、志だけを胸に突き進んだ雑誌作り。同じ土俵に立つ著者だからこそ見えてくるらいてう達の荒削りな部分に容赦のない厳しい意見も述べつつ、当時の“現実”をそのまま伝えてくれる。
新時代を駆け抜けた「新しい女」たちを「編集」という仕事を通して見つめることができる、戦いの軌跡。
第24回紫式部文学賞。 -
ノンフィクション
歴史
編集 -
平塚らいてふの「青鞜」と思ってましたが、違った視点で見ることができるようになる本。地域雑誌「谷根千」で著名な森まゆみさんが、100年前の女性たちによる雑誌作りを、自身の経験を踏まえて、描き出す佳作です。
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随所で入る森さんの批評が心地よい。全体的に共感するけど、「やはりオンナでしかない」とは思わないのは、好運な環境で過ごせてきているからだろうなと思う。
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「原始」は、教科書で見た。でも、見ただけ。
全く、そんなはた迷惑な自由人が書いていたとは。
その姿を、崇めるのではなく、ありのままに描こうとするところに共感する。 -
2月に、Googleのトップで「平塚らいてう生誕128周年」が出ていたときに、ちょうど図書室でこの本を見かけ、サブタイトルの「女が集まって雑誌をつくるということ」に興味をひかれて借りてきた。第一章のタイトルは「五人の若い女が集まって雑誌をつくること」。
森まゆみ自身が『谷根千』という雑誌をやっていたこともあって、復刻版の『青鞜』をこまごまと読みながら、雑誌というもののあり方や、それをつくるのに集まった人たちや、読者のことを書いているところが、私にはおもしろかった。「編集後記が一番おもしろい」とか、この記事はどうかと思うとか。
平塚らいてうが『青鞜』の言い出しっぺだったが、お金が足りなくなったときに補填してたのはらいてうの母だったとか、らいてうが誌面を私物化してるのはどうかと思うとか、そんなんも書いてあって、『We』を引退した私は、つい『We』のことと重ねたりもした。
途中から『青鞜』同人になった伊藤野枝や他にも何人か「校正がとにかく嫌だ、厄介だ」と書いてるそうで、そういう人が多かったのか、『青鞜』はたいへん誤植が多かったそうだ。森まゆみが「校正は雑用でなく、雑誌の信用のためにも集中してかかるべき枢要なしごとである」(p.196)と書いている。校正好きな私は、本や雑誌や新聞の誌面を読んでいて、つい誤字を見つけてしまうことがあり、それがあまりに多いと、やはりどうかと思ったりするわけで、大事なしごとよなーと思う。
『青鞜』は発行から一周年で、東雲堂に出版販売をまかせ、会費、購読料の送金、雑誌の申込み、交換広告などもこの東雲堂が取り扱うことになった。青鞜社は原稿を集めて編集するところだけにかかることにしたのだ。広告とりや購読料の授受、発送、配達などは雑誌発行にとって読者や支援者、出版関係者と編集者をむすぶ大事なところなのにと森は書く。椎名誠や目黒孝二の『本の雑誌』が自前の配達ルートと配達部隊をもっていたことを引き、「作った人が持ってくる、作った人がじかに売るということは、共感を広めるうえで強みなのである」(p.148)と。
▼肉体労働よりも精神労働に重きを置き、"雑用"が嫌いな『青鞜』同人が、発売・経営すら手放したとき、それは一見、執筆や編集に集中できるように見えて、実はたくさんの読者とのつながりや雑誌そのものの運動力を弱めることになったのではないか。これが『青鞜』廃刊への第一歩ではなかったかと思えてならない。(p.148)
その後、『青鞜』の販売は、東雲堂から尚文堂へとうつる。
▼雑誌は内容で評価されがちだが、いくらいいものを作ってもデリバリー、配本、販売、集金がスムーズでないとつづかない。同人誌などは直販で書店に置いてもらっても、回収、集金を怠るため、いわゆる三号雑誌に終わりやすい。私たちの『谷根千』は取次を通さず、書店だけでなく地域の飲食店や手仕事の店など三百カ所に自転車で配って歩いた。これこそ雑誌発行の醍醐味と言えるところなのにもったいない、とも思う。しかし、らいてうにしてみれば、こうした一切は雑用に思えたのだろう。(p.205)
『青鞜』の編集後記には「本社はかなり貧乏してるので皆さまの寄付を歓迎」とあるそうだ(『We』もカンパ歓迎などとよく書いていた)。それに対して森まゆみは、「雑誌への寄付については、私は好まない」と書く。
▼雑誌への寄付については、私は好まない。「いいことをしているのだからカンパせよ」と今もあちこちから赤い罫線の振替用紙を入れた郵便が届くが、それぞれ自分の責任において自分の運動や機関誌を担えばいいのである。雑誌もそうだ。雑誌を売ってナンボ、広告を取ってナンボ。「貧乏だから寄付して」とは、『谷根千』は25年間、最後まで言ったことはなかった。自分でつくる雑誌くらい、楽しそうに、口笛ふいて配りたいではないか。人の金で作っているという負い目をもちたくないではないか。(p.108)
寄付をクレクレというのは、森のいうように、たしかに「イイことをしてるのだから、応援しろ」という傲慢さにうつることもあるだろうと思うと、『We』はどう見えていただろうか…と振り返って考える。
森は、『青鞜』や、中心となったらいてう、そして雑誌にかかわった同人やその周囲の人たちの「あの時代」をも描きながら、『谷根千』をやってきた自分とひきくらべて、共感できるところ、私はそうは思わないというところを書いている。その根っこには、同じこの千駄木の地で女たちが集まって自主メディアをつくった先輩たちへの尊敬と愛がある。
先輩たちを思って書いた、このラスト。
▼いま、地震による大津波が浜を襲い、東京電力福島第一原子力発電所の事故により日本の未来が閉ざされかねない毎日を生きているとき、らいてうが、野枝が、紅吉がいれば何を言うか、何をするかと考える。彼女たちは思うところを堂々と述べるだろう。もうごまかさなくてもいい、自分を偽らなくてもいいというその声こそが、私を励ましてくれる。(p.293)
私も、いちどゆっくり復刻版の『青鞜』を読んでみたいと思う。
(3/6了) -
らいてうと「青鞜」の歴史を辿りつつ、自らが編集にあたった「谷根千」を振り返り、また、地域の歴史にも思いを致す、立体的な本であった。らいてうを程よい距離感で眺めることができた。らいてうだけでなく、青鞜にかかわった人たちについても。
子どものころに母の本棚から読んだ、この頃の女性たちのエピソードを、また読み直そう。 -
すっかり忘れていたが(笑) 卒論のテーマは「平塚らいてうと母性主義」だった。