マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書 310)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582853100

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  •  <span style="color:#0000ff;">ウェーバーは古代古典とゲルマンの中世・近代の類似という歴史学派周辺の問題領域から出発しながら、ヨーロッパ近代の歴史的淵源を求めてその起点としての古代ユダヤ教にまでたどり着いたのでした。(しかし、問題点を深化はさせたが、彼は著作を完成させることはなかった)
     「プロ倫」であらわした禁欲と職業倫理の関連という問題を超えて、アジアの宗教との対比を通じて浮かび上がったものこそ、「世界の魔術からの解放」という問題点であった。
    </span>
     ウェーバーは世俗的な父親と、敬虔なプロテスタントの母親との間に生まれた。
     だが、両親の中はあまりうまくいかず、彼が父親を追い出すような格好になり、それを彼は気にやんでいた。

     かねてより、政治に関心のあったウェーバーは、国を管理する新興の政策科学として「経済学」にひかれ、それを職業とした。
     当時のドイツは歴史は一回限りの個別的な現象であるとする歴史主義者が主流であり、ウェーバーはそれを踏襲した。
     発展していたドイツの、歴史学の課題のひとつは「古代古典とゲルマンの中世・近代の類似」であり、なぜヨーロッパで近代資本主義が発展したか、であった。
     欲求を満たすため貨幣を獲得するのではなく、貨幣の獲得自体が目的化した倒錯した欲求の背景を解き明かすため、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を表した。
     そこには、プロテスタントが、辞書がドイツ語に翻訳される際に「職業」が「ベルーフ(召命・神への奉仕)」と訳され、職業に熱心に励むことが神の命令をひたすらに励むことであり、それが自らが予定説において救われることの証左となる、とされた。
     だが、ウェーバーはさらに問題点を深化させ、さらに源を古代ユダヤ教にさかのぼって求めた。
     そこで彼は、ヤハウェを信仰していたユダヤの民が、バビロニア帝国の虜囚となり、さらにバビロニア帝国がペルシア帝国によって崩壊したため、彼らが帰還したことにより、ユダヤ教に今までの宗教にない特徴がふたつ表れたとした。
     ひとつめは、その捕縛→帰還がエレミヤによって預言されていたこと。さらに、捕縛は神の天罰が下ったとする彼の言説がユダヤの民の中に罪の意識を定着させたこと。
     ふたつめは、いったん故郷のユダヤから引き離されることによって、エルサレムへの礼拝が集中化し、土地に定着していた祭儀が自然との決定的な断絶を経て、再編纂され、魔術的な要素が取り除かれる方向へ純化されていったことを挙げている。そこにヨーロッパが歩んだ「魔術からの解放」の起点を据えている。

  • マックス・ウェーバーの入門書。著者は「あとがき」で、本書のタイトルが岩波新書から出ている山之内靖の本と同じであることについて、「山之内氏が左を向けば右をというかたちで違った方向を追求することになり、結果としては対照的な、ところによっては正反対のウェーバー像にいきつくことになった」と述べている。山之内氏の本は、ウェーバーの思想を同時代の精神史的潮流、とくにニーチェの哲学との関わりの中で論じていたのに対して、本書は当時の政治経済学のトピックとの関わりを中心にウェーバーの学問の意義を解明している。個人的には、今まで知らなかった当時の学問状況について多くを学ぶことのできた本書の方が有益だったが、両方読むことでいっそうウェーバーについての理解が深められると思う。

    本書の前半は、ウェーバーの方法論がどのように形成されていったのかを解明することに当てられている。著者はまず、ランケ以降のドイツの歴史学の展開を、政策学から国民経済学への移行として見ることができるという。こうした展開を推進した歴史家たちは、学問的な歴史認識と実践としての政治との間に越えがたい溝があると考えたランケの立場を越えて、現実の政治へと積極的に参加していった。ウェーバーの論文『ロッシャーとクニース』は、こうした歴史学派の国民経済学の動向を受けて、その方法論的反省をおこなったものだ。そこでウェーバーは、経験科学は直接的に価値判断を導くことはできないが、一定の目的が設定されているときに、その目的に対して適合的な手段を教えることができると論じて、歴史的な科学としての政治経済学がどのような意味で政策科学としての有効性を主張しうるのかを明らかにした。

    続いて、ウェーバーの主著『プロテスタンティズムと資本主義の精神』や宗教社会学の研究の意義が、ゾンバルトやビュッヒャー、マイヤーといった歴史学派の経済学者たちの思想との関わりの中で解説される。歴史学派の経済学者たちは、世界史を一直線に発展する過程とみなす考え方を批判し、民族に固有の興隆と衰退の過程の分析へと向かった。ウェーバーはこうした問題設定を引き受けながら、禁欲的プロテスタンティズムの宗教的・内的な動機とそれがもたらす帰結とを描き出し、「魔術からの解放」をヨーロッパ近代のもっとも顕著な特徴とみなす観点を打ち出すに至った。

  • 宗教社会学、比較社会学の研究で有名なドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーの入門書です。ウェーバーの研究のみにスポットをあてるという手法ではなく、ウェーバーが研究するに至った経緯を、その時代の思想や時代潮流の連関で紐解くという手法がとられています。何故このような手法がとられたのか読み始めた時には判然としなかったのですが、ウェーバーが研究の対象とした比較社会学の比較の視座を著者が反映したものと思われます。前半はウェーバーが大学に入る以前の時代潮流が当時の学者や時代潮流とともに論じられています。当時のドイツの歴史学派とよばれる人たちが取り組んでいた「歴史学が現在の政治に利用できるのか」という課題が論じられています。中盤では課題を引き継いだウェーバーが、比較社会学では類推(アナロジー)と呼ばれる手法を用い研究する様が考察されています。また当時議論の対象となっていた資本主義が成立するきっかけとなった要因を、大衆と宗教との関連で着想します。各文明から類似と相違を取り出し比較、類推することで何故現代の大衆が資本から資本を生み出すという方法をとっていったのかという要因を探り当てます。最後は未完となったウェーバーの研究を、同時代のウェーバーが影響を受けたと思われる研究者の資料とウェーバーが残した資料と合わせて考察し、著者が現代の課題として提起しています。社会学の本を読むのが始めてということもあり読了後も納得のいくまで何度も読むという経緯があり半年以上の時間がかかりました。作中に出てくる単語や人名の意味が分からず関連の書籍を探したり、wikiを読むことに追われました。長い時間がかかりましたが、社会学から更に興味を惹かれる学問に行き当たるという副次的な産物もあり大変意義がありました。

  • 『プロ倫』をようやくの思いで読み上げて、ウェーバーについてもっと知りたくなった。
    この本は、「そもそもウェーバーって何ぞや?」という点で考えをまとめるのに役立つ一冊だと思います。

著者プロフィール

広島大学法学部教授

「2020年 『不戦条約 戦後日本の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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