俵屋宗達 琳派の祖の真実 (平凡社新書)

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著者 : 古田亮
  • 平凡社 (2010年4月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582855180

俵屋宗達 琳派の祖の真実 (平凡社新書)の感想・レビュー・書評

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  • とにかく謎だらけですが、大胆でクリエイティブで天才肌の巨人に意欲的に迫っています。規模・内容の充実したRIMPA展を思い出しつつ、改めて図録を眺めました。日本の美術史上、大きな高みを築いた光悦・宗達は、もっと深く知られるべきですね。そして、日本人が好む系譜〜装飾やデザインを追求する流れ〜を琳派だけに落とし込まず、スパンを現代まで広げ、骨太に考察した芸術評論にもっと出会いたいですね。

  • 近代日本美術研究の立場から、琳派成立の歴史的経緯を追いつつ、宗達芸術のエッセンス、琳派画家との相違、海外の画家との類似について鋭く指摘。まったく新しい宗達像を提示する。図版多数掲載。 稀にみる天才性で、日本美術史にその名を残す近世の画家。
    一般に琳派の祖と称されるが、
    実はその位置づけは、後年“奉られた”ものにすぎない。
    いったい宗達とは何者なのか、あるいは琳派とは――。
    近代日本美術研究の立場から、残された作品群を分析、
    琳派成立の歴史的経緯を踏まえつつ、
    まったく新しい宗達像を浮かびあがらせる。

  • 宗達を、琳派の始祖としてではなく、一人の芸術家として掘り下げている。躍動感、デザイン性、写実。どの要素も素晴らしい。

  • 『RIMPA』も行けなかったしなあ、なんて思い出しながらなんとなく手に取って、最初の章あたりはだらだらと読んでいたが次第に謎の画家宗達にすっかり惚れ込んでしまった(いやもちろん風神雷神はよく知っていたんだけど)。まだ見た事のない絵も白黒の新書の荒い画面から飛び出して来るようで、宗達の絵の生み出すのびやかな空間を味わいたくてうずうずする。惚れ込む研究者が多いのもまったくもって納得である。彼は孤高で、ほんとうの意味において特別なんだということがよくわかった。

  • 牽強付会というか強引な論理構成で読むのが辛い。
    心象をいくら積み重ねても論考にならない。
    俵屋宗達が特出した画家であり、また尾形光琳もそうであったといこうことは良くわかった。

  • 2015/12/17完讀

    宗達是否是琳派之祖?看完所謂的琳派展,我想幾乎多半的人會意識到這個問題:只有宗達是「別格」的存在。這本書很直接地指出琳派神話的無理之處(讀到這本書我才知道原來抱一根本不知道宗達,也沒看過宗達的風神雷神屏風!),確實如作者所指出,宗達是繪畫,而光琳完全是設計。作者更鋒利地指出琳派神話系譜的疑點:看到光琳的作品,就知道他不了解宗達。抱一的風神雷神被擺出來,甚至可能弄不好的話會降低他的評價(事實上絕對是這樣,那是抱一一點都不拿手的主題)。宗達的構圖的躍動感,構想的新穎性(例如白象圖,還有風神雷神第一次被單獨拿出來當主角)輪廓線濃淡各異其趣的融通無礙(例如風神雷神的頭髮,至於光琳的仿作就是"痛々しいほどたどたどしい線の集まりしかない")奥行き,細部的琢磨,光琳完全無視宗達的空間和感情表現,光琳完全重視非情、理性思考的設計性,把風神雷神原畫置換成他擅長的平面的畫面構成和重視裝飾的色彩對比,風神雷神躍動感完全消失。而宗達的細緻畫工,たらしこみ與各種技法的使用,充滿情熱,豪快、大膽而心細,精神與自由的深度,充滿生命感與躍動感的構圖(宗達從製作繪卷學到動的繪畫。甚至,利用屏風可摺的特性,製造出畫面的動感,例如関屋澪標図屏風),多視點的框架(日本話當時沒有意識到框架,因為是裝飾性功能為窩。而西方只有一個框架)等等,在在顯示這個跳脫時代的奇才的獨一無二,而他也正是在大正時代被發掘出來的,明治時代大家只知光琳,甚至光琳還是從アルヌーボ紅回來的。大正時代喜好自由的氣風,正好安土桃山的自由感一樣,讓宗達重新站上歷史的舞台。這本書提到,知情意,抱一是情,光琳是知,宗達是意,各自展現出時代的氛圍,這個觀點非常有趣。作者認為出光琳及其後應該稱為post宗達派(講後~~會誤以為同一派,後印象派也不是印象派)。

    最後作者甚至提到宗達作品和馬蒂斯共通點,就是都有音樂性,宗達就像爵士樂(可以搭配路易阿姆斯壯的聖者的行進....),舞樂圖屏風「ほど煮詰めた、簡潔に、強く柔らかい空間を持ち、緊張した余裕のある構成力のもったものあるだろうか」(長谷川三郎語)其實就是在用繪畫表現音樂。

    這本書的說明一一都非常合理,也解決這幾個月以來一直在看各大琳派展和書籍時揮之不去的疑問(琳派定義的模糊和構成員的強引感),和所謂"私淑"所形成的流派的三大風神雷神圖共聚的傳說的違和感(抱一的那幅放在那裏真的是一種災難,因為不認識他的人都覺得他是來亂的,我聽到旁人這樣講心裡實在淌血,因為我也很喜歡抱一瀟灑的造型感覺和俳諧的輕妙感。我想如果抱一有看過宗達的原畫,或許他的圖會有所不同吧)。這是一個被發明的傳統。雖然我覺得並不適切,但為了整理方便,還是決定保留琳派這個tag。

    宗達是極度地突出又奇特的逸才,沒有一個派可以框住他,也沒有人可以追上他的車尾燈,豪氣干雲而又富纖細畫工,真正把桃山文藝復興的時代空氣與爆發力傳達到現在。而我今天終於拜見関屋澪標図屏風,震驚於原來這就是利用屏風和構圖造成的躍動感(另外,只有源氏沒看到明石之君,其他人都在八卦的舉止實在太生動了。。。),還有簡素的配色和纖細的細部描寫。今年託大琳派祭之福可以看到很多宗達,希望之後還可以繼續見到他的畫作,感受他的人,聽到他豪快的笑聲。

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    2016.1註記:前往華盛頓DC觀賞宗達展,第一幅就是松島圖屏風,我才愕然且震撼地感受到宗達恐怖的線條威力。每一條都在如此歡快地生動地唱歌,每一條表情都不一樣!每個很波都不同!世上居然有這種東西!接著繼續看他和光悅的合作作品和伊勢物語、西行繪卷,發現他線條的秘密後實在被每幅作品的線條震撼到不行,都已經在快要吃飽撐破胸膛之際,雲龍圖屏風又給我了一個新的炸彈般的風馳電掣的威力與震撼,讓前陣子才剛看過京都禪寺天井龍大集合的我震撼地發現傑作的非情,宗達的龍都讓那些天井龍可以回去洗洗睡了。再來看到光琳的松島圖屏風(波士頓美術館),遠看更加精緻,細看海波也各自不同,但不知為何感覺到的冷澈就是無法吸引我。觀看這個展覽之後,深深覺得這本書的見地精準無誤,宗達線條的秘密之前我從未發現!光琳作品的設計感與冷酷,原來是讓我難以喜歡上他的原因。而宗達的松島圖屏風,光那些海浪謳歌著生命,歡快與美好,又是如此地剛健不帶任何地陰鬱,就像嵯峨野明月記裡面一樣,生死對他來說都不是問題了(豪壯歡快地把這些一腳踢開!)。看完這個展覽,覺得這本書真的是真知灼見,閱讀時深深覺得只有這本書講到我的心坎裡,但其中提到宗達的線和光琳與宗達的差異時,更只有這本書一針見血,我更是遲到來觀展才發現。總之,這本書是一本小書,又有點像即興的小作,但是卻是一本不可多得的優秀作品,也是在這個琳派林派被濫用叫囂的年代中的清流阿。非常非常值得一讀!

  • やはり、宗達は別格か。光琳らが宗達の画を理解しなかったことから琳派が始まったとするなど、鋭い観点に満ちた俵屋宗達論。そうなんだよな、宗達の画は「動いている」んです。だから、風神雷神にも、得体の知れない実在感があるのでしょう。

  • ★★★☆☆

    宗達は別格である。

    ーーという筆者の直観から始まる本書はなかなか刺激的。

    今まで考えなしに使っていた「琳派」という名称の定義を改めて見つめなおすことで、筆者はこれまで琳派の祖と言われてきた宗達を、琳派とは一線を画す存在として捉え直す。

    確かに言われてみれば、狩野派などと違って師匠から弟子へと技法や様式を伝承してきたわけでも、親から子へ受け継いできたわけでもない、場所も時代も離れている、宗達、光琳、抱一をひとくくりに「琳派」と呼ぶのはかなりの力技といえる。

    それでも素人目にはずいぶんと共通点がありそうな気がするのだが、ひとつひとつ筆者に指摘されると、なるほど確かにそうだ、と膝を打ってしまう。

    空間の捉え方や装飾性、マチスとの比較など面白いところはいろいろとあるのだけれど、中でも僕が一番はっとさせられたのは、宗達と光琳の風神雷神図屏風における、雷神の連鼓とショールの関係だ。

    連鼓が何なのかわからないという人は(風神雷神図屏風を画像検索するのが一番手っ取り早いような気もするが)いわゆる雷様を思い出してほしい。

    雷様が背負っている小さい太鼓を円の形につなぎ合わせたアレが連鼓だ。

    連鼓とショールの関係とは、ショールが連鼓の前に描かれているか、後ろに描かれているか、である。

    たった、それだけかと思われるかもしれないが、(ぜひ画像で確かめて貰いたい)それだけで全体の奥行きがまるで変わってしまうのだ。

    ショールを後ろに描いて奥行きと風を見るものに感じさせる宗達のダイナミズムに対し、ショールを前に描き全体を平面的に見せることで自身の芸術の志向のデザイン的な方向性を顕示する光琳。

    抱一や其一らの画風を考えればわかるとおり、僕らが今まで使っていた「琳派」という言葉は、事実上、光琳の確立したスタイルの継承を意味する、
    「光琳派」というべきものだったのだ。

    もちろんこれは筆者の考えであって、決して定説というわけではない。

    だが、琳派とは後世の者が先達を私淑することで継承されてきたのであって、その過程で受け継がれるものは学ぶ者の何を学び取るかという姿勢、視点次第で無数の受け継ぎ方があるわけだから、こういった解釈が可能な幅を最初から持っているといえる。

    想像だけど、きっとこの直観を得た瞬間、筆者はさぞ嬉しかったに違いない。

    エウレカの喜びに満ちている本はやっぱり面白いよ。

  • やはり「琳派」という分類は、学術的な意味にすぎず、個々の作家作品は繋がりがあるとはいえ、別物である。こと、宗達に至っては、光琳に影響は与えてはいるが、光琳とは「装飾性」と「意匠性」というキーワードで相違する。それは、「風神雷神図屏風」にみられる躍動感(配置、たらし込み)であり、「舞楽図屏風」の華やかな人物の動き、養源院「白象図」のような意匠性の中にも見出される象の迫力ある絵画的な側面だろう。顔のない作家宗達だけに、作品発出時期や人生の歩みなど謎が多いが、筆者はその作品観からそれらを推測しているのが面白かった。また、「蓮池水禽図」に代表される水墨画家としての宗達という側面も見逃してはならないだろう。線ではなく、光を描いている点に注目。

  • 各画伯の生い立ちなど、初めて知ることが多かった。しかし途中から難しくなってきた・・・

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稀にみる天才性で、日本美術史にその名を残す近世の画家。一般に琳派の祖と称されるが、実はその位置づけは、後年"奉られた"ものにすぎない。近代日本美術研究の立場から、残された作品群を分析、琳派成立の歴史的経緯を踏まえつつ、まったく新しい宗達像を浮かびあがらせる快著。

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