ニホン英語は世界で通じる (平凡社新書)

著者 :
  • 平凡社
3.46
  • (4)
  • (9)
  • (9)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 93
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582855357

作品紹介・あらすじ

日本人は英語ができない、といわれるが、英米英語を目指すことに無理があるのではないか?世界には、それぞれの国の「なまり英語」がある。コミュニケーションのためであれば、カタカナ発音でも、ちょっと端折った文法でも、日本人にあった英語が話せればいいのだ!さらば、ネイティブ英語!「ニホン英語」で行こう。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日本の英語教育は、Japanish「ニホン英語」の習得でよいい。英語教育の国際情勢は「グローカル」に進行している。

  • ノンネイティブの視点から考察する英語教育論。考えれば当然の事であるが、私達が日常早口でさっさとしゃべる日本語は外国人にはほとんど聞き取れないだろうことは、容易に推察できるのに、こと英語に関してはそれが相対化されていないのは矢張り欧米コンプレックスと考えざるを得ないのだろう。著者は外国語コミュニケーションの基本に「寛容」をキーワードに据えている。これも自明ながらも今に忘れられている姿勢だ。私達は舌足らずな外国人の日本語を微笑ましく、じっくりと聞いてあげる事もできるだろう。同じ事がどうして英語については云えないのか、ということ。本著は何となく心につかえていたものを、つまり、日本人の英語コンプレックスに風穴をあけてくれる。なんだ、そうなのかと。啓蒙書としての役割を十分に担う内容である。

  • メモ
    通じることが大切

  • 貸してもらった本なので、お礼の意味も込めて久々にレビューしますぴかぴか(新しい)


    『上手い英語を使おうとするな!』
    というメッセージが込められた本である。

    よく言われることだが、適当に喋っても十分通じるようだ。
    過去形とか語順や発音にとらわれず、下手くそな英語でもいいから『コミュニケーションしよう』と思えば十分。
    特に、対面で話す時は、聞き取れないほど速い英語を話されたら、自分を責めずに相手にゆっくり話してもらうようにコミュニケーションすれば良い。

    会話で唯一注意すべきことは『音の切れ目』だけ。


    thi si sa book

    と発音するようにするのだ!
    恐らく、単語ごとに発音するのではなく『母音で区切って』発音をすれば良いようだ。

    日本語は英語と文法や発音が離れてるから損と考えず、堂々とニホン英語を話せば良い!

    あの、秋山好古がごとく振る舞えば良いのだ。

  • 確かに英米人の話す英語より、アジア人、もっといえば日本人の話す英語が一番聞き取り易い。
    ことばはまずもってコミュニケーションの道具というのが何度も出てくるが、本当にその通りだと思う。
    文科省や、権威ある英米文学者が、正しい(?)英語に固執した英語教育方針が、日本人の英語下手をここまでにしてしまったんだ・・・という弊害になっていたとは、これまで思いも寄らなかった視点であった。


    (2011/5/16)

  • 世界には学校英語では耳にしたこともないようないろいろな英語がある。
    ドイツにはドイツ英語、フランスにはフランス英語、だから日本にも日本英語があってもよい、というのが筆者の主張。
    その通りだと思う。文部省が設定した英吾学習をまともに履修していなくても日本英語で、世界でビジネス交渉くらいできる。
    インド人なんて堂々とインド英語を誇りをもってしゃべっている。
    アメリカ人の英語はアジアの人々に対して55%の伝達率でしかないのに、日本人の英語はアジアの人々には75%という高い伝達率で理解されている。
    インド英語を学ぶ若者の大半は、教養あるインド人のアイデンティティとともいえる、インド英語の目標として取り組んでいる。
    アジアには他にも中国英語、インドネシア英吾、フィリピン英語など多彩である。

  • 英米英語の聞き取りが下手だと自分で思っていたが、英米人がどんどん端折っていって今の英語になってるようだ。
    なので、彼らネイティブと言われる英米人の英語発音は自国以外の人には聞き取りづらく、逆に我ら日本やアジア、インドの英語発音は癖があるものの意思疎通の道具としては充分その機能を果たすようだ。
    「発音と文法至上主義」の英語教育に一石を投げる良書だろう。

  • 日本人の几帳面さというか、生真面目な気質が言語教育にも現れているのだということに気付かされる。
    これは何も言語教育に限ったことではなく、普段の会社生活でもよく感じることだ。何事もつつがなく取り図られるように、根回しや簡単なすり合わせなどが頻繁に行われるのは日常茶飯事の光景だ。僕もそういう会社の風土には殆ど抵抗なく馴染むことができた。
    またこうした言語教育事情は、国民性だけでなく、各々の能力に差をつけさせなければいけないという受験界の事情や、自らの能力の正統性を確保、維持するための英語教師の事情なんかも大いにあると考えられる。
    そして何よりも日本人にとって、古来より、外国語は外国人とコミュニケーションを取るためのツールというよりも、外国の文明を自国に合った形で取り入れるためのツールであったという歴史的背景が今の言語教育にも重くのしかかっていると思う。そもそもその出発点からして内向きというか、島国的発想であったから、僕はそうした状況を変えていくのは、無理ではないが、ものすごく時間のかかることだと感じている。今でさえ日本で生きている限り、外国語を覚える必要性を殆ど感じないのだから。
    筆者の言っていることは至極真っ当で、僕もかなりの点で共感できるけれど、残念ながら、日本の言語教育はこれからも大きく変わることはないと思う。
    そういう日本では、大人になってから、必要な人が必要な時に、各々外国語を学ぶしかない。その時にこの本のようなスタンスで学習することはとても有効であると思う。
    僕も今、月に2回ほど英会話を習っているが、学生の時ほどは細かいことを気にしなくなった。極論を言えば単語とジェスチャーで通じればそれでよしくらいで考えるようになった。そう考えないと、とてもじゃないけどやってられない。
    なお本に関しては、内容は共感できるものだったが、あまり深みがなく、特別面白いと思えるものではなかった。

  • 共感するところ、多し。

全12件中 1 - 12件を表示

末延岑生の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×