犬の伊勢参り (平凡社新書)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582856750

作品紹介・あらすじ

明和八年四月、犬が突如、単独で伊勢参りを始めた。以来、約百年にわたって、伊勢参りする犬の目撃談が数多く残されている。犬はなぜ伊勢参りを始めたのか。どのようにしてお参りし、国元へ帰ったのか?そしてなぜ明治になって、伊勢にむかうことをやめたのか?事実は小説より奇なり。ヒトとイヌの不思議な物語の謎を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 最近では、自分自身の過去と向き合うことを「巡礼」と呼ぶらしいが、こちらは正真正銘の巡礼の話である。ときは江戸の時代、ところは伊勢神宮。だが、ここでお参りを行ったのが犬であったというから、只事ではない。

    最初に犬の伊勢参りが行われたのは、明和8年(1771年)4月16日の昼頃のこと。突然、犬が手洗い場で水を飲んでから本宮の方へとやって来て、お宮の前の広場で平伏し拝礼する格好をしたのである。その場にいた神官たちにとって、これはまさに事件であった。

    犬の飼い主は山城国、久世郡槙の島に住む高田善兵衛という者。つまりこの犬は、飼い主の元を離れ、山城の国のからはるばる伊勢までお参りにきたのである。

    「境内に犬を入れるな」とは、古くからの伊勢神宮における決まり事である。犬が死んだり、お産をしたり、死肉片をくわえてきたりすること、これらは全て穢れとされてきた。だが、その法すらも簡単に破られてしまったのである。そしてその後も、犬の伊勢参りの目撃談は、続々と頻出することになる。

    当時、ほとんどの人が「一生に一度はお伊勢参りに行きたい」と思っていた時代である。式年遷宮のある年などは、とくに参拝者も多かったという。しかし、伊勢参りに行けるのは、ある程度生活にゆとりがある大人がほとんど。女性、奉公人や子供たちは行きたくてもなかなか行くことが出来なかったのだ。

    これら庶民の伊勢参り願望は、しばしば「抜け参り」という行為を発生させた。仕事も何もかも放り出し、親や主人にも黙って、仲間と示し合わせて伊勢へ向かう。その抜け参りがさらに大規模になると、「御蔭参り」と呼ばれた。冒頭の犬は、御蔭参りの集団の後を追いかけていくうちに、うっかり伊勢神宮まで来てしまったのではないかと目されている。

    だがその後は、主人が自分の代わりにと犬に思いを託して行かせたケースなども登場する。一旦飼い主のもとを離れた犬には、「えらい犬だ」「伊勢参りの犬だ」とみんなが感心して銭を施してくれる。重くなりすぎて犬も大変そうだと、周りの人が銭を運ぶ。まるでお祭り騒ぎのうちに、事が運んでしまうのだ。

    日本の犬の単独旅行、最長距離記録も伊勢参りの犬によって樹立されている。幕末の嘉永年間に3年間の月日をかけて、青森・黒石と伊勢神宮との間を往復したのだ。その距離、推定で約2400Km 。しかも、このケースが凄いのは、誰かの勘違いがきっかけであったらしいということだ。

    この犬を偶然見かけた人が、「もしかしたら、これが噂に聞く伊勢参宮の犬ではないか。」と思う。そこで、どこの犬か誰でもわかるようにその犬と出合った場所、を木札に書き記して首から下げ、それから道中使えるようにと銭の穴にひもを通し、首にまいてやる。これにて、立派な「伊勢参りの犬」の出来上がりというわけなのだ。

    誰かが、この犬を伊勢参りの犬ではないかと思った瞬間、本当に伊勢参りが始まる。荷物が増えれば、宿場から宿場へ、皆が運んでくれる。善意の人たちが至る所にいた時代。犬にしてみたら、さぞかし迷惑であった可能性もある。善意と悪意は、まさに紙一重だ。

    さらに本書では、犬だけではなく、豚や牛の伊勢参りについても言及されている。しかも豚にいたっては、広島から船で瀬戸内海を抜け、潮岬をまわり熊野灘に出ることによって、伊勢神宮へやってきたというから驚く。豚が伊勢参りをした年は式年遷宮の年。願主は豚に代参させてまでも伊勢参りをしたかったのかもしれない。

    伊勢参りをはたした犬の多くが、白い犬であったという点も見過ごせない事実である。古来より白犬には霊力があると言われてきた。日本武尊は信濃で道に迷った時、白犬に導かれて美濃に出たとされてきたし、平安時代、関白・藤原道長は法成寺を建立し、白い犬をお供にお参りした。

    その霊力の真偽はともかく、白い犬の伊勢参りの話が広まるにつれ、その後も白い犬ばかりを参宮させようとする力学が働く。極端な話、白い犬が伊勢の方向へ歩いているだけで、「この犬は伊勢参りしようとしているのではないか」と思い込んでしまうことも起きかねなかったのだ。

    人々が「伊勢参りの犬」と認識しない限り、犬は伊勢に向かうことも帰ることもできない。犬たちは周りの人たちが期待しているように行動すれば、やがてうまいものにありつけることも知っていたものと思われる。それを「お参り」という行為に結びつけて解釈したのは人間の方なのである。犬の伊勢参りは人の心の生み出した産物でもあったのだと著者は言う。

    そんな犬の伊勢参りだが、明治になって間もなく途絶えてしまうことになる。文明開化とそれに伴う洋犬至上主義が、まさに犬の飼い方まで変えてしまったのだ。最後と思われる犬の伊勢参りは明治7年、東京日本橋・新和泉蝶の古道具屋渡世の白犬によって記録されている。やがて犬の伊勢参りは、そういう事実があったことさえ人々の記憶から抜け去ってしまうこととなった。

    それにしても、犬の伊勢参りが行われていた時代の日本、まさに魅惑のワンダーランドである。伊勢神宮の厳粛さと、犬・豚・牛の参拝という猥雑さが織りなす、奇跡的なスペクタクル。信じることが苦行の道のみにあらず、信仰と娯楽が十分に共存していた時代の話。まるでお伽話のようなノンフィクションであった。

    美しい共同体と、そこにあったケミストリー。これは過去の日本人の姿と向き合うことで見えてくる、「喪失の物語」でもある。

  • タイトルの面白さも有りますが、中身もしっかりとした調査に裏付けられたものです。江戸時代の犬の扱いがどういったものだったのか、現代とどう違うのか、どうしてそうなっていったのか。
    そして江戸時代の人々の「これは伊勢参りする犬だから大切に扱おう」という暖かさと大らかさが、このタイトルを実現させていたという現実。忘れかけていた大事なものを教えていただけました。

  • 面白かった。こういう、政治や経済の大きな話では全くなくて「だからどうなんだ?」ではあるけれど、間違いなく歴史や社会の一面を物語るルポ、好きだなあ。

    犬が伊勢参りをする。「え~、ほんと?ま、そんなこともあったかも」くらいにしか思っていなかったが、筆者は丁寧に文献等にあたってその実態を明らかにしようとする。実際に多くの犬が人々の助けをうけてお伊勢参りを果たしていたそうだ。豚や牛までというのが驚きだ。

    このことに過剰な意味づけなどをしないところがとてもいい。すまし顔で街道をトコトコ歩く犬と、それを見守り大事にした昔の人たちの姿を思い描くだけで、とてもおおらかな気持ちになってくる。筆者あとがきにあるとおりだ。

    「もし伊勢神宮を訪れる機会があれば、その時に、お祓いをつけ、首に銭を巻き、人々の見守る中をすたすた歩く犬の姿を想像してもらえたら、と思う。犬も不思議、人も不思議、でも、なんだかほのぼの、あったかい」

  • 「シロや、お伊勢さんにお参りしてきておくれ」「あいー」---かくして、江戸時代の犬の壮大なおつかいが始まる・・・

    今年は2013年、伊勢神宮の遷宮の年である。遷宮の年は多くの人がお参りをする。
    それにちなんで、今日は犬も伊勢参りをしたらしい、という本を。

    ときは江戸。
    伊勢神宮の遷宮に触発されて、庶民が大挙してお参りに向かう、「おかげ参り」が発生した。ほぼ60年に一度の周期で何度か起きている。
    伊勢は決して行きやすい場所ではなく、旅費も掛かる。庶民が気安くお参りできる場所ではない。「お伊勢さんに一度はお参りしたい」と思う庶民の思いが遷宮を期に爆発し、十分な旅費も持たず、奉公人も主人に断りなく、集団で伊勢に向かう事件が生じたのである。別名「抜け参り」とも言う。

    この「おかげ参り」に付随して、伊勢参りをする犬の話が残っている。
    首に在所が書かれた札と幾ばくかの路銀をぶら下げ、伊勢参りに向かったという。「抜け参り」も困難であったものか、飼い主が犬を代参に寄越すのだ。
    「伊勢参りの犬」ということで、道中大事にされ、先々で食べ物をもらい、寝床を借りる。実費を取ってもらうはずの路銀が、逆にお賽銭をもらって増える。あまり増えて犬が重そうだというので、小銭を銀などに換えてくれる親切な人がいたり、挙句は代わりに持ってくれる人まで出たりする。
    つつがなくお参りを果たし、神宮のお札をもらってまた元の家に戻っていく。
    こんな話がいくつも残っている。

    ことの真偽については当時から賛否両論あったようである。
    当時の犬は今とは違い、引き綱などを付けない方が一般的である。それが本当に伊勢までいってまた故郷に戻れるのか。
    虚言である、というものと、いや、これはあったことである、というものがいる。
    江戸時代に写真で証拠を残せるはずもなく、また地方から伊勢までの犬の旅に最初から最後まで付いて歩く暇人もいないだろうから、書面に残る記録はすべて、断片的な見聞であったり、伝聞であったりする。
    著者は江戸期の多くの日記や随筆、役所の記録等を調べ、犬の伊勢参りに関する記事を丹念に洗っている。結果、(もちろん犬自身に信仰心があったわけではないが)犬が伊勢参りをした事例はあっただろう、と結論づけている。

    大勢の人が伊勢に向かう。そこに紛れて犬も歩く。こっちだこっちだ、と人が歩けば、こっちかこっちか、と犬も付き従う。
    帰りの道には、在所の札を見て、次の宿場まで申し送りがされ、そちら方面に向かうものと一緒にまた旅する。ご丁寧に、犬がいくらの路銀を持っていたかまで申し送られたりする。あいにくと犬が姿を消してしまった場合には、その旨、故郷の村に知らせる役所もあったようだ。

    犬は元来、穢れとして神社への立ち入りは忌み嫌われていた。おかげ参りの賑わいに紛れてか、いつの間にやら犬の代参が「ありうるもの」になってしまった。この際、多くは白い犬がお参りの犬とされたようだ。
    当時は犬の飼い方もゆるやかであり、町や村全体で何となく面倒を見てもらっている、「地域犬」のようなものもいたという。こうした犬が地域の代表として代参したこともあったらしい。

    犬の伊勢参りとして記録に残る最後の事例は明治7年。
    文明開化は犬の飼われ方も変えた。首に飼い主を記した札を下げない犬は、無主犬として殺してもよいことになった。通行人に噛みついたりした場合は、飼い主が責任を負う。狂犬病への怖れも犬を管理する方向へと拍車を掛けただろう。
    犬はつながれて飼われるものへと変わっていった。
    昭和期にはまだ、犬が買い物かごをぶら下げておつかいをするなんてのどかな話もちらほら聞いたが、いまや、犬は原則、外ではリードを付けて飼い主に引かれる。

    胸を張り、街道を伊勢へとトコトコと進む犬。「おお、お伊勢さんにお参りかい。偉いねぇ」と頭の1つも撫でてもらい、ちゃっかり美味しいものももらう。
    確たる証拠はなくても、こんなおおらかな光景を想像するのはちょっと楽しい。


    *犬に関する行政史というのも少々興味が湧く。

    *著者は動物文学会の会員誌(市販はされていない)に「犬の日本史」を連載しているとのこと。書籍化されればこちらもおもしろそう。

    *引用されている文献は、著者によって適宜現代語訳されている。一般書であるので、気楽に読めてそれもありか。

  • 江戸時代にあったという犬の伊勢参りを検証している。多くの史料が残っている事実で、最初は珍しかったが、幕末には普通の光景になっていたという。豚や牛もお参りをしたが、明治維新後は、動物の伊勢参りは、ばったり途絶えたという。現代の目から見ると、江戸時代の人も動物も夢の世界の住民のようだ。

  • 我が家の愛犬空、ミニダックス、の頭を撫でながらこの本を読み進めた。
    伊勢参りをする犬の話はどこかで聞いたことがあったが、詳しい内容についてはよくわかっていなかった。
    本書には人々の善意が溢れている。被害者もいなければ被害者もいない犬と人間の関係は、現在と江戸時代では大きく違うのだろうか、犬が人間と深い関わりを持っていたと言うのは、長い時代を通して続いているのだということがよくわかった。
    20年に1度の遷宮と、60年に1度の御鍬祭りがこの犬のお伊勢参りにも大きく関連しているのだろうなと改めて感じた。

  • 犬が伊勢参りするというが本当か?と言うのを様々な文献から読み解く面白い本

  • 現在と江戸時代とでの
    動物(主に犬)の扱い方
    人(町・村)との関わり方
    全てを素晴らしいと受け取るのは
    違うと思うが
    動物(犬)にとってはどちらが
    幸せだっただろうと思った
    白い犬は人懐っこい性質がある(気がする)
    市のリユース文庫にて取得

  • 2022/04/10

    学校のレポートのために読みました。
    物語というか論文を読んでるみたいで、歴的な資料も多く出てきて感じが大変

  • そんな事ある?!と思ったけど、これならあるなと。

    御札が降る仕掛け、頭いいなと感心してしまった。
    あと豚の伊勢参りのとこも。

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著者プロフィール

仁科 邦男(にしな・くにお)
1948年東京生まれ。70年、早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。下関支局、西部本社報道部、『サンデー毎日』編集部、社会部などを経て2001年、出版担当出版局長。05年から11年まで毎日映画社社長を務める。名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わり、その生態がどのように変化してきたか、文献史料をもとに研究を続ける。ヤマザキ動物看護大学で「動物とジャーナリズム」を教える(非常勤講師)。著書に『九州動物紀行』(葦書房)、『犬の伊勢参り』(平凡社新書)、『犬たちの明治維新 ポチの誕生』『犬たちの江戸時代』『西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか』(いずれも草思社)がある。

「2022年 『文庫 「生類憐みの令」の真実』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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