憲法九条の軍事戦略 (平凡社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582856798

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  • かつて日本最高峰の平和「戦略」を語ったと言われる中江兆民の「三酔人経綸問答」を紐解くと、意外にも最も兆民の意見に近いと言われた南海先生の意見は数頁で済まされ、全面的に展開されることがなかった。つまり、兆民の平和戦略はこの名作の中では全面的に展開されていなかったのである。

    今回この本を読んで1番に思ったのは、「南海先生大いに語る」ということだった。

    もし、現代の理想主義紳士くんが言を発せば「憲法9条の精神を実現しようとすれば、ありとあらゆる戦争は否定されなくてはならないし、そのための軍備も絶対持ってはならない、そのスタンスを貫かないと世界に平和を広げることが出来ない」となるだろう。しかし、紳士くんにその実現の戦略を聞けば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と、かなり形而上的になるのではないか(←これは著者ではなく、私の憶測)。

    現代の豪傑くんの意見を簡単に言えば、「現実を見よ!北朝鮮のミサイルが堕ちてもいいのか!尖閣諸島が占領されてもいいのか!やられる前にやり返す軍隊を持つことこそ、最大の防御であるし、友人の米国を助けるのは人情として当然」となるだろう(←私の憶測)。

    この本は紳士くんも豪傑くんも論を展開しない。ひたすら南海先生が約180ページを使って、戦後の日本に軍事戦略と言えるものはほとんどなかったことを明らかにし、9条と防衛の両立を目指す、実にプラグマティックな論考を展開するのである。

    実際1957年に決定された「国防の基本方針」を初めて知ったが、この56年間日本はなんと無為無策だったのか改めて思った。

    その「基本方針」とは、「日本は自衛のための防衛力をもつ」という。しかし一方で、「侵略に対しては」日米安保で対処するというのである。少なくとも文面上、侵略された際に日本が何をやるのかという問題は、一言もふられていない。自衛隊の役割を検討しないまま、ただアメリカに頼るという表明が「国防の基本方針」の真髄だったのである。(44p)

    豪傑くんは現実を見よ!とよく言うが、オスプレイを配備することは、中国に対し刃物を突きつけることと同義なのである。その現実は見えているのだろうか。政府はアメリカの言いなりであり、そのことに対しなんの見解も表さないし、メディアも追求しない。

    南海先生の軍事戦略は一見あまり画期的なものはない。政治意識の低下している現代日本でも、ちょっとした「市民」ならば言いそうなことだ。曰く、
    第一に、日本が侵略される有事を想定した「専守防衛」戦略である。
    第二に、侵略が予想されるような場合の「経済制裁」戦略である。
    第三に、諍いを戦争に発展させないための、平時における「安全保障共有」戦略である。
    しかし、南海先生の素晴らしいのはその具体性にある。

    第一の「専守防衛」はその本来の意味を取り戻す。武力攻撃が発生した時点で反撃に転じる。反撃の態様は相手国の攻撃を排除するのにとどめること。それを成し遂げるための必要最小限の装備をすること。つまり、侵略には反撃するが、過剰な反撃はしないということだ。ミサイル発射基地に対しては、攻撃が継続している場合に限って相手国のミサイル基地のみを叩く。核兵器の保有は論外である。「ただし、この問題の大切なことは、日本が中国や北朝鮮のように、相手国に到達するミサイルなどをもつことにあるのではない。目指すべきは、他国もまた日本と同様、そのような兵器を削減し、保有しないようにしていくことである。だから大事なことは、理論的には持てる兵器であり、持てることを明らかにしつつも、「持っていない」ことを逆手にとった交渉と対話こそが、日本の本領を発揮すべき分野になると考える。(134p)」

    第二には、失敗しない「経済制裁」の戦略である。成功例、失敗例を学べば、自ずと何をすべきかは出てくる。日本はそれさえも出来てない。拉致問題での経済制裁は見事な失敗例だという。

    第三は平時における戦略である。
    相手国からの侵略を受けるような事態になってしまうことは、たとえ自衛権を発動して防衛することができたとしても、実は軍事戦略が半分は失敗したことを意味する。自衛権を発動する事態にならないような平時の関係をつくりあげてこそ、成功する軍事戦略と言える。(149p)

    著者はこの例として尖閣諸島問題の解決方法を詳しく語っている。私はこの問題にあまり詳しくはないが、大筋で賛成する。

    南海先生、少し得意げに語っているのは、ここまでは自衛隊の存続のままの戦略であるが、これでもまだ実現はむつかしいだろうから、安保存続のままの戦略を披露している所である。

    つまり、アメリカに「9条の軍事戦略」への同調を求めるのである。具体的には179pに書いてあるようなことになるだろう。

    現在アメリカの軍事戦略は分裂している、という。ならば、日本が「9条の軍事戦略」の有効性をアメリカに認めさせる、アジアの安定がアメリカの利益にもなると認めさせる、つまり9条をもつ日本だからこそ中米の仲立ちをするのである。それこそが日本の役割ではないか、というのである。

    私は、これは「戦略」として素晴らしいと思う。

    日本という国は、いっとき切れて乱暴者になったことはあったにせよ、基本的には引っ込み思案のリベートの苦手な心優しい人間だ。この日本が一皮剥けて、勇気を持って、米国と中国という巨人を仲直りさせることが出来たならば、世界も認めるだろうし、日本自身も自信を持てるだろう。

    私は日本国憲法は「自衛権」は認めていると思う。このテーゼが崩されたら、この論議は最初から出来はしない。

    もちろん、この論議には、私は総論賛成だが、各論では異論というか、果たさなければならないいくつかの課題があると思う。今、思いつくままに箇条書きで書いてみる。

    ●自衛隊を認める場合の憲法9条との整合性を明らかにする。少なくとも「国防の基本方針」は大幅に書き換えなければならない。
    ●国会の力関係では、少なくとも安倍に代表される靖国派は一掃されなくてはならない。その戦術は?
    ●少なくとも現在の脱原発派以上の世論の意思統一が必要。その戦術は?
    ●ある程度、世論が喚起された段階で必ずアメリカと財界は潰しに掛かってくる。それに対する戦術は?

    等々‥‥。

    著者も書いているが、護憲派の「運動家」には自衛隊は「無条件に絶対反対」という人が多い。それでは、「自衛隊は認めるけれど、戦争に繋がる動きには反対する」という広大な国民の層と「連帯」出来ない。もちろん、無原則な連帯はしてはいけない。しかし、「自衛隊を認めても護憲になる」という道があるのならば、「自衛隊を認めたらなし崩し的に戦争になる」と言って橋を渡らないのは、思想の柔軟さを欠いた未来の無い道だと言わざるを得ないと思う。

    2013年8月13日読了

  • 日本には憲法9条がある。世の中には憲法9条改定の流れと、9条を変えずに守ろうとする両派の対立が存在し、両派の意見をベースとする書籍や評論も多く存在する。前者であれば自衛隊の存在意義や海外の支援活動を活発化し、国際的に協調路線を取るような意見が多く、後者は日本が太平洋戦争から立ち直り、現在もなお平和を維持している根拠を9条に求める。その様な書籍は多く読んできたが、9条をベースに戦略を持つべきとする内容は珍しい。
    戦後日本はアメリカの描く対ソ連戦略に巻き込まれ、自主性のない戦略をとってきた。独自の軍事戦略がない事は、単なるアメリカ任せの楽観的な考え方だと言えるし、アメリカにも随分と振り回されてきた。アメリカのアフガン攻撃、911対テロ戦争、台中国体制にも自動的に組み込まれてきた。
    民主党政権時に尖閣近海で自衛艦が衝突される事件があり、その後の自民党や維新の会は益々日米同盟を基軸とする安全保障=アメリカ抑止力ありきの戦略にそれまで以上に固執する様になった。それらを筆者は「安保抑止戦略」と呼んでいる。本書はアメリカ抑止力頼みの戦略から、世界に名だたる憲法9条をベースとした「9条の軍事戦略」を考える一冊である。
    まずは9条の基本的な説明からスタートするが、自衛権発動の三要件(わが国に対する緊迫不正の侵害があること、この場合に他に適当な手段がないこと及び必要最低限度の実力行使にとどまるべきこと)を確認した上で、本格的な日本の軍事戦略を考察していく。ただ、憲法9条がほぼ国際法と同じ事を言っており、それ程世界で言われている事と変わらないことも注意する。9条に独特なのは、戦力と装備を必要最低限にすると明記した事、集団的自衛権を否定した事の2点である。また、国連憲章は集団的自衛権を全ての加盟国の権利として認めだが、9条は否定した。これが前述した改定の動きにも繋がっている。
    再三述べたようにアメリカは日本に対して相互の利益が対立するような交渉シーンでは、これまでも安全保障条約を盾にし、日本側に妥協させる戦術を使ってきた。だからこそ、9条に基づく日本の姿勢=軍事戦略の必要性を強く主張する。
    9条の特徴を活かす事で、各国の武器兵器削減の交渉の先頭に立つことができ、紛争における和平交渉などにも積極的に介入する、それが戦後一度も敵に対して銃口を向けたことのない日本だけが取れる立場であるという。確かに平和維持活動を展開し、災害の多い我が国でも輝かしい成果を挙げてきた自衛隊に相応しい戦略ではないだろうか。これまでに各国が批准してきた国際的な武器削減に向けたルールづくりなどにも、我が国は積極的に意見を出せた。それはそもそも核にとどまらず、武器保有や売買自体を否定もしくは最小限とする9条の理念に基づいている事が大きく影響している。世界から見た日本も戦争を否定し平和を固持しながら経済的に成功をおさめた実績があるからだ。
    この様に互いが武器を持って抑止を図るよりも、よほど双方の利益のために手を取り合う事が重要だと本書は繰り返し述べる。それが9条の軍事戦略なのである。ある意味理想にも聞こえるし、せかいが一斉にその方向に向かうというのはあまりにも楽観的すぎると感じるだろう。だがそこに至るまでの具体的なプロセスまで踏み込んだ記述となっており、実現できる様な期待感も持てる。
    アメリカ抑止力頼みの「安保抑止戦略」では、何ひとつ自国の意見や主張が出来ず、する事を避けざるを得ない日本がとってきた戦略だ。そこから脱却する為には、わが国自身の考え・戦略を持ち、それを明示した上でアメリカ含む諸外国と交渉していくべきだ。それこそ国家の利益・安全・将来に繋がっていくと筆者は信じる。

  • 2013年刊。本書は所謂9条堅持を前提に、現代の国際社会にていかに安全保障を図っていくか、これを模索する書である。まぁ本書叙述の処方箋で十分だとは、残念ながら言いにくい。が、銃を他国の人間に向けないで70年経過したこと自体が他国の信頼感を勝ち取り、国際社会における特異な立ち位置を確保しうる。脳にハッと気づかせる発想の転換を経て物事を眺めるのは、不可欠な思惟活動だ。第2は①報道されない、国連での日本の活動と②自衛権や9条の国際公法的な観点からの解説がある点だ。さらに集団的自衛権の発動と目される過去例が列挙。
    ところが、その実は、ハンガリー動乱時やアフガン侵攻時のソ連、ニカラグア侵略やベトナム戦争介入時の米国などであり、とても自衛権発動と解せないケース(むしろ侵略に相当しよう)が目白押し。そもそも改憲派がさも外交軍事戦略を持っているかの如き点に対する、「いや、その実は大したことはないよ」というのは全くその通りで、ゆえに、従前の日本の様々な主張が多くの国の共感を得ていると聞かず、日本の国連常任理事国入りの主張に、国連加盟各国の支持が広がらない(結局、米国べったりの票を増やすだけ)こともその証左か。
    現代世界が何のルールもない弱肉強食だけの世界と見るのは不正確で、国連が定めたルール、あるいは慣習法で形成された国際公法と呼ばれるルールの元にある(でなければ、領海・領空も定められず、排他的経済水域も同様)。自衛権の内実もそのルールの一に相当するという実に当たり前のことに気付かされた一書である。PS.国際公法。

  • 読んでは見たもののこの人の言葉はいくら文章を読んでも入って来なかった。あまりにも楽観論な感じがするからだろうか?あまり関心しない内容であった。

  • 面白い視点だと思いますが,現実的には。。。

  • 現在、一方では、尖閣を日米安保条約第五条(共同防衛)の適用地域とする一般的な日米合意がある。しかし、他方では、日米政府間の合意文書「日米同盟:未来のための変革と再編」(2005年10月29日)によると、"島しょ防衛は自衛隊の仕事"だと取り決められており、オスプレイどころか在日米軍そのものについても、尖閣防衛という事態において何らかの役割を果たすことなど想定されていない。それにもかかわらず、漠然として不安が日米安保を強化することへの支持を生み出している。(P.19)

    日本の軍事戦略というのは、ただただアメリカ一国に依存するというだけのものでしかないというのが、この小泉発言が示したことであったといえよう。やはりそれは戦略の名に値しない。(P.70)

    憲法九条の制約という言葉がよく使われるが、専守防衛という日本の考え方と国際法の間に、それほど乖離がないことは理解していただけたであろうか。これは武力を違法化しようというのが国際法と国際政治の流れなのであるから、いわば当然なのである。ということは、自衛権の要件を厳守することは、九条のある日本だけの制約ではないということだ。本来ならどの国も守るべきことを、九条があるが故に、日本が率先して守っているという程度のことでしかないのである。(P.91)


    集団的自衛権の行使を求める人々は、心の底から、それが日本の防衛のために必要だと考えているようである。なぜなのだろうか。おそらく、イラクに自衛隊を派遣した小泉首相の論理と同じであろう。、アメリカが困ったときは助けておかなければ、いざというときに助けてくれないだろうというものだ。後方支援だけでは不十分だと叱られるので、戦闘行為にも参加して血を流しておくことによって、いざというときはアメリカも血を流してくれることを期待するというものだ。相手に好かれるためには従順になればいいのだという心理は、国際政治どころか、いまや恋愛小説の世界でも通用しないだろう。(P.108)

    だから大事なことは、理論的にはもてる兵器であり、もてることを明らかにしつつも、「もっていない」ことを逆手にとった交渉と対話こそが、日本の本領を発揮すべき分野になると考える。すなわち、九条の軍事戦略を確立した日本は、他国に対してはも、同様の戦略を採用すべく働きかけるのである。九条の「制約」が世界的規模で軍備の規制に貢献したことはすでに紹介したが(第三章)、日本は九条の「優位性」
    をフル活用し、自衛の範囲を超える軍備を持たないよう各国を説得するため、全力をあげるべきだろう。(P.134)

    日米地位協定の規定によれば、このイタリアの実例と同じく、アメリカが裁判することになっている。そのこと自体は地位協定の定めなのだから、仕方がないかもしれない。ところが、この五万件の事故中、アメリカが裁判がおこなわれたのは1件にすぎないことが、外務省の資料で明らかになっている。(P.173)

    これは、日本を防衛する場合も、抑止戦略で他国に打撃を与えるのではなく、自衛権の発動の範囲にとどめるべきだということだ。日本もアメリカも同じ自衛権を行使するといっても、ミサイル策源地(発射基地)攻撃など日本には軍事能力上できないこともあるので、それで分担することをアメリカに求める選択肢もある。(P.178)

  • 尖閣騒動以降、書店にはやたら勇ましい内容の本が並ぶが、一方で護憲勢力もこれまでの理想主義を繰り返すのみ。結局どっちにもシンパシーを抱けずにいたのだが、本書は現在の東アジア情勢を踏まえた現実的な視点を導入しつつ、9条を梃子に今後の日本のとるべき軍事戦略を探ろうとしており、ある程度共感できた。

    現状の安保依存姿勢、特に「専守防衛」、「米軍の抑止力」、「集団的自衛権」が、日本の敵対勢力を増加させる役割を持つことや、冷戦構造崩壊後20年が経過しても、日米安保の枠組みが旧態依然としたままであることの不安定さの指摘は、これまでの護憲派と同じ理屈で目新しさはない。

    この本の特異なところは、9条とこれを維持してきた日本の平和志向性を、日本に対する軍事的な圧力の緩和と国際的地位の向上に積極的に活用しようとする点。その中で、これまで護憲派が敬遠してきた「侵略への反撃」にも正面から議論が行われている。

    ただ、肝心の軍事戦略自体は「戦略」と呼べるほどの具体的記述が伴っておらず、若干ナイーヴな「決意表明」の範囲に留まる。それでも、「相手が軍事力を増強したからこっちはそれ以上にやる」という緊張増強型の対応(中国を想定した場合、明らかに日本に不利)より、「非力であることを逆手に取る」という緩和型対応のほうが、国際世論を味方につけるという意味では遥かに知的で、また希望のもてるやり方かもしれないと思えた。

  • このアイディア自体はおれが三年くらい前に小論文にまとめたようなもの。
    国際法と専守防衛にそれほど乖離がないが、必要最小限度の防衛力しか持てず、集団的自衛権を行使できないことが制約だが、実は優位性になりうる。軍備登録制度の採択や小型武器問題で日本が重要な働きができたのは、自国の制約が他国の規制を要求する道理、資格を与えたからとゆう意見がある。また、集団的自衛権が大国の軍事介入の口実として使われる現在、集団的自衛権をどう制約していくかが世界の流れ。そして日米の艦船が一緒にいて米だけ攻撃するのは理由があるから、それを考えず米軍を助けることで日本も敵対する。そうでなく、日本は双方に武力行使を回避するよう説くことをすべき。
    九条の軍事戦略として、従来型の懲罰的抑止ではなく拒否的抑止を持つ。米のキューバ制裁の失敗、国連のリビア、南ア制裁の成功例から学び、対象国の人々、多くの国を味方につけ、明確な目標を持って交渉していく経済制裁を実施していくこと。
    また、対中では経済的な相互依存、防衛交流の深化、集団安全保障体制を作っていく努力が必要。
    日米安保は支配従属の関係であり、米にとってただの配備の変更であるオスプレイも中国にとって敵対的で、それに日本は逆らえない。日本は自主的な戦略をまず確立し、その上で米を説得していくことが必要。

  • 物騒なタイトルだが、「軍事力を強化して、日本も戦争の出来る国にしよう!」という本ではない。また、私自身も戦争には絶対反対の立場であるが、ここ数年で日本国内の空気がはっきりと変わってきたと感じている。
    「戦争は嫌だけど、色々考えると、日本も軍事力を強化した方がいいんじゃないか?(軍事力の強化もやむを得ないのでは?)」というのが、多くの国民が漠然と思っていることではないだろうか。
    そのような現実に対し、護憲派の人たちがよく口にする「話し合いで平和的解決を」には、理想としては共感するし、そうあるべきだと思うけれど、どうも話が噛みあっていないのではないか?と常々思っていたので、この本はとても興味深く読んだ。
    この本の中で著者は、次の3つの提案をしている。

    ・もし、日本が侵略されるようなことがあっても、国民の命と財産を守る
    ・周辺諸国の軍隊との対立を減らし、協調を増大させる
    ・日米安保に代わる平和の軍事戦略を採用し、アジアの平和と安定を実現させる

    この3つが、「九条の完全実施」であり、九条があっても国防は可能だ!と。
    そこに至るまでの道筋としては、かなり実現困難と思われることが書かれている。しかし、議論を煮詰めていくことでまた違った発想も出てくるのではないだろうか。
    これまで憲法に関心がなく、日米安保についても余りよく知らない人でも読みやすい本であると思う。

  • 著者はジャーナリストというふれこみだったので、ネット検索してみれば、K産党候補にもなる左派の人でした。そのせいか、ガチガチでは無いにしろ、一歩引いてもやはり理想論としか捉えられない。だが、第9条の戦略を達成するために自衛隊を合法化したり、将来的にアメリカを説得して在日米軍の規模縮小、日米安保破棄を目指すという方針はかなりの進歩か。しかしながら、かつてS民党は党是であった自衛隊の違法性を転換したことによってその支持者を失っていったのではなかったか。反J民票がM主党やI新、Mんなの党ではなく、K産党へと流れた東京都議会選挙の流れを受けて、来る参院選で躍進するかもしれないK産党が著者の戦略を受け入れる時、どういった流れが起こるかが興味深い。ただ、第9条を維持しつつ、自衛隊を正当な軍隊とする旨を追加するとするマニュフェストを発表したK明党も、連立政権内にあってJ民党をけん制するという意味では眼が離せない。

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著者プロフィール

松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)
1955年長崎県生まれ。 ジャーナリスト・編集者、日本平和学会会員(専門は外交・安全保障)、自衛隊を活かす会(代表・柳澤協二)事務局長。一橋大学社会学部卒業。『改憲的護憲論』『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』(共に集英社新書)、『9条が世界を変える』『「日本会議」史観の乗り越え方』(共にかもがわ出版)、『反戦の世界史』『「基地国家・日本」の形成と展開』(共に新日本出版社)、『憲法九条の軍事戦略』『集団的自衛権の深層』『対米従属の謎』(いずれも平凡社新書)、『慰安婦問題をこれで終わらせる。』(小学館)など著作多数。

「2021年 『「異論の共存」戦略』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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