イルカ漁は残酷か (平凡社新書)

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著者 : 伴野準一
  • 平凡社 (2015年8月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582857856

イルカ漁は残酷か (平凡社新書)の感想・レビュー・書評

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  • イルカ漁は残酷である。この本はハッキリと断言している。
    太地町で行われているのは言い訳のしようのない残虐行為で、これほど長く苦しむ殺し方は世界のどこにもない。ザ・コーヴで描かれていたそれはまぎれもない事実だ。安倍晋三首相は、漁は相当の工夫がなされている、そして厳格に管理されていると述べたが、いまだに世界の屠殺の中で突出して残酷である。そして資源管理は全くなされず、このままでは太地町沖から鯨類は姿を消すだろう。パンドラの箱は開いて、残ったのは希望ではなく枯渇だった。
    これまで日本はことごとく鯨類の資源管理に失敗してきた。伊豆のスジイルカが激減してしまったのも一例である。水産庁は既存の漁業を守ることを第一として、規制には消極的である。もう手遅れになるまで何もしようとしないのだ。
    外国人運動家にはアメリカ的覇権主義や人種差別的感情が根底にあると決めつけ、動物福祉的・道徳的な問題を一切認めない日本側。今日まで30年以上にわたって続いてきた不毛な論争には些少な島国根性がある。ザ・コーヴに描かれているほど捕鯨に関わってきた人たちが残虐な人間だとは思わないが、伝統や生活にあぐらをかいて思考停止状態にあるのは間違いない。ザ・コーヴには事実と異なること、大袈裟な表現もあるが、この映画の意図は国際的な反対世論を巻き起こして太地町のイルカ追い込み漁を中止に追い込むことなのだ。その大きな意図以外のところに抗議しても仕方がない。ザ・コーヴに主演しているリック・オバリーはもとイルカやシャチの調教師で、その愛情の深さゆえイルカの飼育やスタントショーに絶対反対の立場を取り、捕らわれのイルカを一頭でも多く野生に戻すために、その生涯を捧げている。リック・オバリーは特に太地町を狙い撃ちしているわけではなく、残虐なイルカ漁を目撃したからだった。C.W.ニコルはもとは勇壮な古式捕鯨にロマンを感じていたが、イルカ漁のあまりの残酷さに次のように書いている。
    捕鯨やイルカ漁の歴史は資源の枯渇の歴史であった。イルカ漁のメッカは伊豆半島であり、16世紀ころからの記録が残る。伊豆半島での近代イルカ漁は1900年ごろライバルである隣村を集団リンチしたり殺しあったりするほどであった。リンチする姿を村の娘たちは手を叩いて喜んでいたという。明治時代に本格的に始まった近代イルカ追い込み漁は、戦後しばらくの間は隆盛を極めていたが、長くは続かず2004年を最後にイルカ漁は行っていない。
    日本の古式捕鯨は縄文時代の遺跡からクジラの骨が出土されもし、古事記にも捕鯨に関する記述が見られるが、組織化された事業としては1606年に太地浦で突き捕りによる捕鯨を始めたのが発祥とされる。その後300年、連綿と引き継がれていたが、不漁が続いていた1878年、不漁の焦りから悪天候をついて出漁したことにより135名死亡という大水難事故に見舞われる。その後1904年の日露戦争勃発で古式捕鯨の伝統は完全に終焉した。
    太地町でのイルカ漁は江戸時代末期から行われてきたが、本業の片手間にやる程度だったらしい。しかし大水難事故によって捕鯨からイルカ漁に力を入れるようになり、前田式連発銃などの開発でゴンドウ漁が盛んに行われるようになった。終戦直後の漁の好景気は短く、1960年にはイルカ漁船は一隻になってしまった。
    日本の南極捕鯨は1934年に始まっている。戦後すぐに食料難にあえぐ日本を見かねたGHQが、他国の反対を押し切って許可して稼ぎまくっていたのだが、すでに1959年には時の太地中学校長が南極捕鯨ブームは10年ともたないと警鐘を鳴らしていた。そして程なく南極海でもクジラが捕れなくなり、太地町は観光立町を目指し、くじらの博物館を建てる。イルカの追い込み漁や解体ショーも賑わったが、即売会では誰一人としてイルカの肉を買わなかった。
    太地町ではイルカも食べられてきたが、食肉としてはコビレゴンドウとスジイルカが好まれて、地元漁師がクロと呼ぶバンドウイルカは食べられてこなかった。
    JAZAには加入することでほかの園館で生まれた動物を融通し合えるというメリットがある。すでに日本の動物園では野生動物を捕獲して展示することはなくなってきており、それが世界の動物園の趨勢である。園内繁殖によって絶滅危惧種の個体数拡大にも貢献しているが、水族館はいまだに海洋資源を消費している。アクリル水槽と人工海水というブレークスルーによって、山奥や高層ビルのてっぺんのカジノにも水族館が作れるので、儲かるビジネスという考え方である。
    イルカ漁反対運動に対する国内の反論として最もよく聞くのが、牛豚鶏は平気で殺して食べるのに、どうしてイルカは問題視するのか、という理屈である。和歌山県知事も本多勝一も言っているが、どちらも見落としているのが、イルカ追い込み漁が牛豚とは比べものにならないほど残酷に屠殺されているということである。いのちの食べ方に出てくるように、牛は頭をノックガンで撃たれて一瞬で意識を失い、その後系動脈を切られて失血死させられるので、最初の一撃以外は苦痛はない。豚の場合はそれさえもない。また、屠殺する人も苦痛を与えないように最大限の配慮をしている。太地町のイルカ追い込み漁の場合、入江に追い込まれてひしめき合っているイルカやゴンドウは、2007年漁期までは長いモリでめった刺しにされて殺されていた。それは死ぬまでに何十分もかかる恐怖と苦痛に満ちた残酷な死である。ザ・コーヴのおかげで翌年から改められて、デンマーク領フェロー諸島のゴンドウ漁で使われている刃先がダイヤ型の特殊なナイフが用いられるようになった。浅瀬でイルカを押さえつけておいて、噴気孔の後ろをグサリと刺すと延髄が切断されて即死するという。だが、それでもイルカの屠殺方法が苦痛と恐怖が長続きする残酷な死であると断言する理由がある。追い込まれたイルカたちは屠殺されるために一頭一頭ロープで吊るされて浅瀬に運ばれてビニールシートの中に引きずられる。イルカは殺されることを悟って死にものぐるいで暴れ回る。ロープが尻尾に食い込んだり身体を岩に打ちつけたりして、傷だらけになったイルカの血でピンク色になる。まだロープをかけられていないイルカも自分たちが殺されることを知り、なんとか逃れようと暴れ、時には岸辺にも乗り上げる。そうして絶望的な逃走の努力をしている際に、身体を岩に打ちつける。イルカは霊長類と同じく自己認識のできる生物で、鏡を見せると自分だとわかる。知能が高いか低いかはわからないが、そのイルカを牛豚よりも残酷な方法で苦しめて殺しているという事実は知らなければならない。ただ、魚類はイルカと同じく長く苦しむ窒息死をさせている。漁師にとって海の生き物は魚もイルカも同じなのだ。だからといって漁師が海産物をどうとってもいいということにはならない。
    魚も一部だが人道的な扱いを受けるべきだという例もある。生物全般により高度な福祉を与えようという動きは、グローバルな潮流なのだ。スペインの闘牛が中止に追い込まれているように、イルカのスタントショーももはや許されなくなってきている。そうした大きな流れの極北にあるのが太地町のイルカ漁なのだ。
    イルカを殺さず生体捕獲して水族館に販売することだけをすればいいようにも思えるが、太地町の警察は生体捕獲だけに絞っても反対運動は無くならないとの見解で、水産庁も食肉としての捕獲がなくなれば水産業ではなくなってしまうとの理由で、生体捕獲のみの操業は認可しない方針だという。イルカの屠殺が続いているのは、硬直的な行政の体質にも理由があるのだ。
    水産業としての近代イルカ追い込み漁は、1972〜5年の間に始まったので、歴史でも伝統でもないともいえる。しかしゴンドウの追い込み漁が偶発的にはかなり以前から行われていたのは事実で、そうなると長い歴史や伝統があるともいえる。どちらにせよその成立過程には努力と奮闘があったが、庄司五郎町長の逝去以来、太地町は方向性を失ったように見える。
    個人的には、縄文時代の遺跡から出土したクジラの骨格は、捕鯨したのではなく浜辺に打ち上げられたものを利用したと考える。明確に捕鯨をした証拠がなければ、こちらの方が可能性が高いだろう。死肉や腐肉を食べないのは、長い動物の歴史の中で現代人だけなのだから。

  • シーシェパードに代表されるイルカ漁反対運動に対して、「牛や豚は殺しているのに、なぜイルカだけに目くじらを立てるのか?」。多くの日本人が疑問に思っている。筆者はイルカ漁を続ける和歌山県太地町関係者、内外のイルカ漁反対運動関係者、そしてWAZA(世界動物園水族館協会)残留のため太地町からのイルカ入手を中止したJAZA(日本動物園水族館協会)関係者に綿密な取材を行い、それぞれの主張にフェアに関わろうとしている。筆者の指摘は、イルカ漁反対運動関係者にも手厳しい。一部の反対派の目的達成のために手段を選ばない方法には、憤りも感じている。それでも今世界で人間と動物との関係を見直す動きを冷静に見極めようとしている。
    多くの日本人が見落としていることがある。それは「イルカ追い込み漁におけるイルカの屠殺方法は、牛豚を屠殺する場合とは異なっているという点である。動物として牛豚がイルカと違うのではなく、イルカと牛豚とでは屠殺方法が違う」。牛を屠殺するには、牛の額をノックガンを撃つ。牛は即死である。豚の場合は炭酸ガスで失神させたあと、出血死させる。ともに痛みを感じる時間は最小限に抑えられている。太地町のイルカ追い込み漁の場合、当初は銛を投げて刺し殺していた。2008年12月からはデンマーク領フェロー諸島で行われている捕殺方法に切り替え、延髄を一刺しにすることで痛みを最小限にしているが。しかし長時間の追い込みをかけたあと、浅瀬にあげるために尾びれにロープをかける。そのためイルカは暴れ、岩などにあたり出血する。鏡を見せれば、自分だと分かるくらい認識能力の高いイルカにとっては、死の恐怖の時間があまりにも長い。
    漁師たちもイルカの屠殺が残酷なことは分かっている。しかし彼らは漁をして生業を立てている。その矜持もある。筆者はそのことを確認した上で、なお捕獲方法の再考を求めている。それは今グローバルな潮流として動いている動物福祉的な価値観はますます大きくなっていくと予想されるからだ。「活け締め」が人道的な屠殺方法として見直され始めているのも、この流れの一つだ。
    2016年秋に太地町は大規模なイルカ繁殖研究に乗り出すことを発表した。今後の動きも気になるところである。

  • このところイルカの追い込み漁で非難の的になっている和歌山県太地町だが、果たして本当にイルカ漁は残酷で非人道的なのだろうか。

    もしくはこれに対しての日本での反論によくあるように、イルカ漁は日本での伝統だから批判は的外れなのだろうか。



    本書はイルカ漁に関わる歴史やそれに関わる人々への丁寧な取材を通してイルカ漁の事実関係を明らかにし、容認する立場でも批判する立場でもない極めて客観的な本である。



    イルカ漁を批判するシー・シェパードなどの保護団体の主張は、事実を歪曲したり太地町の例のみを取り上げるなど極めて身勝手なものだが、日本側の反論も決定的なものはない。

  • 水族館の人気者である「イルカ」を巡り、国際的な問題が起きています。日本の伝統として和歌山県太地町を中心に行われている「イルカ追い込み漁」は、
    「残酷」だとして、反捕鯨団体による批判や「世界動物園水族館協会(WAZA)」による非難決議の採択など国際的な非難が高まっています。
    ノンフィクション作家でもある著者による詳細な歴史調査と関係者へのインタビューから、この問題の新しい側面が見えてきます。
    (664 漁労.漁業各論)

  • 2015年11月8日読売新聞朝刊、書籍紹介欄で紹介されており購入。
    捕鯨問題の中でもイルカ漁に特化した新書。
    (未読の捕鯨問題系の本を溜め込んでいるので、早く消化しなければ……(/Д`;)

  • 私の持論としては、イルカ漁に対して他の動物も殺して食べているんだからイルカも食べる分には同じだろうと、そのような考えであったが本書を読んで少し変わった。根本は変わらなかったが。

    まず私自身知らなすぎた。イルカ漁に対して無知だったのにも関わらず偉そうなことを言っていたなと感じた。イルカの屠殺方法は他の動物に比べてより苦痛を伴い、残酷であることは知らなかったし、食べる以外にも多くを殺していた(見せ物として殺してたこともあった)ことは知らなかった。

    したがって私たちはもっと認識を深めてから議論・反論を行うべきだし、少なからず反イルカ漁の人の意見に反発しているだけに過ぎないという点も考えなければならない。
    伝統は大事ではあるが、それをその時代の価値観に合わせて変化させていくことも大事である。今後のイルカ漁や動物の猟に対しても考えていかなければならないことは多くあると思う。

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