逃げる中高年、欲望のない若者たち

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784584132791

感想・レビュー・書評

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  • 世界を見て生きている村上龍さんの鋭いコメント。
    少々攻撃的な内容で、ちょっと心穏やかではないが。
    この叱咤激励を明日の生きるパワーにできるか?

  • ガツンと言ってくれるのかと思ったら、単なるエッセイでした。

  • ・中国から見て日本は今のとこと学ぶべき高付加価値の技術をまだ持っているし、お手本にしたい文化手的なコンテンツやソフトがあるが、それらが無くなった時、つまり技術的にも文化的にも日本からもう学ぶものがないと中国が思った時に、どんなことが起こるだろう。。。

  •  値段に対する内容が薄いなという印象。希望の国のエキソダス、愛と幻想のファシズム、半島を出よ、などの小説読んでいたので、エッセイでん述べられてることは既知のことがほとんどだった。
     渇きがないところに欲望は発生しない、逆に言えば、他人の欲望を埋めるには、その人の渇きを知ればいい。それが一番頻出するテーゼかな。
     この本の全体としての内容については、特に書く必要はないと思うんだけども、一つ気になったことがあって、それは事実と価値の分離について。
     村上龍は、知り合いの若い人を思い出しながら、「死人」と言う。けど、それは「死人」であることが良いとか、悪いとか言っているわけではない。欲望を持たずに自分の外にある未知のものを知ろうとしない態度がただもったいないと感じるだけだ。と主張する。
     ここで、村上龍は、その若者が「死人」だという事実と、「死人」であることは良いこと、あるいは悪いことという価値を明確に分離できると考えている。確かに、事実と価値は時として明確に分離できる。日本には自殺者が年間三万人いる、ということは事実である。一方で、年間三万人の自殺者を生む日本の社会状況は間違っている、というのは価値である。というように。
     では、この例と同じように若者は「死人」であるという事実と、若者が「死人」であることは良いこと、あるいは悪いことであるという価値は峻別できるか。それは不可能である。なぜか。生きている人を「死人」と呼ぶその時点で、「死人」と判断する主観が入っているからである。よって、そこには、自然科学的な意味での事実は存在しない。この若者は「死人」である、ということは主観的な解釈でなのであって、そこには既に村上龍の価値観が入り込んでいる。そして、「死人」という言葉の意味を考えたならば、まだ生きている若者を「死人」と呼ぶということは、その若者の生き方に対して、明らかに、「間違ってるぞ」という価値判断がなされている。なので、若者は「死人」ということは事実であって、それについて良いとか悪いとか言っているわけではない、と主張することはできないし、そう主張することは現実認識において、無意識的に混入する主観的な価値づけというものに無自覚であると言わざるを得ない。
     しかしひょっとすると、村上龍は、生きている人を「死人」と判断するには、実はいくつかの客観的指標があって、それを満たして場合にその状態の呼称として「死人」という言葉を使っているんだ、と主張するかもしれない。「死人」に価値判断は無く、単なる記号、ラベルとしての「死人」だと。けれども、本人はそのように「死人」という語を独自の定義に則って使用しているとしても、「死人=ラベル」という定義がその他大勢の人の定義とかけ離れている、かつ、「死人=ラベル」という定義の正当性が歴史的事実として見出せない、という場合には、そのような定義で使うこと自体が間違っているである。
     つまり、ここでは、いづれの場合であっても村上龍が「死人」についての事実と価値を峻別できるとしたのは誤りなのである。
     なぜ、事実と価値の峻別にこだわったか。一つは、実用的な観点から。議論のすれ違いは、この事実と価値の混在に対して無自覚であることが多くの場合その原因である。なので、両者の混在に対して自覚的になって、議論を効率よく進めていきたいという思いがある。そして、もう一つは、倫理的な観点から。事実と価値の混在について無自覚であることは、人を傷つける可能性を絶えず孕むからである。

  • 内容を知っていれば読まない本

著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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