baxさんの感想
2014年11月24日
[ 内容 ] ルネッサンス期以降、学問としての美術史はいかなる知の言説として確立されたのか。 ヴァザーリによる人文主義的美術史の発明から、パノフスキー的イコノロジーの成立にいたる美学の歴史を、表象の裂け目に現れるフロイト的「徴候」への眼差しを通じて批判的に解体する“美術史の脱構築”。 バタイユやヴァールブルクを継承し、独自のイメージ人類学を実践する注目の美術史家の初期代表作。 [ 目次 ] 提起される問い 第1章 単なる実践の限界内における美術史 第2章 再生としての芸術そして理想的人間の不死性 第3章 単なる理性の限界内における美術史 第4章 裂け目としてのイメージそして受肉した神の死 補遺 細部という問題、面という問題 [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
(Georges Didi-Huberman) 哲学者,美術史家。1953年6月13日生(サン=テティエンヌ,フランス)。リヨン大学で哲学の学士号を取得した後,美術史学の修士号を取得。その後,社会科学高等研究院(E.H.E.S.S.)で博士号を取得。1990年から社会科学高等研究院の助教授。日本語訳として『ヒステリーの発明──シャルコーとサルペトリエール写真図像集』(みすず書房),『フラ・アンジェリコ──神秘神学と絵画表現』『ニンファ・モデルナ──包まれて落ちたものについて』『イメージ,それでもなお──アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(以上,平凡社),『ジャコメッティ──キューブと顔』(PARCO出版),『時間の前で──美術史とイメージのアナクロニズム』(法政大学出版局),『ヴィーナスを開く──裸体,夢,残酷』(白水社),『残存するイメージ──アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(人文書院),『イメージが位置をとるとき──歴史の眼1』『受苦の時間の再モンタージュ──歴史の眼2』『アトラス,あるいは不安な悦ばしき知──歴史の眼3』(以上,ありな書房)がある。 「2018年 『イメージの前で〈増補改訂版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」