変化の原理 〈新装版〉 (りぶらりあ選書)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588023033

作品紹介・あらすじ

人をいかに変化させるか。どのようにして人間の問題は生起し、持続したりまた解決にいたるのか。変化の現象一般に焦点を当て従来見過ごされてきたその種類や性質をも把握しつつ、具体的・実践的な事例を引用し問題の解決へと導き、学校、企業、地域、民族、国家といった社会のシステム一般をつらぬく変化の理論の構築を試みる。〈家族療法〉という心理療法上の新パラダイムを拓いたワツラウィックらの思考の原点を明確に示す。

感想・レビュー・書評

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  • ブリーフセラピーの教科書。

    ・ここで我々は”困難”と”問題”の間で一線を引いておきたい。「困難」と我々が言うときは常識的な水準で解決できる事態がもしくは、日常的な場面で見られる望ましくないが我慢してなんとか切り抜けているような出来事を意味している。反対に「問題」と言うときには袋小路や行き詰まり、絡み合いといった、初めの困難への対処方法を誤った為に生じた事態を意味することにする。このような誤った対処方法は主に以下の三つの道を経て起きる。
    A それは問題ではないと否定することによって解決しようとする誤り。即ち行動が必要なときに行動しない誤り。
    B 実際には変えることが不可能かもしくは存在しないような生活上の困難、例えば世代間断絶や全人口に占めるある割合の酒飲みの数、について変化させようと繰り返し努力することによる誤り。
    即ち、とられるべきでないときにある行動がとられる誤り。
    C 論理階型上の誤りが犯され、「終わりのないゲーム」が確立されてしまう誤り。

    ・だから毛沢東の考えを信奉する者たちが、半世紀以上経ってもソ連のマルクス主義が階級のない理想的社会を創り出し得ていないのは、その正しい思想が誤って運用されたからであり、マルクス主義には何の誤りもない、ということも理解できる。
    …この事実そのものと前提との区別は変化の有効性にとって決定的である。解決を排除してしまうのはその問題についての前提の側であって、そのような前提の中で「正しい」方法は未だ見つかっていないという事実の側ではないのである。

    ・第二次変化の技術を第一次の「解決」に適用するということはその状況を今ここでという現在の文脈の中で扱うということを意味する。これは、いわば事の結果を扱うということであって、仮定された原因を扱うのではないということだ。
    →子どもの不登校という問題があったとして、成育過程やしつけなど、子どもの性質にある”真因”を探るのではなく、今子どもが不登校という行動を取らざるを得なくなっているその直接の原因、構造を扱うということ。

    ・スベトラーナ(西側に亡命したスターリンの娘)は数ヶ月、インドに留まりたいと申し出た。しかしベネディクトフは祖国への帰国を急ぐように言ってしまったのだ。これはベネディクトフの間違いだった。ソ連大使がわざわざ、ソ連市民ならば直ちに帰国なさいと言ったのでは、人に疑いを抱かせてしまう。彼女はこう言われて、自分が信用されていないと思ったのだ。
    いったいどうすべきだったのか?…彼女に選択の自由が与えられれば彼女の道徳心が動いたのだ。彼女が我々によって大いに信頼されているということを示されるべきだったのだ(たった数ヶ月ですか?いや、三年でも通用する滞在ビザをすぐに用意しましょう。そうすればここにいられる。いつでも準備が出来次第、祖国へ帰られればいい、と)。
    我々の考えるように応じていたとしたらどうなったろうか。なおも彼女はインドから帰国しなかっただろうか。同じように悪い結果になったかもしれない。しかし実際の結果よりも悪くなったということはあるまい。
    ―フルシチョフ回想録

    ・リフレイミングによって変えられるのは、その状況によって帰属された意味なのである。それは具体的事実を変えたのではなく、事実からもたらされる帰結の方を変えたのだ。もしくは、エピクトテスが紀元後早々に言ったように「我々を悩ますのは物事自体ではなく、それらについて我々が抱いている意見、考えである。」

    ・単純なトリックによって先手になる者がいつも勝つようなゲームを考えだしたとしてみよう。そしてそのことを知らずに我々がそれをやっていたんだとしよう。―だとしたらまさにそれはゲームだったのだ。しかし今、そのことを誰かが教えたとしよう。するとそれはゲームではなくなってしまう。

    ・ワーテルローの戦いの後、連合軍はパリを占領していた。その当時、プロシア軍のブリュッヒャーはパリのイエナ橋を爆破してしまいたいと考えていた。なぜならこの橋の名前は、無敵といわれたプロシア軍がかつて予期せぬ負けを喫した苦い思い出を呼び起こすからだ。
    …タレーランは、多分彼は誰よりも事情が理解出来たのだろうが(同じプロシア軍だったので)、この橋の名前を”軍人の学びの橋”と呼び換えるという単純なやり方で、ブリュッヒャーの方針を180°変更することに成功した。
    …タレーランよりも謙虚な人物ならブリュッヒャーのところへおもむいて、彼に敵兵への寛容を請い、橋をこわすことは「山上の垂訓」に反するものであり、”イエナ橋”の存在はちっともプロシアを傷つけるものじゃないし、橋を破壊することは宗教や民衆の感情をそこなうことになると指摘するか、もしくは、こなごなに破壊された橋を再建することができたくらいのことではないだろうか。
    →橋を壊したいというのが一次レベルの願望で、過去の敗北を払しょくしたいというのが、その元となっている二次レベルの願望である。橋を壊すことの現実的な是非を議論するのが一次レベルの対抗であり、理論的な是非(寛容でないとか、世論がどう反応するか考えろとか、歴史的価値とか)を議論するのが二次レベルの対抗である。タレーランの行動がリフレームというもので、今生じている二次レベルの動機に対抗するのではなく、それをずらしてしまっているのだ。

  • 堂々めぐりに陥った人間関係のジレンマを抜け出すには? 何かヒントがあるかと期待したけど、 例にあるのは1:1の関係ばかりで、あまり参考になりませんでした。残念〜。
    現実の関係はn:nで、単純に二項対立になってる状況ばかりではないし。。当事者だけでなく関係者らの思惑もからんでくるから、理論どおりには解決できない気がする。

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