評論及び感想 四

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (876ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588110290

作品紹介・あらすじ

本巻は『中国民報』の主筆を辞し、上京して『天鼓』を創刊した1904年11月から、日光で没する五ヶ月前の1912年4月までに発表された評論及び感想を収録。『壺中観』や『霹靂鞭』が発売禁止になるなど、表現の自由を重く拘束される中で、隠喩や逆説、イロニーを多用し、狭義の文芸評論を超えて、人種的・社会的・性的格差のない世界共同体、とりわけ女性の解放をめざした論考が多数含まれる。

著者プロフィール

1871年、土佐国高知(現・高知県高知市)に生まれる。本名は田岡佐代治。自由民権運動の興隆を受け、1880年代には高知市内の民権結社にも加入していた。1890年、上京し水産伝習所(現在の東京海洋大学水産学部)に入学、後に東京帝国大学文科大学漢文学科選科(現在の東京大学文学部)に転学卒業。大学在学中に評論活動を始め、樋口一葉や泉鏡花の作品を高く評価した。その後、一時期には岡山県津山で学校教師も勤めたが、再び上京してからは新聞各紙の記者、ジャーナリスト兼評論家として、『平民新聞』や『帝国文学』、『太陽』などで執筆を続けた。ときには中国本土にわたり、北清事変の際には現地からルポを送信した。日露戦争後の1905年に刊行した『壺中観』、続刊の『霹靂鞭』が相次いで発禁処分を受け、その頃から権力に反抗する立場から、非戦論・資本主義批判の論調での執筆活動が多くなっていった。1909年には、自由民権運動のなかで起きた秩父事件などの武装決起事件の関係者からの聞き書きを元に『明治叛臣伝』を著した。1910年、大逆事件の容疑で幸徳秋水が湯河原で捕縛されたとき、その場面を目撃した。このころから脊髄を病み、歩行も困難になり、1912年療養地先の日光で世を去った。

「2019年 『翻訳 雑纂』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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