ヘイト・スピーチの法的研究

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  • 法律文化社 (2014年9月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784589036186

ヘイト・スピーチの法的研究の感想・レビュー・書評

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  • 本書は、ヘイト・スピーチの問題性を各執筆者が固有の課題として共有しながら、学際的見地からアプローチしている。ヘイト・スピーチの問題は、日本では未だ目新しい社会問題のままであり、そのため、これに対する一つの方向性は社会において示されていない。暗中模索の状態といったも過言ではない。ヘイト・スピーチに関する文献は、この間、様々な方面から公にされている。しかし、肝心の法的規制の問題については踏み込んだ議論は行われていない。

  • 『ヘイト・スピーチの法的研究』(金尚均[編] 法律文化社 2014)

    【書誌情報】
    書名 ヘイト・スピーチの法的研究
    編者 金尚均
    判型 A5判
    頁数 194頁
    発行年月 2014年9月
    定価 本体2,800円+税
    ISBN 978-4-589-03618-6
    ジャンル 憲法 刑事法

      従来から問題とされてきた「差別的表現」と「ヘイト・スピーチ」とを同列に扱ってよいのか。ジャーナリズム、社会学の知見を前提に、憲法学と刑法学の双方からその法的規制の是非を問う。有害性の内容を読み解く試み。
    https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03618-6


    【目次】
    はじめに [i-iii]
    目次 [iv-vi]

      第I部 日本におけるヘイト・スピーチ

    第1章 ヘイト・スピーチとレイシズムの関係性――なぜ,今それを問わねばならないのか〔 森 千香子〕 
    I 問題の所在 003
    II レイシズムの変貌:科学的レイシズムから文化的レイシズムへ 004
      レイシズムの誕生
      本質化される「差違」と科学
      レイシズム論理の移行
    III 草の根のレイシズムと上からのレイシズム 008
    IV 憎悪,無視,同情:レイシズムの多様な表現と連続性 012
    V むすびに代えて:ヘイト・スピーチをめぐる危険と「希望」  015
    註 016

    第2章 新保守運動とヘイト・スピーチ〔 安田 浩一〕
    I ヘイト・スピーチの実際 018
    II 日本におけるヘイト・スピーチ 025
    III なぜ,ヘイト・スピーチをするのか 028

    第3章 ヘイト・スピーチとその被害〔中村 一成〕 
    I 問題の所在 035
    II 京都朝鮮第一初級学校襲撃事件:何が起ったのか 036
    III ヘイト・スピーチが与える心的被害 037
      子どもたちのダメージ
      大人たちのダメージ
      「喪失感」あるいは「前提の崩壊」
      「持続する感情的苦痛」「逸脱感情」「帰責の誤り」
    IV ヘイト・スピーチによって生じる多岐にわたる被害 046
    註 051


      第II部 表現の自由とヘイト・スピーチ

    第4章 表現の自由とは何か――或いはヘイト・スピーチについて〔遠藤比呂通〕 
    I 問題設定 055
    II 個人の尊重と差別禁止 056
    III 掟の門の前で 058
    IV 小学校の門の前で:表現の自由とは何か 060
      命題1:表現の自由と民主主義
      命題2:表現の自由と投票所
      命題3:表現の自由と明らかな差し迫った危機
    V 京都朝鮮第一初級の門の前で:条約の趣旨と目的とは何か 064
    VI 被害者の言葉を聴きとること 067
    註 070

    第5章 表現の自由の限界〔小谷 順子〕 
    I 表現の自由の限界とは 074
      憲法21条の保障する「表現」とは何か
      憲法21条の下でのヘイト・スピーチ規制の考え方
    II 表現内容による限界:表現内容規制 076
      表現内容規制とは
      刑事法による表現内容規制
      民事法による表現内容規制
      人権法による表現内容規制
    III 「行為」規制と集団行動の規制 080
      「行為」の規制
      集団行動(デモ等)の規制
    IV 媒体の特性による限界 083
      テレビ放送の法規制と自主規制
      自由な新聞・雑誌
    V 表現の自由の保障意義(重要性,価値)に照らした限界 084
      民主主義過程(自己統治)論とその限界
      個人的価値(自己実現)論とその限界
      真実の発見/思想の自由市場論の重要性とその限界
    VI むすびに代えて 086
    註 087

    第6章 言論規制消極論の意義と課題〔小谷 順子〕 
    I 問題の所在 090
      ヘイト・スピーチの定義の困難さ
      ヘイト・スピーチの規制対象の限定の困難さ
    II アメリカにおける規制消極論 092
      規制消極論の背景
      連邦最高裁のヘイト・スピーチ規制違憲判決(1992年のRAV判決)
    III 伝統的な規制消極論 094
      表現内容規制に対する警戒感
      規制対象を限定できるのか?
      小括
    IV 「PC(ポリティカル・コレクトネス)」に反対する規制消極論 097
      PCとはなにか
      保守派によるPCへの反発
      PC推進に戸惑うリベラル派
    V 規制効果に対する懐疑論に基づく規制消極論 099
      規制対象となる表現範囲の狭さと規制効果
      規制の副作用1:差別問題解消への悪影響のおそれ
      規制の副作用2:規制がマイノリティに対して適用されるおそれ
    VI むすびに代えて 101
    註 103


      第III部 ヘイト・スピーチに対する刑事規制

    第7章 刑法における表現の自由の限界――ヘイト・スピーチの明確性と歴史性との関係〔櫻庭 総〕 
    I 問題の所在 107
    II 刑法における表現の自由 108
      刑法における表現の自由の位相
      名誉に対する罪と表現の自由
      扇動罪と表現の自由
      表現の自由ち関する裁判所の立場
      特殊日本的な状況
    III ヘイト・スピーチ規制と表現の自由 112
      従来の学説および政府の消極的見解
      刑法学におけるヘイト・スピーチ規制と表現の自由
      憲法学におけるヘイト・スピーチ規制と表現の自由
      明確性と実効性のジレンマ
    IV ヘイト・スピーチの歴史性 115
      ドイツにおける民衆扇動罪の成立
      「人間の尊厳への攻撃」要件解釈と「過去の克服」政策
      米国における歴史的・文脈的アプローチ
    V むすびに代えて 119
      議論状況のまとめ
      不明確性の原因
      広義/狭義のヘイト・スピーチ
      結論
    註 124

    第8章 名誉に対する罪によるヘイト・スピーチ規制の可能性――ヘイト・スピーチの構造性を問うべき次元〔櫻庭 総〕 
    I 問題の所在 128
    II 個人的法益侵害としてのヘイト・スピーチ 129
      ヘイト・スピーチの諸類型
      名誉に対する罪の限界
      集団侮辱罪の提言①:内野説
      集団侮辱罪の提言②:平川説
      集団侮辱罪の提言③:楠本説
      集団侮辱罪の問題点
    III 社会的法益侵害としてのヘイト・スピーチ 135
      ドイツにおける民衆扇動罪の位置づけ
      民衆扇動罪の保護法益
      ホロコースト否定罪の新設
      ホロコースト否定罪の保護法益
      ホロコースト否定罪の問題点
    IV ヘイト・スピーチの構造性 142
      批判的人種理論の主張
      刑事規制は構造的不正義を克服できない
    V むすびに代えて 144
      議論状況のまとめ
      結論
    註 146

    第9章 ヘイト・スピーチ規制の意義と特殊性〔金 尚均〕 
    I 名誉侵害罪とヘイト・スピーチ 150
    II 名誉侵害犯における法益 154
      ヘイト・スピーチは何を害しているのか?
      名誉の毀損とは異なる害悪を生じさせるヘイト・スピーチ
      ドイツにおけるヘイト・スピーチ規制
      ドイツにおけるヘイト・スピーチ規制の実際
      小括
    註 161

    第10章 ヘイト・スピーチに対する処罰の可能性〔金 尚均〕 
    I 平等保護としてのヘイト・スピーチ規制 166
      民主政における表現の自由
      「個人の尊重」では包括しきれない「法の下の平等」の意義
      社会的平等に対する危険とヘイト・スピーチ
      民主政から見たヘイト・スピーチの「害悪」
    II 集団に対する侮辱的表現の規制のあり方 173
      ヘイト・スピーチの「害悪」
      小括
    註 176

    おわりに(2014年7月8日 執筆者を代表して 金 尚均) [177-186]



    【はしがき】
      はじめに

      2013年,日本社会でヘイト・スピーチという言葉が広く,そして,おそらくはじめて知られるようになった。果たして,ヘイト・スピーチとは,いったい何であろうか。その典型は,公共の場である道路などでのデモや街宣活動において大勢の集団が拡声器などを用いて大声で,しかも攻撃的に「チョンコは日本から出て行け」,「南京大虐殺のつぎは,鶴橋大虐殺をするぞ」などとひどい罵詈雑言を連呼することである。これによって日本にいる外国人,とりわけ在日韓国・朝鮮人,中国人をターゲットにして日本から排外しようとする。2009年 4 月11日,フィリピン人カルデロンさん一家の強制退去問題で,大勢で,「犯罪フィリピン人カルデロン一家を日本から叩き出せ!」と一家を名指ししたシュプレヒコールをあげながらデモ行進し,こどもの通う中学校学区内,中学前を練り歩いた。同年12月 4 日,京都朝鮮第一初級学校の校門を挟んで,11名の者が白昼堂々,「ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。 なめとったらあかんぞ。叩き出せ」「日本から出て行け。何が子供じゃ,こんなもん,お前,スパイの子供やないか」「約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」などと拡声器などを用いて怒号した。このような具体的な個人や集団をターゲットにした攻撃だけにとどまらず,在日韓国・朝鮮人や中国人など,一定の属性によって特徴づけられる集団に対して日本からの排撃を目的としたデモや街宣活動が,在日外国人が集住する地域で行われる事態に至っている。ここで注意を向けなければいけないことは,大勢による上記のような罵詈雑言,つまり攻撃的な侮辱的表現の連呼が,一定の属性によって特徴づけられる集団,すなわちその集団の存在そのもの,集団の構成員全体の存在そのものの否定,蔑みそして敵視のために行われていることである。ここでは,具体的な被害者が特定されていないのではなく,まさに攻撃対象となった集団の全ての構成員が被害者とも言えるのである。
      かつてから,被差別部落出身者や在日韓国・朝鮮人に対する偏見や蔑視に根ざした差別が存在し,公衆トイレや街角などで心のない差別表現が落書きされていた。差別的表現については日本でも憲法の学界において,表現の自由との関わりで議論されてきた。また,1995年に日本政府が人種差別の撤廃に関する国際条約に加入する前後において差別的表現に対する法的規制の是非が議論された。 本書の主たる関心として,従来問題にされてきたこの「差別的表現」と「ヘイト・スピーチ」は同列に扱ってよいのであろうか,という問題をあげることができる。極端に言うと,一人の個人によってこっそりと書かれた陰湿な落書きと,公共の場で大勢が(50-60人またはもっと大勢)拡声器などを用いて大声で周辺の人々にいやでも聞き及ぶシュプレヒコール・罵声を浴びせることを差別的表現という従来から用いられてきた言葉で一括りにしてしまってよいのであろうか。後者には,単に表現活動にとどまらない,社会における偏見と敵愾心を蓄積させ,これによって将来の暴力的犯罪を誘発する固有のダイナミクスがある。在日外国人に対する排外を目的として行動及び表現の過激さや攻撃性から,差別に根ざした攻撃の質及び量の変化を見て取るべきではなかろうか。 その意味で,日本政府の言う「我が国の現状が,既存の法制度では差別行為を効果的に抑制することができず,かつ,立法以外の措置によってもそれを行うことができないほど明白な人種差別行為が行われている状況にあるとは認識しておらず,人種差別禁止法等の立法措置が必要であるとは考えていない」(国連人種差別撤廃委員会の日本政府報告審査に関する最終見解に対する日本政府の意見(2001年))との意見は,すでに現状に即していないのではなかろうか。
      本書は,以上のヘイト・スピーチの問題性を各執筆者が固有の課題として共有しながら,学際的見地からアプローチしている。 ヘイト・スピーチの問題は,日本では未だ目新しい社会問題のままであり,そのため,これに対する一つの方向性は社会において示されていない。暗中模索の状態といっても過言ではない。ヘイト・スピーチに関する文献は,この間,様々な方面から公にされている。しかし,肝心の法的規制の問題については踏み込んだ議論は行われていない。本書は,ジャーナリズム,社会学の所見を前提にして,憲法学と刑法学の見地からヘイト・スピーチの法的規制の是非を問う。とりわけ両法学領域において法的規制の賛否を明確に意識して議論をすることを心がけた。これによって各論者がヘイト・スピーチに対する憂慮の念をもちつつ,これに対する
    法的規制についてそれぞれの見地から検討を加え,現時点における見解を示している。
      本書を通じて,単に「腹が立つ」「不快だ」ということを超えて,ヘイト・スピーチの害悪とは何なのかということを明らかにしていく一歩としたい。

  • 本の題名と、この本が横書きなことから、これはとっても読みにくい法律の学術書に違いない、と思って、最初は(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルしてたんだけど、第4章まではそんなに難しくなく読めたし、法律はちょっと囓ったくらいのわたしだけど、最後まで興味を持って読み進めることができた。

    っていうか、これ、編者が金尚均さんっていうことで、以前「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件」を読んでたわたしにとっては「あの人が、どんなことを書くんだろう」ってちょっと期待したものがあったんだよね。で、この本は絶対に「ヘイト・スピーチ規制派」の立場に立った本だろう、と思ってた。ところが、読み進めていくとどうも違う。どちらかというと規制消極派の方の詳しい説明がされてて、しかも最後の9、10章の金尚均さんはおそらくご本人は刑法が専門だと思われるのに、なぜか憲法の分野である「表現の自由とヘイト・スピーチ」にしか触れられていない。読みながら「なんで?」って思った。

    あとがきを読んで分かった。「(略)本書ではヘイト・スピーチが社会的に問題であるからといって、即規制すべきという、まず結論ありきの構成を採ることは厳に慎んだ。」と書いてある。ああ、そうなのか、って思った。そういう意味ではこの本の前に読んだ師岡さんの「ヘイト・スピーチとは何か」は規制すべきって立場に立った本だったので、それと比べてみてもこちらはさらに内容が学術的で面白かった。もちろん師岡さんは弁護士で、この本は学者が編者になっている本だから、性質自体が全然違ってるわけで、師岡さんの本が悪いと言ってるわけじゃない。


    前にちょっと触れたけど、安田浩一さんが書いた第2章はかなり衝撃的だ。わたし、ここの部分を電車の中で読んだんだけど、本当に泣きそうになった。第3章は「ルポ 京都朝鮮学校」を書いた中村一成さんがヘイト・スピーチを受けた児童、保護者の「その後」の傷について書いている。わたし、「ルポ」を読んだときも思ったんだけど、この人たちは誰かにカウンセリングとか受けてないのかな。。それがとても気になっている。3年経っても在特会に脅える子どもや、3年経って突然おねしょがぶり返してしまった子どもとか、なんかかなり「放置」されてるような気がするのだが、、誰かボランティアでカウンセリングしますって団体はないのかなって思ったりしてる。

    第4章は「ルポ」にも出てきた遠藤比呂道さん。この人も弁護士らしく最後の結論は明確だ。「公人による『慰安婦』に対するヘイト・スピーチを禁止することを緊急にやらなければならない」(なぜなら「人種差別撤廃条約」の第4条(c)の公人による人種差別禁止に日本政府は留保していないから)。でもこの人は当初は「規制消極派」の意見を持っていたらしい。だけどそれが変わったのは「差別の実態についての考え方が変化したから」だという。

    それ以降の10章までは法律の学者が書いてるんだけど(1章も学者なんだが、社会学者なのかな?)あとはヘイト・スピーチに対して憲法的な見地から、刑法的な見地から見て分析されている。これを読むと規制消極派がどうして規制することに反対しているのか、よく分かる。確かに規制消極派の意見はよく聞くのだけれど、なぜそうなのか。それがこの本を読んでわたし、初めて分かった。そして各人がどこからどう、考えていったらいいのかを提起している。「(法的規制だけではなく)啓発活動を含めた多様な施策を選択肢に入れること」「今までの歴史に向き合うこと」「差別実態を調査すること」。

    この本が面白いとわたしが感じるのは、一見納得して受け入れてしまいそうな第6章から10章までの学者の結論(9、10章は除くかも)を2、3、4章が「果たしてそれでいいのか?」と言ってることなんだよね。啓発活動にしても歴史を分析して向き合うことも差別実態を調査することも全部、これ、国の責任においてやれと言ってるわけでさ。前にも書いたけど、これ、国は絶対にしないでしょう。だって、国からして差別してるんだからさぁ。誰が国の方針転換させるのよ、って話になるでしょう(だからそれはわたしら有権者がどうするかなんだけど)。この結論ってどこか「他人事」なんだよね。もちろん、学術的なものだからある程度客観的なものでないといけないとも思うんだけど、それと実態の掛け離れ具合がこの本には明確に現れてて、例えば第2章の実際、差別街宣でどのようなことが言われているのか、それを当事者が聞いてどんなに傷ついているのか、という「現実」と、名誉毀損、侮辱罪は個人に宛てられたもので、集団には適用されない、というのが判例、多数派の学説である、という「現実」がどんなに乖離しているか、こんなに傷ついている人を目の前にして、本当に「差別実態の調査」からでいいの?とか、単なる学術書に留まらないところがね、面白く感じた所以です。

    ただ、明らかに金尚均さんの部分は物足りなく思えた、ってこの人の論文を読んだことがあるわけじゃないので、なんとも言えないはずなんだけど、刑法専門にしてる人がなんで憲法のことを中心に書いてるのか、ここの部分、ヘイト・スピーチは明らかに平等の概念と反している、って言いたいのは分かるんだけど、規制消極派の立場がかなり分かるような本だったので、一人くらいは規制賛成派の意見が読みたかったところではある。

    あと、最後にもう一つ。この本は「ヘイト・スピーチを規制するのが反対か賛成か」が議論されているものであって、そのどちらも「ヘイト・スピーチはよくないもの」という考えは共通だ。この本の中にも「『人を傷つけるようなことを言ってはならない』というのもまた常識である」とか「ヘイト・スピーチが悪い(よくない)のは当然である」という前提に立っている。

    でもね~。これが分からない人がいるんだよね。これはこの前、わたしがこのFBで見たんだけど、「『ホモ』と言われて傷つくのはLGBTの自己中心性だ」って意見の人がいたの。いや、ホモって言われて傷つく人は実際にたくさんいるよ、あなたと今、FBでコメントやりとりしてる人もその言葉で傷つくって言ってるじゃないって話なのに(すいません、わたしはその人を見殺しにした)、そんな言葉に傷つくのはおかしい、それは自己中心的なものに過ぎないんだって言う人にさ、何を、どこから説明したらいいんだろう?って、わたし、今でもよく分かんないんだよ。

    ただ、これはもう法律の話じゃなくなってるから、この本ではできないわけだけどもさ。こういうわけ分からん人に対して、どうすればいいのか、これはヘイト・スピーチを「自分は悪くない」と思ってやってる人もそうだけど、アンタの言ってることは差別だよ、人を傷つけてるよってのを、どうやって分からせればいいのだろう??今のわたしはそれが一番知りたいよ、、

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