翻訳のココロ

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著者 : 鴻巣友季子
  • ポプラ社 (2003年8月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591077559

翻訳のココロの感想・レビュー・書評

  • 「翻訳」のあり方について、柔らかく考えていく。
    エッセイ、柴田元幸さんとの対談という形なので、講釈をたれるという感じではなく読みやすい。

    「嵐が丘」への愛情は分かった。

  •  原文の“Joseph, take Mr. Lockwood's horse; and bring up some wine.”は,前半と後半のあいだにセミコロンが入っている.これがポイントだ.日本語読者からすると,ピリオドとコロンとセミコロンとカンマの役割の違いってなんなの,と思ってしまうが,この箇所はピリオド(句点)でもコロンでもカンマ(読点)でもない。仮にピリオドを全休符とすると,コロンからセミコロン,カンマへの順で,ブレスが軽く(短く)なっていく。だから,「おい,馬をつないでおけ」(全休符)「それから,ぶどう酒を持ってくるんだ」ではないし,最初からいっきに,「馬をつないで,ぶどう酒を持ってこい」とブレスなしで繋がるのもちょっと違う。後者だと,いかにも勢い込んで歓待している感じがする。もう少し鷹揚な感じがほしい。
     おそらく,最初ヒースクリフの頭には「馬をつないでこい」という命令しかなかった。ひと呼吸おいて,ちょっと思い出したように「(客も来たことだし,)ぶどう酒でも」となるのではないか。「ちょっと思い出した」という気持ちを引き受けているのが,セミコロンと接続詞のandだ。ここがかなめか。
     うーん,では,これでどうだろう?
    「ジョウゼフ,ロックウッドさんの馬をつないでおけ。そうそう,ぶどう酒でもお持ちしろ」
     ああ,やっと決まった。
    (本文p.117-118)

  • 楽しく読めましたが、育児エッセイの方がおもしろかった気も。きっと『嵐が丘』から遠くはなれているし、彼女の訳した新版を読んでいないからだと思う。きっと、読んでから読むともっと楽しめたのだろう。

  • 翻訳家の翻訳に関するエッセイ。“棒高跳び”や“パスタ”のあたり読んだことがあるような?

  • 鴻巣友季子の翻訳エッセイ。主に、E・ブロンテ「嵐が丘」を訳していた時の話。「翻訳とは?」という問いへ強い関心があるのでしょう。それを比喩で表そうと最後まで頑張っている様子。感想は・・・なんだろうなあ、アテが外れた。今ひとつ面白くないんだわこれが。自分でも文章が男っぽいとか、マッチョいとか思っているみたいだけど、まさにそう。マッチョな文章というのは、グダグダ説明しないでバーン、みたいなやつのことだけど、そういう傾向があるのではないかと。で、フェミニンな、妄想に入り込んで細を穿つような文章が好きな俺には合わなかったんではないかと。発想が面白くても、そこにはまるタイプじゃないのなこの人。ちなみに巻末には柴田元幸との対談もついているけど、彼にしてはあんまり感覚的じゃなかった。たぶん、この人は編集者とかに向いているのはなかろうか。世捨て系の翻訳家・エッセイストではなく、いろいろしっかりしている。その割に、世捨て系へのあこがれが見え隠れしたり・・・というようなばたばたした文章だなとの感想を受けました。

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翻訳のココロの作品紹介

ホンヤクとかけて、なんと解く?『嵐が丘』新訳の裏話も満載のエッセイ。

翻訳のココロはこんな本です

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