- Amazon.co.jp ・本 (37ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591089460
作品紹介・あらすじ
大雪のなか旅をする修行僧のために常世は、たいせつな鉢の木を薪にしたのだった…謡曲から生まれた心あたたまる物語。
感想・レビュー・書評
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鎌倉幕府・第五代執権の北条時頼(最明寺入道)が、引退後に修行僧の姿で諸国行脚の途中大雪に見舞われ、上野の国は佐野の里に棲む落ちぶれた武士・佐野源左衛門(常世)の家に泊めてもらうことに。 囲炉裏の薪がなくなると、秘蔵の鉢植えの梅や松、さくらの木を燃やして客人をもてなすのであった。その年の春、関東の御家人にたちに鎌倉に馳せ参じるようお触れが出る。 常世は古くなった武具を纏い、老馬にまたがり 「いざ鎌倉」へ・・・。常世と再び相まみえた北条時頼は、梅、松、桜の名のついた領地を与え、大恩に報いるのだった。
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[墨田区図書館]
図書館の特集コーナー"かみさま"にあった一冊。「竜のすむ島」で著名なたかしよいちの絵本だけあって、いかにも昔話で読み聞かせにも使えるかも、と思える表紙絵が目に留まって立ち読み。ただこの本の"かみさま"は神様ではなく、(主人公にとって)"かみさまのようにえらい雲の上の人"といった立ち位置の人との話だった。
出典は謡曲(能の脚本)から来たものらしく、話の流れとしてはかさこじぞうや何かの昔話でよくあるように、身分を隠した相手から一宿一飯の恩義を受けるという話。
主人公の佐野源左衛門常世なんて知らないなぁでもこの話で有名な人なのかなと思いつつ読んだら、主人公自体は架空らしい。ただ、かみさま扱いの「最明寺入道時頼」は鎌倉幕府第5代執権北条時頼のことで、その諸国巡りにちなんだ逸話(というか寓話?)らしい。そして今もことわざとして使われる"いざ鎌倉"はこの話から生まれたというのも初耳。
こういう裏ネタ?があると、一気に印象深く面白く思えてしまうな。単なる昔話としてではなく、能を学んだ時とか、6年の歴史で鎌倉幕府を学んだ際にも絡んで使えそうな本。 -
「大雪のなか旅をする修行僧のために常世は、たいせつな鉢の木を薪にしたのだった…謡曲から生まれた心あたたまる物語。」
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上野の国(群馬県)佐野の里のあたりで、ひとりの修行僧が雪の中立ち尽くした。
修行僧は近くの家を訪ね、女の人に一夜の宿を頼む。
女の人は、一存では決められないと言い、修行僧はあるじが帰ってくるまで軒先で待つ。
やがて帰ってきたあるじは、あばら家でとても人を泊められるものではないので、十八町(約2キロ)ほど行ったところの宿場に行ってほしいと断るが、妻に咎められ、思い直して僧を泊めることにする。
貧しくて暖を取る薪もないので、あるじは大事にしていた梅・桜・松の盆栽を切り、僧を暖めるいろりの薪とした。
深く感じ入った修行僧は、あるじに名を尋ね、鎌倉に来る際は尋ねるように言い、家を去る。
その年の春、関東八か国の大名、小名にむかい、軍勢を引き連れただちに鎌倉へ馳せ参ずるように、幕府からのお触れがでた。
あばら家のあるじである常世も、色あせた武具によぼよぼの老馬といったそまつないでたちで、周囲にあざけられながらも真っ先に馳せ参ずるが…。
この話、小2の教科書(しかも上巻)に載っける光村さんいかつい。難しすぎんか?
めちゃくちゃ武士道といった内容です。日本人の好きな質素倹約心意気、みたいなお話。好きです。(日本人なので)
西本鶏介さんのあとがきより。
・「鉢の木」は伝説より謡曲によって広く知られている物語。
・作者は不明
・武士道を鼓吹する内容がもてはやされ、江戸時代には近松門左衛門もこの謡曲を脚色して、「最明寺殿百人上臈」という浄瑠璃を書き、竹本座で上演しているほどで(元禄十六年)、それ以来ますます有名になり、謡曲ばかりか上野の国の伝説として語りつがれてきた
・上野の国佐野の住人、佐野源左衛門常世は実在しない架空の人物
・最明寺入道時頼の諸国めぐり伝説の一つであったものを佐野の伝説として僧侶や土地の人たちが語り伝えたと言われている
・修行僧は、鎌倉幕府中期の執権として活躍した北条時頼(1227~1263)。執権政治と北条氏の権力を増大させた武将として知られ、執権職を退いたのち、出家して最明寺入道となる。独裁的であっても、民衆の保護に力を入れた政治家といして高く評価されていたことから、出家後、全国を回って庶民の暮らしを視察したという伝説が生まれた
などなど。
面白いです。
ストーリーとしては、大事にしていた梅、桜、松の盆栽を燃やして暖を取ったことから、加賀の国の梅田、越中の国の桜井、上野の国の松枝と、梅、桜、松の名のついた領地をもらうのエモい。
でも、先日真田の領地の本を読んだせいか、特に悪いことしていないのにいきなり領地を取り上げられた三国の元の領地の主のことを思うと少し可哀そうですね。笑 -
普通の昔話と思いきや
大人の事情のナハシ
身分あるものが追われて身をやつす悲しさ
夫婦の価値観、考え方が共有される流れ
子供の潜在意識に残すのに秀逸 -
むかしばなし
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すごくいい本だけど、読み聞かせには難しい。
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雪深い上野の国(こうずけのくに・現代の群馬県)佐野の里あたりにて。
一人の修行僧が、ある貧しい家で、一晩泊めてもらう。なけなしの粟の飯を出してもらい、「大好物の粟の飯が食えるとは果報者だ。日本一のおもてなしとぞんずる」とお礼を言う。
主人は暖をとるために、丹精込めて育てた梅・桜・松の盆栽を囲炉裏にくべて、修行僧をもてなした。僧は盆栽を燃やしてしまうことをひきとめたが、主人は修行僧のために家を温めた。
主人の名は佐野源左衛門常世(さのげんざえもんつねよ)。
一族のものに家を乗っ取られてしまい、今は落ちぶれた身の上だという。鎌倉へ行き、幕府に訴えたものの、執権である西明寺どのが諸国視察のため不在で、どうすることもできずにいる。しかしもし鎌倉に事が起こるようなことがあれば、真っ先に馳せ参じるつもりだと話す。
修行僧は翌朝、旅立って行った。鎌倉に来ることがあれば訪ねてくてください、幕府に訴えるための手引きをいたしましょう・・・と言い残して。
そしてその年の春。関東8カ国の大名小名にむかって、鎌倉に馳せ参じるよう幕府からおふれが出された。常世は色あせた武具に、よぼよぼの老馬を連れて鎌倉を目指した。
そして御殿前の広場で幕府の執権、西明寺どのが、かの大雪の晩に泊まっていった修行僧その人だと知る。
鎌倉になんのことも起こってはいなかったが、西明寺どのは、一番に駆けつけた常世に、加賀国の梅田、越中の桜井、上野の国の松江(梅・桜・松の名が入った領地)そしてもともとの領地を与えた。
謡曲などで知られる物語の絵本。「いざ鎌倉」の諺もこの物語から生まれたそう。 -
謡曲『鉢の木』より。上野の国の佐野。雪の夜、旅の僧のために、その家のあるじは、丹精込めて育てていた鉢の木を薪がわりに、いろりにくべる。