食堂かたつむり (ポプラ文庫 お 5-1)

著者 :
  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591115015

作品紹介・あらすじ

同棲していた恋人にすべてを持ち去られ、恋と同時にあまりに多くのものを失った衝撃から、倫子はさらに声をも失う。山あいのふるさとに戻った倫子は、小さな食堂を始める。それは、一日一組のお客様だけをもてなす、決まったメニューのない食堂だった。巻末に番外編収録。

感想・レビュー・書評

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  • 意外にえぐい、そして重い。
    「命」をいただくというシーンがえぐい。
    生きるということをしっかりメッセージとして伝えられました。さらに母親からの手紙に目頭が熱くなります。

    主人公倫子は、同棲していたインド人の恋人にすべてを持ち去られて関係終了。
    そして、声を失う。
    って声そんなに失っちゃいます?

    故郷に戻った倫子は、小さな食堂を始めることに。
    ここで描かれるのが母親と倫子の確執。
    母親を憎む倫子。祖母に育てられ、祖母からいろいろ料理の手ほどきを受けていました。

    また食堂を始めるにあたって、いろいろ突っ込みどころ満載。しかし、周りの人たちが優しい。
    って、なんで、そんなに料理ができるの?
    自分でパンも焼けるし..
    料理のレベルが想定と違うんだけど(笑)

    そして母親の癌が見つかり..
    母親の想いが徐々にわかってきて..

    そんな母親の為に、飼っていた豚をさばく!
    このシーンがグロい、そして、えぐい。
    申し訳ないけど、とばしぎみに読んでしまいました。
    自分もそうした生き物の命をいただいて生きているわけですが、やはり屠殺シーンは厳しい。

    そして、母親からの手紙。
    これはずるい(笑)
    熱いものがこみ上げます。

    いろんな感情を一気に経験できる物語です。
    評価が分かれそう(笑)

  • 牛:約3,200頭、豚:約45,000頭、鶏:約175万羽。
    この数が一体何の統計値なのかお分かりになるでしょうか?これは、この国で一日に屠殺される家畜の数です。多いと感じるか、少ないと感じるかは人それぞれかもしれませんが、これだけの家畜が我々が生きていくために毎日犠牲になってくれているという現実があります。そう、生まれた時から食材となることを定められた命がそこにあるのです。でも大半の人は屠殺の現場に関わるわけではありません。なので、なかなかにそのことに普段思い至ることはありませんし、そもそもそんな時間も心の余裕もないでしょう。一方で、この国には『いただきます』という言葉があります。英語には適当な訳がないこの言葉。二つの意味があるそうです。一つには、目の前にある料理ができる過程に携わってくださった人々への感謝の気持ちを口にすることにあります。そして、もう一つは、すべての食材にも命があると考え、それらを『私の命にさせていただきます』と食材となった命に感謝の気持ちをこめる、その言葉から生まれたものだとも言われています。『命をいただく』ということ、そしてそのことに感謝するということ。忙しく慌ただしい毎日の中で一時でもそのことを感じる時間が持てれば、明日からの食事はもっと味わい深いものになるかもしれません。

    『トルコ料理店でのアルバイトを終えて家に戻ると、部屋の中が空っぽになっていた。もぬけの殻だった』という主人公・倫子。『部屋には、恋人とともに暮らした三年分の思い出と貴重な財産が、ぎゅっと濃密に詰まっていた』とインド人の恋人がいなくなり、『いつか恋人と共同で飲食店を開く資金』を含め何もなくなっていることにショックを受けます。そんな中『無事でよかった。私は思わず両手で壺を抱きかかえ、胸の中に包容した。私にはもう、このぬか床しか、寄る辺がない』と、『祖母の大切な形見』という『ぬか床』が残されていたことに安堵します。『私はそのままマンションを後にして、大家さん宅に立ち寄り、部屋の鍵を返却した』という倫子。そして、『十五歳の春に背中を向けて以来、一度も足を踏み入れることのなかった私のふるさとへ向かうバス』に乗り故郷へと向かうのでした。倫子は過去を振り返ります。『中学の卒業式を終えたその夜、私はひとりで家を出た。今と同じように、深夜高速バスに乗って』と、仲の悪かった母親から逃れ、都会に住む祖母の元に身を寄せて生きてきた倫子。『私は将来、プロの料理人になろうと決めていた。料理をすることは、私の人生にとって、薄暗闇に浮かぶ儚げな虹のようなものだった』というかつての夢が頭に蘇ります。そして、ふるさとに降り立った倫子。『とにかく私は、無一文なのだ。一応おかんに借金の申し入れをしてみたものの、案の定、きっぱりと断られた』という大ピンチに陥ります。しかし『ホームレスの生活をさせるわけにはいかない』と、『私が家に戻ってくることをしぶしぶだが承諾してくれた』母親からは、エルメスという名の豚の世話と生活費を払うよう条件をつけられます。そんな時『この家の物置小屋を借りてちいさな食堂をオープンさせてはどうかしら?』とひらめきます。『お願いします。精一杯がんばるから、物置小屋をかしてもらえませんか?』と乞う倫子に『途中であきらめずに最後までやりなさい』と答える母。こうして食堂オープンへ向けた倫子の慌ただしい日々が始まりました。

    「食堂かたつむり」という書名そのままに作品全体が食の表現で溢れています。冒頭から出てくる『おばあちゃんのぬか床』も独特な存在感をもちますが、他にも『スープ』を作るシーンを『月経樹を入れたスープストックでコトコト煮込み、最後にバーミックスで攪拌すると、淡い色彩のとろりとしたスープが完成する。味付けは塩だけ』と短い表現の中に美味しそうなスープのイメージを見事に表現します。そして『ふたを開けた瞬間、ほんわかとした湯気が立ち上る。こぼさないように慎重に木の器にスープを注ぐ』、次に『出来立てのスープを、私はハート型の赤い鍋に入れてテーブルへと急いで運ぶ』、となんだか自分の目の前にリアルにスープが運ばれて来て給仕されているかのような表現がとても食をそそります。さらに『赤い鍋の中には、まだおかわり用のスープがたくさん残っている』とダメ押しします。スープひとつとってもこの表現です。この作品が如何に食を意識して作られているかよくわかります。だからこそ、『私の中で、野菜に対する見方が大きく変化した。今までは自分がすべて料理を作っているような気持ちになっていたけれど、私は、単に素材と素材を組み合わせているに過ぎないのだ』と料理人である倫子が気づく過程が、とても説得力を持って伝わってくるように感じました。

    前半の幾分軽い、もしくは明るい展開が後半になって一変します。前半に意味ありげに張られた伏線が後半に順に回収されていきますが、後半はとても重いテーマへと場面が急展開します。生きるために我々は毎日何かしらの生き物の命をいただいています。作品後半では、『命をいただく』というそのことを包み隠さずリアルに描写するまさにその場面が登場します。これには嫌悪感を抱く人も確実にいるであろうその場面のリアルな描写。料理人は、その命を食材としてテーブルに運ぶ中立ちをする仕事でもあります。扱い方によっては反感も生みかねないこの微妙なテーマに小川さんがきちんと向き合い、『いただくことは、命をいただく』ことでもあるということについてとても納得感のある描き方をされていたと感じました。また、このシーンの重さはこの作品の一種の軽さがあってこそ生きるものであり、これ以上作品自体が重い描き方をされていると恐らく読者の心が持たないということもあると思います。そういう意味でもファンタジーかの如くふんわりと描かれる前半の軽さがあってこその後半の重さが生きる、とても上手く構成された作品だと思いました。私たちは普段の食事では、目の前にある調理された料理そのものにしか目がいきません。しかし、その料理を食するということの裏側には命をいただいているという事実があること、そして、『自分にできる最大限のことをするのが義務』と、食材にきちんと向き合ってくださっている方がいることは、毎日の食事においてしっかり意識したいと思いました。

    『イライラしたり悲しい気持ちで作ったりしたお料理は、必ず味や盛り付けに現れますからね。食事を作る時は、必ずいいことを想像して、明るく穏やかな気持ちで台所に立つのですよ』と語ってくれた祖母の言葉を忘れずに、『誰かのために料理を作れるだけで、本当に、心の底から幸せなのだ。ありがとう。ありがとう』と料理人としての仕事を続ける倫子。食材に誠実に向き合い、食べる人の幸せに向き合い、そして自分の生き方にきちんと向き合っていく倫子。思った以上にいろんな感情に心が揺れ動かされるストーリー展開にとても夢中になり、思った以上に余韻の残る深い読後感が待っていました。ああ、この作品いいなあ、と美味しかった料理を食べ終えた瞬間に似た感情に素直に包まれた、そんな読後感でした。

  • 全体的には文章が風景描写も含めて綺麗なのですが、おっぱい山とか禁止用語とか、大事にしていたペットの解体料理とかエグい表現も多く、皆さんの評価も分かれる本。主人公の倫子の生い立ちも、結局の真相はどうなんだろう。最後の母親との手紙による和解にはグッとくるが。
    おまけの番外編も男性同士のカップルの結婚料理について綺麗な話しに纏められてはいるが、何故にこの内容を収録したのか、と考えてしまう。

  • 読んでてあたたかい気持ちになるお話でした。

    食事や、食器、インテリアとかの自分の周りを大切にすることって大切だけど、疎かにしがちだなって思った。特に忙しい時ほど、大切に出来ない。今すごく疲れてたから、食事大切にしよって思えた。とりあえず美味しいご飯食べて、ほっと出来る時間を大切にしていこう。

    食堂かたつむりで出される料理が本当に美味しそうすぎて、近所にこんなお店があったらいいのにって心から思った。どんなお客さんでも大切に、どんな料理が喜ぶかを考えてくれる素敵なシェフでした。シェフも母親との関係に悩みながらも、人のために料理を作るのを幸せに感じるあたたかい人でした。

    疲れた時にまた読み返してみよう!

  • ある日、インド人の恋人に家の物をすべて持っていかれ何もかも失い
    大好きな祖母も亡くなっていて頼る人がいなく
    10数年ぶりに実家に帰る
    その実家には、憎き母が
    母はスナックを経営し、村一番の金持ちの男の愛人として有名だった

    憎んでいた母だったが
    自分が思っていたような母ではなかった
    愛人でもなんでもなく、ずっと初恋の人が忘れられない人だった

    母が余命数ヶ月となったときに
    母との溝も少し埋まりかける
    母は初恋の人と再 再会し結婚
    母が飼っていた豚を調理し
    ↑ここの描写が残酷で…

    母が亡くなってから、娘に宛てた手紙が見つかる
    祖母もまた、妾で母を捨てた人だった
    母は自分の娘に同じ寂しい気持ちをさせたくなく
    側にいれるようにと、スナックを経営していたのだった

    この辺りで、涙腺崩壊

  • 本書の主人公が作る料理は、「私が考えたステキ」か「私のためのステキ」で出来ています。
    一事が万事「私」で味付けされた料理からは、こんなお店ステキでしょ、こんな料理ステキでしょ、料理は私の祈りなの!という、独りよがりなエグみばかりが感じられ、恋人の喪失や家族の死といった大事件さえ、その主張の前では単なる付け合せに過ぎません。

    作中に登場する料理の種類は豊富です。
    けれど、こだわりの食材紹介や調理手順については事細かに描かれる一方、肝心な筈のお客の食事描写があまりに乏しく、殆ど印象に残りません。
    食べる、料理の出来を褒め称える、料理のおかげで奇跡が起こる、この流れが当然のように繰り返されるだけなので、まるで空っぽのお皿を前に、おしゃれな料理写真を延々見せられているような気分になります。

    主人公の料理に対する信条にも疑問が残ります。
    完全予約制、おまけに事前に面接日まで設けて相手の好みやプライベートを事細かに調べ上げるとしておきながら、店作りの恩人に振る舞うカレーは、結局自分と恋人との思い出にまつわる一品であったり、長年喪に服しているお妾さんに対しても勝手な献立を立て、「万が一料理を残されたら自分が食べればいいのだから」と開き直る主人公からは、お妾さんの食事の時間を台無しにするかもしれない事への罪悪感が微塵も感じられません。
    食材の生産者に対して直接お礼を伝えたり、家畜に対する感謝を語る場面もありますが、食育的な思想だけが上滑りしているように思えました。

    後半は家族の絆と哀しみからの再生が主軸となりますが、それまでの物語があまりに貧弱なため主人公に感情移入できず、唐突に差し挟まれる下品な表現に顔をしかめつつ、台本通りに事が進むのを見守る他ありませんでした。

    おとぎばなしの食卓にしては生々しく、現実の食卓にしては胡散臭い。
    小説としても、お世辞にも上質とは言えないように思います。

  • 小川糸さんの作品、ブクログ登録は2冊目になります。

    小川糸さん、どのような方か、ウィキペディアで再確認しておきます。

    小川 糸(おがわ いと、1973年 - )は、日本の小説家、作詞家、翻訳家。音楽制作ユニットFairlifeのメンバー。作詞家としてのペンネームは、春嵐(しゅんらん)。

    本作は、同棲していた恋人に去られた傷心の女性が、周囲の助け等もあり、新たな道を歩んでいく。
    そんな作品です。

    本作の内容を、適当なところからコピペすると、

    同棲していた恋人にすべてを持ち去られ、恋と同時にあまりに多くのものを失った衝撃から、倫子はさらに声をも失う。山あいのふるさとに戻った倫子は、小さな食堂を始める。それは、一日一組のお客様だけをもてなす、決まったメニューのない食堂だった。巻末に番外編収録。

  • 「命」を頂いて日々生かしてもらっていることの尊さを再認識させられる一冊であった。

    人一倍「痛み」が分かる主人公は、命あるもの全て、食材では肉だけではなく野菜にも気を配り、丁寧に扱う。もちろん、食事をする客1人1人や動物1匹にまでケアをしている。ブタやウサギに対して、慈しみの心を持ってひたむきに向き合う姿に、とても感動した。姿を見たことのないフクロウに対してまで、相当な思い入れを持っているのも、命あるものへの深い敬意を持つ彼女の性格が起因している。

    「嫌い」という感情は、必ず味に反映されるもの。だから、自分が嫌いな人を相手に料理をするときは、その感情を忘れて、作業に集中する必要がある。料理することって、食材に感謝しつつ、負の感情を忘れる行為であり、心を洗浄化するための大事な効果があるのかも知れない。

  • 何か違うんだな・・・。

  • やはり、私は小川糸さんの作品は合わない、と確信した作品。ちょっと辛口だけれど。

    「つるかめ助産院」や「ツバキ文具店」などいくつか読んだけれど、どれも共通して、登場人物に共感できない。全てが唐突に感じる。

    本作も、美味しそうな料理、素敵なお店の内装、劇的な展開、全てが嘘っぽく、絵空事のように感じる。
    なんでだろう。登場人物の心情描写や、読者として心を動かされるようなその人物にある背景がわからないからかな・・・。
    作者が書きたいことを詰め込んで、自己満足した感じ。
    特に、倫子がお店を作るところなんて、ズラズラと書き連ねて、とっても素敵なんだろうけど、全く想像できなかった。え?一文なしなんだよね?親からお金借りてるんだよね?みたいな感想しか持てなかった。

    あぁ・・・、辛口ごめんなさい。

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著者プロフィール

作家。デビュー作『食堂かたつむり』が、大ベストセラーとなる。その他に、『喋々喃々』『にじいろガーデン』『サーカスの夜に』『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』『ミ・ト・ン』『ライオンのおやつ』『とわの庭』など著書多数。

「2023年 『昨日のパスタ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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