(005)音 (百年文庫)

  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591118870

作品紹介・あらすじ

病床の佐吉は台所の音を聞こうと寝返りを打つ。障子を隔て心を通いあわせる夫婦の姿-幸田文『台所のおと』。深川育ちで働き者の後家と小説家志望の「私」、ふたりはすし屋の二階で暮らし始めるが…。貧しくもいじらしい愛、川口松太郎の『深川の鈴』。菜の花が美しい大和路の宿、夜も更けて冴えた機織りの音が聞こえてくる…。純朴な娘の想いをほのぼのと描きだした高浜虚子の『斑鳩物語』。何気ない暮らしの音が優しく響く三篇。

感想・レビュー・書評

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  • (図書館本)
    音にまつわるはなし

    幸田文…台所のおと
    気の難しい料理人(男)が床にふせ
    聞こえてくる妻の台所の音にいろいろと思い馳せてるみたいなやつ。
    料理人目線が中心。
    時代もあるのか…ちょっと上から目線が
    気に障る(笑)
    音はタイトル通り

    川口松太郎…深川の鈴
    さくさくと読みやすい。
    ちょっと艶やか場面あり。
    主人公信吉の師匠の円玉…に
    おいおい、って突っ込みたくなった。
    お糸さんが気丈で強い…
    音は鈴の音

    高浜虚子…斑鳩物語
    京都奈良に仕事にきた?男の話。
    宿で出会った機織りをする女の子を気になり…
    なんか、よくわからなかった。
    旅エッセイみたいな感じ?
    音は機織り機(筬)

    一番読みやすかったのは深川の鈴

  • 幸田文「台所のおと」
    川口松太郎「深川の鈴」
    高浜虚子「斑鳩物語」

    どれも音にまつわる、美しく哀しい作品。
    静かにひっそりと、丁寧で美しい音を立てることが
    日常にあった時代。
    どの作品も読後、それぞれの音が耳をすませば
    聴こえてくるような余韻が残った。

  • どの短編も、音が聞こえてくるとしか言いようがない、見事な三作品。静かな部屋で、本から聞こえてくる音に耳をすませたくなる。

  • 3編とも穏やかで好きなんだけど、特に『台所のおと』がいい。
    このシリーズ(百年文庫)、休みの日に少し時間潰すのにちょうどいいかも。

  • 幸田文 『台所のおと』
    妻が台所をする際の描写が、とても丁寧で、自分も病気に伏している夫のように
    目の裏に調理の情景が浮かんでくるような文章だった。
    会話文が多く説明描写は少ないが、その中で登場人物がどんなことを
    思っているのか、きっとここでは内心涙を堪えているのだろうなといったことが
    読者に伝わってくるような温かみある言葉のやりとり。

    川口松太郎 『深川の鈴』
    腕に鈴をつけたまま行為をする……艶っぽい
    懸賞に当選した時、お糸は主人公の背中に顔を押し付けて泣き出すが、
    それは愛するものの努力が報われたという喜びだけではない。
    後に、実はその瞬間に、お糸は主人公のためを思って身を引く覚悟を
    決めていたことがわかる。
    その涙を意味を考えると、切ない物語だなと思う。

    高浜虚子 『斑鳩物語』
    風景描写がとても緻密。文章で写生を行っているようである。

  • 百年文庫11冊目は「音」

    収録は
    幸田文「台所のおと」
    川口松太郎「深川の鈴」
    高浜虚子「斑鳩物語」

    いずれも初読。高浜虚子散文も書いてたんだとへええとなる。

    一番いいなと思ったのは「台所のおと」だろうか。文章の端々から、夫婦の微妙な感情がたちのぼるようで「名文だなー」と思ってしまった。すごい比喩とかあるわけじゃないんですけどね。言葉の選び方? 視線? 佐吉がなんだか優しく感じる。

    「深川の鈴」は前読んだ宇野千代と同じくドラマとかにしてみたいような小説でした。

    全体にどきどきするような雰囲気はなく、静かな「音」を感じさせる作品たち。

  • 借りたときは地味かな~とおもったけどかなり読ませられる。すごい作品ぞろい。どれもこれも、ものすごく深く頼りがいのある視点がすえられた日常のひとまくなんだけれど、なんかいいわ~では済ませられない大きなうねりのような、まるで時間がそのままおしよせてきているような、しかし興奮ではなくあくまで静かな気持ちで読んだ。とにかくすごい。
    幸田文は特にすごいと思った。台所の音っていう、病人が枕元に嫁の台所の音を聞く話で、まったく余分なことを書いている気がしないのに、雑然と生活がある様子や、愛情のひきこもごもや、すべてを書いているという感じがするのがすごい。川口松太郎はわたし好きかも。高浜虚子は奈良のはなし。干し柿のよう。

  • 幸田文『台所のおと』、川口松太郎『深川の鈴』、高浜虚子『斑鳩物語』三篇のオムニバス作品。

     冒頭『台所のおと』。
     凄まじいほどの筆力で描写されているのに、息を呑む。

     夫、佐吉のもう手の施しようのない癌を宣告された妻、あき。あきは、医師から、病人には決して悟られてはいけないと忠告を受け、自宅での闘病と看病とが始まる。

     さてここまでは、別段変わりのない、どこの家庭にでもある話。

     しかし、料理人一筋で、小料理屋を構えてきた佐吉のかわりに、あきは、自分が台所にとって店を取り仕切らなければならない。

     そこへきて、佐吉は台所のおとを正確無比に聞き分ける。

     水のあたる音を聞いて、菜のものの種類がわかる。包丁で刻む音で、板の前の人間の心情も読み取る。

     料理以外には趣味も何もなかった佐吉は、障子を隔てて、台所に立つあきのおとを聞くのが慰め。

     あきはそれを知っていて、自分のたてるおとが、佐吉に、病状の真実を伝えてしまうのではと、慮ってながら日々を送る。

     物語は、近所の火事によって展開を見せる。

     近所の魚屋の三男、秀雄が火事の出元と、ここの無事を知らせに家まで入ってきた。
    どうやら、手伝いの下女、初子に気があっての行動だったらしい。

     次第に翳りを見せていく佐吉と、それを取り巻くように物語の緊迫感は増していく。

     夫婦の寄り添う日常は、そんな差し迫った死を前に、色艶を増し、佐吉は往年の夢だったあきとの新築を語り、あきは否が応でも、そう遠くない佐吉の死を前にして佐吉を見とるまで、自分が主人、手伝いの初子と秀雄の三人で料理屋を回していく未来を思い浮かべる。

     後半にかけては、佐吉という男の一生を、これまで縁を持った女性たち、その女性たちが持っていた音によって語る。
     
     人物の音によって、人物を描写していく筆致に恐ろしいほどの鮮明さがあって、ページをめくる手を止めさせる。

     音という、限りなく抽象的な性質を持つモノが、人の描写に限りない具体性を与え得るという不思議に震えた。

     物語の終焉は、くわいを炒めていたあきに佐吉の「ー芽がなすっちや、古株の形がわるいよね。そう思わないか?」の科白。

     ここで、あきと同様に読者は、やはり佐吉は自身の不癒に気づいていたのかと、確信にいたるのだけど、不思議と死の陰鬱さとか、恐怖とかは無い。

     新築の夢は、自身の叶えたかった夢を、やり残したことを終えてしまいたい、といったものではなく、あきがこれから主人になるその構える城として残すため。

     見て覚えろと、教えなかった料理も、懇切丁寧に言い聞かせ、新築の具体的な間取りに、取付までも言い聞かせた。

     それもすべては、最後の科白に集約される。

     佐吉の臨終は描かれない。最後の科白のあと、〝えらくたくさん喋った〟と筆を置く。

     佐吉にはこのような最後しか有り得ない。そう思ってしまうほどの、物語に付与された、夫婦の絆の辿る道。確実性。限定性に感服する。

     私が一番好きなのは、茶を焙じる場面。茶葉を焙じるときのおと。

     本オムニバスの命題、『音』に見事に合致する。

     物語のそれぞれの場面で、当人以上に内情を語る音のかずかずを読めば、人の放つ音がどれほどその人を表すかを如実に物語っているとわかる。

     幸田さん、よくここに視点をあてたなぁと、思う。

    『深川の鈴』は、作家志望の青年、私と、子二人を抱え深川に鮨屋を構える後家、お糸さんの愛の話。

     生きていくことの内実に焦点があてられつつ、生きていくとことの些末で、不都合なあらゆる雑多な出来事を、文学を志す純朴な青年の真摯さと、それを側で支えるお糸さんの愛が、打ち消していく。

     人は物語に生きる。

     それがよくわかる。洗い物から、飯炊き、料理、掃除、洗濯。労働、金銭の種々。すべてをひっくるめた、この煩雑な生活すべてが、他の何とも結びかずに、ただそこにあるのだとすれば、人は何のために生きているのかと、たちまち心を病むだろう。

     愛は、生活に意味を加え、その他一切を打ち消していくことができる。

     『深川の鈴』の凄味は、その生活を立ち行かせていくという点で、芽生え育まれていた愛を決定的に、すれ違わせる現実を描いたところだ。

     私は、執念と努力の甲斐あって、懸賞に入賞し、文士としての道を切り開く。
     お糸さんとの愛はますます、深まっていくと思えたが、鮨屋の職人として、二児の母としての生活とは、互いに交わらないものだった。

    お糸さんは鮨屋の婿を取り、私はあっさりと、一人になってしまった。

     しかし、お糸さんは自分の生活を守りながら、私を裏切ったのではなく、文士として羽ばたくであろう私を世に送り出した。

     この愛の結実に、二人の愛の誠実さと、苦しい思いを断ち切ったお糸さんの人間としての深みが感じられる。

     物語は終わらない。

     文士と映画俳優養成学校をしていた、私のもとに、当時、私が可愛がっていたお糸さんの娘の娘が生徒としてやってくる。

     私はお糸さんとの再開を試みるも、お糸さんは女性の容姿は変わるもの、と断る。

     私は、それを認め、再開はせずに終わる。

     愛を思い出の中にしまうことで、それが、損なわれないように、よりにも増して、輝くように保存する。

     これが、琥珀のようでもあり、私の思い出の中に完全に生き続ける物語となって終わるというのが、心を打たれた。

    『斑鳩物語』は、坊主と健気に働きながら、叶わぬ愛の前に精一杯生きる娘、お道さんを、主人公、私が眺め、描写するお話なしである。

     私の、傍観者に徹する筆致が、読み終えてからじわじわと良さを覚える。

     お道さんの恋が、機織りと筬の音、彼女の歌で表現されるところも、これは、聞いている、読んでいるこちら側に、それぞれの感傷を抱かせてくれる装置として意味を持っている。

     描写的な文章が苦手だった自分には、その描写の目的と意味とを考えろと言いたい。

     今は、斑鳩物語と題した、作者の真意がまだわからないが、法隆寺、若草伽藍を舞台にして、そこで繰り広げられる、修行僧と、娘との恋にもなんらかの意味があるのだろうか。

    三作とも選りすぐられている、名作で、タイトルの通り、音が物語を動かし、人に命を吹き込んでいる作品ばかりだった。

     この『音』。普段から、私も気をつけて聴いてみることにする。

     人の放つ音といものに、人が読みとれるということを、本書より学んだのだから。

  • 『音だけを頼りに一挙手一投足を想像する愉しみ』

    普段、何気なく聞こえてくる音。いつも同じように聞こえるように感じても、実際には、音をたてる人の感情や状況で微妙に変わる。そんな音の精細さと、人の気持の揺れ動きを描写した3作品。『台所の音』がお気に入り!

  • 音 が小説に彩りを添える。
    様々な音が印象的に出てくる3篇。

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著者プロフィール

1904年東京向島生まれ。文豪幸田露伴の次女。女子学院卒。’28年結婚。10年間の結婚生活の後、娘玉を連れて離婚、幸田家に戻る。’47年父との思い出の記「雑記」「終焉」「葬送の記」を執筆。’56年『黒い裾』で読売文学賞、’57年『流れる』で日本藝術院賞、新潮社文学賞を受賞。他の作品に『おとうと』『闘』(女流文学賞)、没後刊行された『崩れ』『木』『台所のおと』(本書)『きもの』『季節のかたみ』等多数。1990年、86歳で逝去。


「2021年 『台所のおと 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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