(035)灰 (百年文庫)

  • ポプラ社
3.58
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (148ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591119174

作品紹介・あらすじ

「俺というものは、俺が考えている程、俺ではない。俺の代りに習慣や環境やが行動しているのだ」-。衰弱してゆくカメレオンをアパートで世話しながら、人間社会の現実と自己の乖離をみつめた中島敦の『かめれおん日記』。少女に教えを乞い自転車の練習をはじめた「わたし」。空襲にあっても深夜の月は皓々と車輪を照らす(石川淳『明月珠』)。敗戦の日の出来事をリアルな生命感覚で描いた島尾敏雄の『アスファルトと蜘蛛の子ら』。灰色の世界を突き抜けようとした人間の真摯さ。

感想・レビュー・書評

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  • “灰”
    この一文字からの物語は、読前に想像し難い。

    中島敦『かめれおん日記』
    石川淳『明月珠』
    島尾敏雄『アスファルトと蜘蛛の子ら』

    元々、中島敦が読みたくて手に取った本。

    カメレオンとともに暮らしながら、ひとり苦しみ悶える。
    自己矛盾と困惑、不安と焦燥……。
    全てを「灰色の概念」としてしまう、精神を切り刻む自傷行為のよう。
    一方で、職場の人たちや町の様子を観察していく様子には、客観的描写のなかにどこか温かさがある。……そして、日々淡々と過ぎていく。

    いいでしょう〜?中島敦。

    あとの二篇は戦火の後の「灰」、読後の印象はそれぞれ異なる。

  • いわゆる文豪と呼ばれる人の作品を読むといつも、言葉の後ろに強い芯があるのを感じ、こちらがどう挑もうとも必ず押し返してくるよう確かな手応えがあって、読み飽きない。言葉のリズムの軽妙さ、単語一つ一つが包含する意味の豊かさがまた、物語の世界を広げるよう。
    この「灰」に含まれる3つの短編は、そのタイトル通り、内容は明るくない。でも、人間の心の本質、特に窮地に陥った時の心の動きが描き込まれていて、暗い中にも鮮やかに浮かぶものがある。
    特に3編めの「アスファルトと蜘蛛の子ら」が好きだった。敗戦の日の、死を覚悟しつつ、どうにか人と交わっていたいという不思議な衝動、諦観と期待がぐるぐるしている人間の割り切れなさが描かれている。
    良いとか悪いとかではなく、そうであったこと。当時の人たちが皆このような思いを抱いたかどうかはわからないけど、確かにこんな気持ちの人もいただろう、多分私もこう感じたかも知れない、という気持ちになる。
    他の2編も、すこし世間とずれて上手く立ち回れない人の話、である。きっと誰しも多かれ少なかれこういう部分を持っていて、共感できたり、慰められたり、なにがしか心が動くのではないかと思った。

  • ポプラ社百年文庫のうちのひとつ。「灰」の中には中島敦、石川淳、島尾敏雄の3名の作家による太平洋戦争前後に書かれた作品が一つずつ収められています。

    それぞれ、時代背景がとても色濃く表現されていて、石川淳の「名月珠」などは、戦争中の作品で、石川淳本人と思われる「わたし」の夢は中古の自転車と長靴を手に入れること。

    まだ自転車に乗れない「わたし」は近所の自転車屋からボロボロの中古の自転車を借り受けて、練習を始めます。

    自転車に乗れないのを理由に就職試験に落ちたりします。自転車に乗れればどこへでも自由にいける、長靴があれば、どんなにぬかるんだ道でも自由に歩ける。

    東京の「山の手」でも雨が降れば長靴無しではまともに歩けない時代があった。

    ボロボロの自転車と長靴を手に入れるのが夢だった時代が日本にもあったということです。

  • 私が何事かについて予想をする時には、いつも最悪の場合を考える。それには、実際の結果が予想より良かった時、ホッとして卑小な嬉しさを感じようという、極めて小心な策略もあるにはあるようだ。 p.33『かめれおん日記』中島敦

  • かめれおん日記は何度目かの再読だが、読むたびに発見がある。スピノザが引用されていたとか完全に忘れていた。
    石川淳は永井荷風との関わり(とも言えないか)を戦災と重ねて振り返る。
    島尾敏雄は戦争末期の体験を命の際から見つめる。

    53/100

  • 『かめれおん日記』の自分と他人を見る息苦しさ。
    結婚退職した若い音楽教師が赤子を連れて職場を訪れた時の独身女性教師たちの様子を冷ややかに書き留めた場面は少し怖く感じてしまうくらいでした。
    それにしても生徒から突然カメレオンを贈られるのも困りものだと思いました。

    自転車の練習と空襲、文豪の焼け落ちた家…戦時中の日常の日々。空襲で町が焼けたと知ってはいるもののその出来事の中でそれぞれ人々が生きていたのだと深く考えたことが自分に無かったことを痛感した『明月珠』。
    自宅が燃え尽きるまで見つめていた藕花先生の心の裡はどんなだったのでしょう。

    終戦その日を事前に知っていた男のその日を書いた『アスファルトと蜘蛛の子ら』。
    緑豊かな自然と戦争で疲弊した人々の心の明暗差を感じました。

  • 「かめれおん日記」
    灰色の気分。
    読んでいて、しんどくなる。
    運動が足りないよ。
    ランニングでもして、もっと体を使ったほうがいいよ、この人。
    あっけらかんと、子供っぽく生きている人たちをバカにしているかのような、うらやましがっているかのような、そんな視線。
    頭でっかちで、でも、力がない。
    人生とは苦である。
    仏教的なのだけれど、悟れてはいない。
    白にも黒にもなれない、灰色の生活。
    この人と一緒にいたカメレオンは弱っていった。
    なんか、わかる気がする。
    そして、私も同じ毒を持っていると思う。
    だから、読んでいてしんどい。

    「明月珠」
    この作品は明るい。
    最初はなんだか頼りない人物だったが、根気よく自転車の練習を重ねる。
    実は芯のある人だ。
    藕花先生の力のあるしゃんとした姿と、自転車と格闘して土にまみれている姿との対比が、印象に残った。
    連糸館が焼けたときの藕花先生の様子。
    得たものはいずれ失うことになる。
    きっぱりさっぱり失う潔さは、強さなのだろう。
    最後の一文に、なんだか、生きる姿勢のようなものを感じた。

    「アスファルトと蜘蛛の子ら」
    戦争から終戦をまたいで、こっちの世界に踏み込む男の話。
    暴力と泥や汚物にまみれた戦争。
    人間は土蜘蛛のように地べたに潜り込み、命は時代や運という大きな手によってなぎはらわれる。
    不安定な様子や、一瞬先が見えない恐ろしさ、恐怖に縮み上がる人々のすさんだ心。
    そういったものが、自然の豊かさと対照的に描かれていて、胸がつまる思いがした。
    戦争の愚かさを、見せられた気がする。

  • 『かめれおん日記』は好みではなかったものの、『明月珠』『アスファルトと蜘蛛の子ら』は十分に楽しめた。
    とはいえ、少し物足りない感じがしたのもまた事実。多分、期待が大きすぎたのだろう。(この3人で期待するなってのが無理な話なわけで)

  • 2013.12.15
    中島敦『カメレオン日記』
    なかなかよかったような

    石川淳『明日珠』
    覚えてない

    島尾敏雄『アスファルトと蜘蛛の子ら』
    ふわふわした終戦日のはなし。恐怖狂いなかなかいい。

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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