- Amazon.co.jp ・本 (145ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591121559
作品紹介・あらすじ
いつも子どものように扱われ、心に怒りの種を秘めている魔利。日常の小さな理不尽を独特の感性で描く森茉莉の快作『薔薇くい姫』。大輪の花五つ、咲きかけた桃色のつぼみが二つ。「私」をやさしく見守る、丘の上のばら園の思い出(片山廣子『ばらの花五つ』)。相場に手を出し、親戚に無心して暮らす父のもとを初恋の相手が訪ねてきた。悲しみの記憶から静かな情愛がたちのぼる、城夏子『つらつら椿』。女性作家が描く、花をめぐる物語三篇。
感想・レビュー・書評
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百年文庫15冊目は「花」
収録は
森茉莉「薔薇くい姫」
片山廣子「ばらの花五つ」
城夏子「つらつら椿」
「薔薇くい姫」が再読。あとは初めて読む作家さん。
それにしても「薔薇くい姫」のあざやかなこと。熱を帯びたおしゃべり文体が素晴らしい。「怒りの薔薇くい姫」って現代アーティストみたいじゃないか。モリマリは当時どんな扱いだったのだろう。一歩間違うと「こりん星」とかになりそうな感じも孕んでいるが… 比べるものが変か。
片山廣子の短い文章は「燈火節」という随筆集に入っているらしい。少し前のエッセイストさん(?)についての自身の情報が乏しいなあと思った。解説を読んでると、芥川の「或阿呆の一生」に廣子さんが出てくるのだとか? これも再読要だ。堀辰雄の作品で片山母娘がモデルになっているものもある、と書いてありますます興味が湧く。
城夏子も散文も面白く読んだけど、解説で触れられる生涯も興味深い。少女小説の人なんだな。少女小説ってマーガレットコミックスみたいなもんなんだろうか。違うか。 -
森茉莉は初めて読んだが、変わった人ですね。あの父親からこういう子供が生まれるのかと思うと不思議な気がするが、本人としては自分と父親の共通点を色々あげていたり、人のイメージというのはわからないもので‥72/100
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「薔薇くい姫」
面白くない。
つまらないから、なかなか読み進められなかった。
名前を見て、すぐに森鴎外の娘だ、ということに気が付いた。
文章の中に文章をはめこんでいる文体の所があったけれど、読みにくい。
読み手のことを考えているのではなく、自分の書きたいように書いた、という感じがした。
そこにも、書き手のエゴのようなものを感じる。
親の七光りに甘んじているかのような。
繰り返しも多く、しつこい。
確かに、お嬢様的な「耽美的文章」であるということは感じられたが、文章からにじみ出る人間的なものには、ちょっとした気持ち悪さすら感じた。
「ばらの花五つ」
とても短い作品だけれど、読後に薔薇の花の残像が、目の奥に残るかのような思いがした。
置かれた環境の中で、自分のできることを精いっぱいして生きる。
その姿が、美しいバラと蕾に重なる。
短くても印象に残る作品だった。
「つらつら椿」
ああ、なんと、人生の深みを描いた作品なんだ、と思った。
ささやかな切り口から、奥がどんどん広がっていく。
一人の人が抱えている世界の豊かさやぬくもり、悲しみは、表面だけでは推し量りきれない。
そのような思いがした。 -
全100巻の「名短編」集の一冊。絶版と聞いて古いものかと思ったらそんなことはなかった。ポプラ社からこういうのが出てたのは知らなかったなあ。
つい書物の王国シリーズと較べてしまい、しかも集めたくなってしまって困る。
森茉莉「薔薇くい姫」、片山廣子「ばらの花五つ」、城夏子「つらつら椿」を収録。
(たぶん)新書サイズ、スピンつきの変わり種。これは標準装備なのかオプションなのか、パラフィン紙を羽織ってしゃなりと小粋。いい出逢いをした。
漢字一字をテーマにしたアンソロジーということで、収録作はとりどりに「花」が際立ち面白かった。
「薔薇くい姫」、いかにも著者自身を語っているこの内容からどんな成り行きでこのタイトルに……?と首を傾げつつ読み始めたのに、いざそれがドンと掲げられて、最後まで読むともうこのタイトルしかありえないような気がしてしまう(しかし放射能は気になるらしいのに農薬や黄砂はいいんだろうか?)。大人として扱われないことに怒っているとしながら、少女が蝶よ花よと愛されたがるような素振りがあって、そのアンバランスさがいたわしく、心のどこかでいとわしい。森茉莉自身、ユーモラスに語りながらそういう自分に内心忸怩たるものもあって、それでもこれが私なのだと主張した人じゃなかったかと思う。主張しながら、心の中には怯える小さな女の子がずっといたかもしれない。
「ばらの花五つ」はかなりの小品。短いながらすっきりと整っていて読みやすい。これからたぶん訳業のほうを主に読むことになりそうだけど、そのうち創作もぜひもっと読んでみたい。
「つらつら椿」、父とおみわさんの恋物語を聞いた「私」の心境の変化に、ある種こわいものを感じた。女の子の成長が速いというのはこういうところなのかもしれない。父が同じ恋物語をどう語るのか気になるけど、それを描いたらこのお話は成立しなくなりそうなので、想像するのもやめておく。おみわさんのしとしとと降るような言葉のやさしさが印象的。 -
花をテーマにした三つの小説。どの作品も素晴らしい。森茉莉の「薔薇くい姫」がたまらなく好きだ。天衣無縫に生きる文豪の娘と世間の折り合いの悪さが、ユーモラスで耽美的な文体で描かれる。片山 廣子の「ばらの花五つ」は短いけれど深い余韻の残る作品。作者の凛とした生き方が伝わってきて、こちらの背筋を伸ばしたくなる。城夏子の「つらつら椿」は和歌を効果的に使った作品。不器用に生きた父に対する作者の哀惜の念に胸がいっぱいになる。作中でさり気なく描かれる椿が、鮮やかな映像となって脳裏に刻まれた。
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1/20 図書館
森茉莉さんの作品を読んでみたくて借りてきました。
「薔薇くい姫」
微妙に改編された名前の作家さんたちに「これは…誰だ…!」と考える
わりとすぐわかるひと(白愁=北原白秋、朔二郎=萩原朔太郎)、文脈からしてこの人だろうとわかるひと(母呂生貂生=室生犀星、中井紅風=永井荷風)、言われなきゃわからないひと(真嶋由之=三島由紀夫)
文壇に詳しければ問題なくわかるのかしら…
「ばらの花五つ」片山廣子
6ページの短文。馬込を散歩中に、ばら園でばらを買った思い出を綴った随筆。
「つらつら椿」城夏子
おはなしとしてはこれがいちばん面白かった。 -
森茉莉という女性は、あたりまえのことを、あたりまえに表現することができる稀有な作家かもしれません。
学を衒うことなく、ただただ感じることを、ありのままに、素直に、読者に伝える。
少女のように幼気な心を蝶々のようにアチラコチラと遊ばせている文章は、一見、支離滅裂ですが、一貫して描かれるストレートな感情表現は、例えそれが恐怖や怒りという負の感情であっても、終始「健気さ」をまとっているという不思議な作品です。
だから、
「これは…文章へたくそ…とか言っちゃいけないんだな、きっと…(白目)」
となってしまった私は、少女の心を忘れた哀れな女なのでありましょう。かなしい。
少女漫画も斯くやの森茉莉ワールドにあまりにエナジー吸い取られすぎたので、後半2作は読めず。百年文庫、出だしから怪しい雲行き…。 -
8/22 読了。
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森 茉莉『薔薇くい姫』
片山廣子『ばらの花五つ』
城 夏子『つらつら椿』
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彼女についての梨木果歩さんの解説がものすごく明晰で素晴らしいのですが、芥川も一目置いていたらしい女性詩人・翻訳家とのことですよ。私は彼女のイェーツの翻訳を持っていることに、最近まで気づいてませんでした(笑)。
百年文庫に載っていた「ばらの花五つ」は6ページぐらいの小品で「もうちょっと読みたいのですが?...
百年文庫に載っていた「ばらの花五つ」は6ページぐらいの小品で「もうちょっと読みたいのですが?」と思っていました。芥川も一目置いていた、というのがちょっと惹かれます。『燈火節』の表紙も見ましたがなかなかいい雰囲気です。
そして熊井さん経由だったんですね。熊井さんの『シェイクスピアに出会う旅』というのを本屋で最近見かけてちょっと狙っているのですが。
イェーツの訳をしているというのがこれまた意外。イェーツ好きです。お持ちのイェーツは「鷹の井戸」(角川文庫?)でしょうか?
持っているイェーツは...
持っているイェーツは、おっしゃるとおり『鷹の井戸』です!リバイバル・コレクションのゴールド表紙が今でもまぶしい。舞台で観たいのですが、地味すぎてどこもやってくれないようで・・・。
熊井さんは在野のシェイクスピア研究家として素晴らしい業績をお持ちで、文章もおすすめですよ。使われている小道具の香りや花を扱えるので、標準タイプの研究者さんよりも、何かと裏付けが緻密だと思います。もちろん文章の巧みさも素晴らしくて。