斎藤緑雨「油地獄」(1891)。長野から上京し、方角を志す学生が、ふとしたきっかけで芸妓に入れ込んでいく様を描いている。「縁が不思議のものなら、ほれるは一層不思議だ」頭でっかちで、しかし、その方面はとんと弱い若者の心のうちを事細かに描写している。
田村俊子「春の晩」(1914)。「幾重は繁雄の手を自分の方にひいて、男の方へ顔を振り仰向けた。」現代にはないつつましやかな描写が目立つ。その実、小説の内容は、思わぬ方面へ向かう。
尾崎紅葉「恋山賤」(1889)。まるで英語を読んでいるような感覚。字面をおってはみたが、内容が頭に入ってこない文章だった。
全3編を通して、日本語から失われつつある表現、仮名遣いが散見されて、このような言葉を発掘する楽しみを感じながら読めました。