母という病

著者 :
  • ポプラ社
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感想 : 57
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591131466

作品紹介・あらすじ

うつ、依存症、摂食障害、自傷、ひきこもり、虐待、離婚、完璧主義、無気力、不安、過度な献身…。本当の原因は、「母という病」にあった-。長年、親子関係を見つめてきた精神科医が贈る、救済の書。

感想・レビュー・書評

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  • 読み終わったあと、ショックが強くて、眠れなかった。
    良い意味でのショックだった。

    自分の、生きづらさや、空虚感の答えが、
    この本にすべて描かれている。

    出会えて良かった。

  • 精神科医なのに統計やデータもなく「最近○○という病が増えている」なんて安易に言って胡散臭いなあと思っていたら、ゲーム脳系の人じゃないか。あああああ時間を無駄にした!こんなんで子育てに悩む人が余計つらい思いすることがないように切に願う。

  • 人が成長し他者との関係を築いていく上で、いかに幼児期・成長期における母と子の関係が大切でありその後に影響を及ぼすかを綴った本。妊娠中ということもあり、これから生まれてくる子とどう向き合うべきか考えさせられた。特に気になったのは、頑張りすぎる母が陥る悲劇という箇所。育児と仕事の両立に子が幼い時期から頑張りすぎるあまり安定した愛着をうまく育むことができず後々問題となるケースに関しては非常に怖いなと思った。今は女性が何役もこなさなければいけなくて、社会ではそれが推奨されているし女性自身だって、母として妻として社会人として女としていつでも輝きたいと欲張りになったっていいじゃないかと思っている人がほとんどだと思う。かくいう私もそう。だけれど、本来育児って自己犠牲がやっぱり中心となる行為である訳で、あまりにも欲張りすぎるのは子にとっても自身にとっても負担が大きすぎる。子を産めば自動的に母性が育まれるとは思っていない私にとっては、どう自分の自己愛を自覚しコントロールして愛情深く子を育てていくかが課題となるのだろうか。愛着という視点で見たときの育児と仕事の両立の危険性を意識できただけでも読んで非常にためになった。

  • この方「父という病」って本も書いてます。
    だから、この本の中ですべての原因を「母」に
    しているのも、ターゲット的な戦略なんでしょう。
    でも、そこまで「母」のせいなのか?と
    思わずにはいられなかった。

    本によると、1歳半までが勝負なんですって。
    うちの娘らに対して、私がこれから頑張っても
    もう無意味なんですか?って、ちょっと思った。

    どちらかというと、基本的自尊心が育たなかった
    大人になりきれない、自立することが苦しく
    感じてしまうような、元子供側が読むのならば、
    救われるのかな?という本で、今現在懸命に
    子育て中のママは、読まない方がいいかもです。
    正直、暗くて救われない事例が多いので。

    子育てなんて、親も子供も試行錯誤するもの。
    何が正しくて、何が善いかとかも、考えるけど
    みんなに共通の「正解」なんてない訳だから。

    今でも、自分の子に対してだけではなく、
    自分の親に対しても、試行錯誤進行中です。

  • 悩んでいる人には癒しになるのかもしれないけど、ともかく母のせい一辺倒で、読んでいてつらくなりました。
    若いお母さんたちが悩まなければいいけど。
    3歳神話の復活?

  • 「ブックマーク」81号で紹介されていた本を図書室で見かけて借りてみる。「母という病」のネーミングは、びみょうなところだと思う。子どもの育ちにアタッチメント(愛着)形成が大切だということは分かるし、それが「母」を対象とするケースが多いことも理解するけれど、「母という病」「母」「母」「母」をしつこくしつこくくりかえす意味は、私にはよくわからなかった。

    著者が依拠しているのは、ボウルビィのアタッチメントセオリー(愛着理論)にいろいろくっついたようなものだと思われる。子どもがまともに育っていくには、2~3歳くらいまでの乳幼児期のあいだ、特定の大人と親密な関係を築くことが大切で、そうやって育つことで、人間関係や社会関係をうまくやっていけるようになる、といった話(だったはず)。

    この「特定の」というところがキモで、それは必ずしも産みの親、母親に限らない、子どもに一貫して愛情をそそぐ特定の存在であればよいのだという研究だったと記憶する。その特定の大人との間で愛着関係をもった子どもは、ありのままの自分の存在に不安がなく、基本的信頼感をもって世界にふみだすことができるが、こうした特定の大人の存在が不安定だったり、あるいはそういう大人がいなかった場合には、子どもは存在の根っこをゆるがされ、大人になってもちょっとしたことで不安に陥りやすい、といわれる。

    著者の書いているところを引けば、こういうことだ。

    ▼安心感とは、単に不安を感じるか、感じないかということではない。もっと自分の存在の根底にかかわるものだ。安心感の乏しい人は、ちょっと拒絶されたり、否定されたと思うだけで、もう自分がすっかり無価値な人間になってしまったように感じてしまうのだ。
     その人の心の根底に具わった安心感は、「基本的安心感」と呼ばれる。愛され、肯定されて育った人は、この基本的安心感にしっかりと支えられている。だから、どんなときも、「自分は大丈夫だ」「どうにかなる」と思うことができる。
     自分は大丈夫だという安心感は、自分の力に対する自信からだけではなく、困ったときはきっと誰かが助けてくれるという周囲に対する信頼感からもきている。
     周囲が味方になってくれると信じることができる感覚を「基本的信頼感」という。実際に、人が味方になってくれるかどうかよりも、そう信じることができることがその人を守っている。(p.56)

    『永山則夫』で明らかにされた永山則夫の育ちや、『ルポ 虐待』で書かれていた芽衣さんの育ちは、こうした安心感や信頼感が乏しかったのだろう。永山の場合、母にはさわってももらえなかったが、セツ姉さんが愛情をそそいだ。精神鑑定をした石川医師が、もし…とセツ姉の発病や入院があと何年かずれていたら、全く違う人生になったのではないかと惜しんだのは、まさにセツ姉が永山にとっての特定の大人だったからだろう。

    そういう話はわかるのだけれど、それを「母という病」とネーミングしてしまうのは、時代が何十年か巻き戻されたような気分になった。「3歳までは母の手で」にするっと接続してしまうことが、もしかして著者の意図なのだろうか?とも思った。そして、この本が十数万部も売れているというのだが、「母という病」がどう読まれているか、かなり気になる。

    愛着は相互的な現象だ、というところは、親もしくはそれに代わる人とのあいだに安定した愛着を築けなかった人にとって、乗り越え、回復していく一つの方法として有効だろうと思う。

    ▼愛着は相互的な現象だ。自分が親に愛されず、親が安定した愛着を育んでくれなくても、自分が誰かを愛し、その存在と安定した愛着を育むことができれば、自分が抱えている愛着の傷を癒し、不安定な愛着の問題を乗り越えることができる。(p.262)

    『死刑の基準』で書かれていた永山則夫と獄中結婚した和美さんのケースは、それぞれ親には与えられなかった愛着を、お互いに育もうとしたものだと思う。それまでもたくさんの手紙を交わした2人は、和美さんが日本に来てから20~30分の短い面会時間ながら毎日のように会い、話しきれないことは手紙で毎日のように送りあったという。

    和美さんが日本に来て一週間後の手紙で、永山は「ミミ[和美さん]からの手紙を読んだ後、事件のことを忘れるくらい幸福感がありました。オレにも人としての感情があるのだなと強く思わせてくれました」(p.156、『死刑の基準』)と書いている。「思想を残して死ぬ」と言い続けてきた永山だったが、和美さんと関係を築いていくなかで、生きることを考えはじめるのだ。それは、和美さん自身にとっても、自分を育てなおすような時間だったことがうかがえる。

    本は7章まであるが、半分をすぎると、同じことがしつこく繰りかえされてるなーという感じだった。著名人を誰かれと引いて「あの人も母という病」式の話もしつこいほどだった。この内容を書くのであれば半分か3分の2くらいのページ数でもよいのではないかと思った。

    あと、誤字脱字がかなりひどく、そこのところが読んでいてちょっとうんざりした。私が読んだのは、単行本の二刷だが、この誤字脱字は、その後刊行されたというポプラ新書版では直っているのであろうか?

    (5/7了)

    *とりあえず目についた誤字脱字余り字
    p.170 若干二十歳 →弱冠二十歳
    p.181 母親の愛した方 →母親の愛し方
    p.257 それから曽根[綾子]は →それから曽野は
    p.261 パートトナー →パートナー
    p.263 それだけては不十分 →それだけでは不十分
    p.265 不孝の連鎖 →不幸の連鎖
    p.272 自分の身に起きたの同じことが →自分の身に起きたの【と】同じことが

  • 自分の生き辛さや自己否定感の源が、主に母親との関係にあると気づいてから、この手の本をいろいろと読んでいます。
    どの本も、読んでいる最中に母との過去を思い出して怒ったり泣いたりしてしまって、なかなか心地良い読書にはならないものですが、この本も例外ではなく(^^;)
    でも、前向きな気付きを得られたかなあと思います。

  • 生きづらさの背景に、幼い時の母親との愛着形成が上手くいかなかったことが挙げられる。
    幼い子供にとって、母親は神のような存在で、無条件に愛されたいと願うのだが、それが得られなかったとき、人は絶望や、自己否定をかかえたまま、苦しみと不安の人生を歩まざるをえない。
    ジョン・レノン、ヘッセ、ショーペンハウエル、岡本太郎、宮崎駿も「母という病」を抱えながら、それを力に換えてきた人だったという話を聞いて、「人生って全て修行、学びなんだなあ」という想いを抱いた。

    自己回復のためには、自分の醜い気持ちを偽らないでノートに吐きだすこと。親から距離を置くこと。
    笑顔や人のために何かすること。
    安定した場やサポートできる場を持つこと。
    誰かを愛すること、包むことで、それが自分の回復にもつながる。

  • 愛着関連書の中でも、とくに母との関係に着目して書かれた一冊。
    とにかく衝撃的。「母という病」に悩まされてきた自分にだんだんと気がついていく。ああ、これだ、と思いながらどんどん読みました。
    後半、克服のあたりは他の本と重なるところも多分にあるのでもったりするが、相変わらず救いのある展開。
    次はパーソナリティ分析の恋愛編を読もうかな。

  • 今まさに「母という病」に苦しむ人がこの本に出会ったとき、この苦しみは自分のせいでなく「母のせいだったのだ」と救われた気持ちになるだろうし、回復への一過程としてはよいが、すべてを母親との愛着問題に帰着させ、そこに留まってしまうことは危険だと感じた。諸刃の一冊。
    ヘッセやジェーン・フォンダなど有名人も含めて多くの事例が紹介されていたが、個々の事例の中で、母親との愛着の問題のみが語られ、父親との愛着はどう形成されていたのかはあまり語られていなかった。女性の社会進出を阻む言説に利用されかねない。

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著者プロフィール

岡田尊司(おかだ・たかし)
1960年香川県生まれ。精神科医、作家。東京大学文学部哲学科中退。京都大学医学部卒業。同大学院医学研究科修了。医学博士。京都医療少年院勤務などを経て、2013年より岡田クリニック(大阪府枚方市)院長。日本心理教育センター顧問。パーソナリティ障害、発達障害、愛着障害を専門とし、治療とケアの最前線で現代人の心の問題に向き合う。著書『悲しみの子どもたち』(集英社新書)、『愛着障害』『愛着障害の克服』(いずれも光文社新書)、『愛着アプローチ』(角川選書)、『母という病』(ポプラ新書)、『母親を失うということ』(光文社)など多数。

「2022年 『病める母親とその子どもたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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