(008)危険な宗教の見分け方 (ポプラ新書)

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  • ポプラ社 (2013年11月5日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591136768

(008)危険な宗教の見分け方 (ポプラ新書)の感想・レビュー・書評

  • 田原の質問に上祐が答えていくという形式。しかし、オウムのことはともかくとして、喋っていることに真新しさがない。他の人が他の本で書いている内容のようなものがたんたんと続く。結局、身を乗り出すような部分はなく読了してしまった。

  • 「危険な宗教」についての「見分け方」、書いてあったっけ?!(笑

    でもまあ、1995年から20年ほどたって、ワカモノにしたら「オウム真理教」って「なんだか分からないけど怖そう」なイメージだろうけど、普通にスピリチュアルに興味あったりしてそうで、「危険な宗教」にハマってしまう可能性って今でも十分あるんだろうなーという気がする。

  • スピやセラピーの教祖様&信者様集団と、カルトって、結構似てますね

  • 上祐史浩は本当に過酷な道を歩んでいてすげーなと思う。談志くらい赤裸々に語る人はこの人くらいではないかしら。オウム時代のマスコミ向け上祐はすべて嘘だったわけだが・・・。

  • 2013年発行の上祐史浩と田原総一朗の対談。
    上祐史浩が,オウム事件の頃の様子や現在の心境を語る部分が中心。さほど驚く内容はなく淡泊だが,そのぶんリアルなのかもしれない。ただ,この本を読んでもタイトルどおりに危険な宗教は見分けられないとは思う。

  • 田原さんと上祐さんの対談本。

    直接的にどのような宗教が危険かということを明確に説明しているところはないと感じました。自分が読み取ったのは
    ・教祖がカリスマ性があり、逆らえない空気を作り出している

    でした。

    ブログはこちら。
    http://blog.livedoor.jp/oda1979/archives/4789257.html

  • 上祐氏のオウムを抜けられないエピソードに、宗教からの脱却の難しさを知った。

  • 上祐氏は本当に頭がいい人だと思う。これまでの経緯の考察が鋭すぎる。だからこそ、こうした頭のいい人がなぜオウムに?ということは、常に気になってしまうのだが。

  • 田原さんが上祐氏に、なぜ麻原を信じたのかインタビューしている雰囲気の本。上祐がオウムにのめりこんだ理由がだいたいわかった。

    特別な人間=ワン・オブ・ゼムでない人間になりたかった 自己価値に飢えていた
    クンダリーニヨガをして神秘的な体験したことで世界観が変わったこと
    社会に対する閉塞感
    教義に惹かれたこと 死んだあと、来世が保証される 社会を救済したいという自尊心

    一般のヨガとオウムのヨガの違い
    P69 当時、一般のヨガ教室で行われていたヨガは、体操のヨガで、せいぜいそれに加えて呼吸法を取り入れていた程度。それに対してオウムのヨガは、霊的な体験、神秘的な体験ができるヨガであり、積極的にクンダリニーを扱った。具体的には、長時間の保息を含んだ呼吸法を始めとして、他の激しい身体行法があった。

    自己を捨ててどれだけ帰依できるかが修行

    一般の人は、カルト教団の教祖は、人をだましているものだと思っていると思うのですが、そうじゃない。教祖が一番信じているから、周りが本当に信じてしまう。というのは目から鱗だった

  • 盲目的に絶対的な指導者を信仰することの危うさ。

  • ある人は魂というものはない、だから楽園に行って永遠に楽しく暮らそうと云う。またある人は魂は存在し、それを今から高めておけば第三次世界大戦がきても大丈夫という。なぜ人は答えを欲しがるのだろうか?明確にならない真理という存在自体が宗教的概念なような気がするが…。この本の前に「ドアの向こうのカルト」を読んで合わせ考えたことから一つわかったことがある。それは人間の強い承認欲求の成れの果ての一つの形が「宗教」であるということ。目的ではなく手段の一つになってしまっているという怖さ。これまでオウムに関して、たくさんのテレビ特集や記事が組まれてきたが、やっぱり釈然としないことが多かった。けれどこの本を読むことでオウムという世界、彼らの思考回路…いろんなことが見えてくる。今こんな時代だからこそ、本書を手掛かりにもう一度振り返って考えてみるのはどうだろうか。

  • 上祐代表のサイン入り。
    現代日本の会社や社会というのもある意味カルト的なところはあるんじゃないか。そして、理念も突き詰めれば宗教のようなものと言えるのかもしれない。
    宗教と非宗教というよりも「何を信じるか」という問題は人間に普遍的にある。
    上祐代表は、超越的なものは一切認めないがアーラヤ識も突き詰めれば自己を超えた自己であったりする。
    オウムの「すべて」が間違っていたとすると、あらゆる倫理や神秘も関わりを持ちたがらない人が多くなりこれはまた精神の飢餓である。
    現代に突きつけられたオウムを超克することは可能なのか。

  • 上祐と田原総一朗との対談形式。

    上祐がいかにして麻原を信じていったか、いかにしてそこから脱却できたかがつふさに書かれている。

    オウムの本質を知ることができる一冊。

  • オウム真理教の幹部だった上祐史浩さんと田原総一郎さんの対談本。
    この対談における田原さんの疑問は明確だ。

    「人はなぜ信じるのか?」

    この問いには、もちろんキリスト教、イスラム教などの世界的宗教も含むのだが、田原さんの疑問は、あれだけの凶悪犯罪をやったオウム真理教をおかしいと疑わず、なぜ信じ、しかも凶悪犯罪へ向かって行動したのか? ということだ。しかも上祐史浩さんは、早稲田大学理工学部の修士課程まで卒業し、その後、宇宙開発事業団(JAXA)に就職したようなエリートがだ。オウム真理教には、そのほかにも、所謂社会的エリートといっていいような経歴の人たちがたくさんいる集団だった。

    20世紀は科学の世紀だ。科学は事実を冷静に取り扱う学問だ。しかも、実証可能でなくてはいけない。つまり、ある個人だけに特定して起こることではなく、万人がそのことを確認できる必要がある。普通に考えれば、オウム真理教の神秘体験などは科学から逸脱している。そんな麻原彰晃をなぜ信じて疑わなかったのか。

    麻原は言葉で説明するのではなく、「まず、体験してみてくれ。そうすればわかる」というアプローチをしてくるらしい。「ヨガや仏教の経典を見れば、過去の偉大な修行者・聖者も同じように体験して、輪廻転生を説いている」と。

    ボク自身も宗教の勧誘を受けたことがあるから分かるけど、でも、ハッキリとした断れば、勧誘を断ることができる。まして、小さいころから宇宙開発などにあこがれてきた頭の回転が早い少年が、なぜ、オウム真理教を信じきったのか。

    上祐史浩さんは、麻原彰晃のハルマゲドンの予言がはずれ、釈然とした気持ちの中で、最終的に麻原が別のものと説いてきた善の教団と悪の日本社会が、ひとつにつながって見えてきたという。そのとき、「あ、予言はやっぱりあたらないんだ、終わったんだ」と腑に落ちた。そして、オウム真理教での出来事が、大日本帝国の歴史と重なって感じられるようになった。歴史は繰り返し、人は妄信するということか。

    いま、上祐史浩さんは「ひかりの輪」という団体の代表をしている(http://www.joyus.jp/)。宗教法人ではない。人生を有意義に生きるために、思想や哲学を学ぶ場だそうだ。ボクは、本書での上祐さんの発言に、いまだに霊能力を信じているものを感じるし、そんな状況でまた、同じように進むことがあるんじゃないか、と思ってしまうことも事実だ。だけど、あれだけのバッシングの後に、TVや本などのメディアに出ながらも違う方法で向き合っている姿には、自分自身にケリをつけようとしている点で凄いと思う。

    この他にも、一般的には報道されていないようなことも書かれていて興味深い。ダライラマと麻原彰晃との交流。ロシアでのオウムの活動。記憶が薄れていく中で、貴重な当事者の生の声だと思う。

  • 帯に記載されている「なぜ、信じるのか…」という問いに上祐史浩が包み隠さず答えている。オウム真理教の上層部には数々のエリート集団がいたが彼らの誰もが、このまま企業など社会の一員としてある程度の地位を築けたとしても、その先が見えてしまい行き詰まっている心理状態にあったこと、プラス神秘的な事に興味があった事、そして one of them ではなくonly oneの存在になる事を切望していたことが共通している。信じる事の呪縛から逃れられなくなり深層心理までコントロールされるのは以外に簡単な事の様に感じられ他人事とは思えなくなった。
    田原総一朗氏が常に中立のら立場を取っており、何より素朴な疑問を率直に投げかける部分は読者側との一体感があり痛快である。また大日本帝国時代、東条英機が負けと分かっていながらゴリ押しした太平洋戦争がまさに自爆戦争であり、麻原が実行した地下鉄サリン事件(自爆テロ)と同じだという2人の共通した意見に妄信の恐ろしさを感じ、ぞっとした。今、スピリチュアルだのパワースポットだのと浮かれていることに日本人の精神的な揺らぎが感じられ、いつ「 危険な宗教」に転がってもおかしくないのでは、と思わずにいられない。サリン事件を知らない世代も是非読んで欲しいし、どの様な事件だったのかその背景を知り、事件を風化させてはならないと思う。

  • ジャーナリスト田原総一郎氏と元オウム真理教幹部上祐史浩氏との対談。
    本書題名の危険な宗教の見分け方、という内容にはなっていない。上祐氏がなぜオウムを信じたのか、オウムが社会的な犯罪を犯してもオウムを信じて離れなかったのか、オウムを離れたあと今の哲学を信じるようになったのかという「なぜ信じるのか」という上祐氏の個人的歴史の話である。上祐氏の感覚と田原氏の感覚がずれていて、上祐氏のことを理解できずに延々淡々と「なぜ?」と繰り返す田原氏の空気感の違いがおもしろい一冊。

  • 上祐氏の体験は普通の人間の体験と同じ。移り変わりながら自己を形成していく。
    おわりにに書かれている内容は興味深い。

  • オウムとは何だったのか、を知る手がかりになる一冊。上祐氏の本書の主張を鵜呑みにするのは危険だけれど、そこを差し引いたとしても、一読の価値あり。
    宗教はもちろん、ビジネスにおける学びも隠れている。なぜなら、ヒトの弱さについて記載した本だからだ。
    ヒトは臭いものに蓋をする。より正確に表現すると、ヒトは臭い“らしい”ものに蓋をする。自らがその実態を知っていまいが、「臭い”らしい”」となっているだけで、近寄らない。思考停止してしまうのだ。日本における宗教、特に新々宗教はまさにその類だろう。
    しかし、思考停止の先には学びはない。学びがないのだから、気付いたら同じ過ちを犯している、なんてことになる。
    この一冊は、日本社会の大きな思考停止案件の蓋をこじあけてくれている。
    まずは僕自身、しっかり考えを深めてみよう。

  • 元オウムの幹部である上佑氏と田原氏の対談。教祖(グル)の麻原を信仰していた上佑氏。出所後も脱麻原、脱オウムが出来ずに苦しんだという。

    教団と敵対する人たちを容赦なく殺し、地下鉄で無差別テロを行い、多くの死傷者をだしたオウム真理教。だが彼は、それが悪であったと認めていたが、刑期を出所後も、麻原洗脳から抜け出せずに苦しんだという。彼は刑期を終えて出所した後もオウム(アレフ)に戻った。アレフの信者の中には未だに麻原崇拝者がいたということ。

    元オウムで元麻原崇拝者だったからこそ語ることができるオウム真理教の魅力や麻原氏のカリスマ性。そして「なぜ、教団や教祖を我々は信仰していたのか」という客観的な分析。

    オウムを「殺人を正当化するカルト宗教」とか、麻原を「多くの人を騙し、多くの人を殺した精神異常者」とかいう考え一度棚上げし、目を背けることなく読んで欲しい本。

    上佑氏の洗脳が完全に解けていないからかもしれないが、この本を読むと麻原がいかにカリスマ性をもった人物なのかということが分かる。多くの信者を集め、人間を殺人者やテロリストにさせることができた人物。

    もしも麻原が殺人やテロ行為を指示せず、真っ当な宗教活動をしていたとしたら、と考えると恐ろしい気持ちになる。

    上佑氏は自身の意見として以下のことを記している。

    「特定の神様や人を絶対視するほど、どこかに歪みを生み出す。特定の主義が絶対と位置づけられると、それを深く信じれば、自分が他人よりも優れた存在になったと感じる。悪と見なしたものと戦うことになる」

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(008)危険な宗教の見分け方 (ポプラ新書)の作品紹介

なぜ、信じるのか――?

有名大学出身のエリートたちは、なぜカルト教団にのめり込んでいったのか。
なぜ予言が外れ、真実が明らかになったあとも妄信し続けたのか。
ジャーナリストの田原総一朗氏が、元オウム真理教の広報担当・上祐史浩氏の、今まで語られなかった“本心”に迫る対談。

上祐さんのお話は、
人間というものの弱さと強さを、
この上もなくわからせてくれる。――田原総一朗

(008)危険な宗教の見分け方 (ポプラ新書)はこんな本です

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