読んでみて、遺された家族が患者にできることは、シンプルなことだった。
読みながら、ホスピスで亡くなった伯母を思い出しながら、自分のやったことは間違っていなかったのだなと、安堵している自分がいた。
グリーフケアとしては、自分は、死を否定していた人である。
伯母のためにしっかりと葬儀をやってあげなくてはならない。その想いだけで突っ走り、初めのうちは、悲しむ機会を自分は持たなかった。
そして、伯母の妹である母も。
それを改めて思い至った本だった気がする。
ターミナルケアの学習の中で、キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」について学んだことがある。
でも、伯母をみていた時、その通りのプロセスではなかったのを覚えている。
著者が、その段階通りのプロセスを全ての人がいくのではなく、行きつ戻りつ、個人それぞれのパターンがあると書いていて、納得した。
ああ、確かにと。
プロセスは、一直線上ではないのだ。
遺されるものができること。
それは、「聴く」こと。
カウンセリングと同様、その人が何を考え、どう思い、どうしたいのか。という答えは、他人が分かるものではなく、答えを持っているのはその人本人だけなのだ。
でも、実際、近しい人だと、自分の恐怖、不安で「聴く」ことが難しくなるのだけれど。。
頭でわかっても、行動に移すことは容易ではない。。