蛇足になりがちな続編やスピンオフだが、あって良かったと思える本作。スピンオフが見事に成功した例としては『ホルモー六景』(万城目学著)以来じゃなかろうか(笑)
『Wonder』の中の登場人物3人にまつわる物語。本書執筆に関し、まえがきで著者は言う、
「一番の理由はジュリアンのためです。」
そう、本編『Wonder』を読み終わった時、もうひとつ視点を増やすなら、いじめっ子側のジュリアン目線だなと、恐らく多くの読者が思ったことだろう。そうしなかった理由も著者としてあったことを「まえがき」で語っているが、それでもこのスピンオフで取り上げざるを得なかった存在であったということが本書を読んでよく分かる。”ジュリアンをもっと理解するため”創作されたストーリーではあるが、ジュリアンの行いを通じ語りたかったのは以下;
「あやまちから人を判断することはできません。本当にむずかしいのは、おかしたあやまちを受け入れることなのです。」
本作を読んで、本編『Wonder』の思想がなお鮮明に浮き上がってくることになる。つまりは”寛容”だ。あるいは昨今流行りの言葉で言えば多様性への理解、受け入れだろうか。
著者は「いじめについて語るジュリアンの物語は、『ワンダー』に入れるべきものではありませんでした。そもそも、自分をいじめる相手の気持ちを理解して思いやるなんて、いじめに苦しむ子がすることではありません。」と語り、本編にジュリアン編を入れなかったが、本編+「ジュリアン編」でこの『Wonder』は完成されるのではないだろうか。そう思えるほど、このジュリアン編は完成度の高い感動作品だった。
映画『サラの鍵』的なエピソードもなかなかニクイしね(おばあちゃんの名前が”サラ”だったのは、単なる偶然?)。
本編『Wonder』がベストセラーとなり、ネット上では「KEEP CALM and DON'T BE A JULIAN(冷静を保ち、ジュリアンになるな)」なんてキャンペーンも過熱したという。ネット上の短絡なムーブメントではあるが、その危うさは一目瞭然。オギー愛しジュリアン憎しで囃し立てるそれは、まさにジュリアンが『Wonder』の中でオギーやジャックに対して行った行為と根っこのところで同じだ。それにきっちりオトシマエを付けた著者の手腕が見事。物書きとして作品でそのことを読者に気づかせた。 そして、誰もがジュリアンのことも理解したことだろう。素晴らしい!
続く「クリストファー編」「シャーロット編」もそれなりにだけど、「シャーロット編」は女子にありがちな感覚、行動様式がちょっと理解しにくく、読み飛ばし気味に・・・(あぁ、それも寛容な心で受け入れないといけないんだろうなと思いつつ)。 でも、アコーディオン弾きのおじいさんとのエピソードは映画『Wonder』の中に背景としてでもいいので描かれていると素敵だなと思った(映画、現時点では未見です as of Jun5,2018)。