- Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594049621
作品紹介・あらすじ
テキサスの田舎町のしがない保安官助手、ルー・フォード。愚か者をよそおう彼の中には、じつは危険な殺し屋がひそんでいた。長年抑えつけてきた殺人衝動が、ささいな事件をきっかけに目を覚ます。彼は自分の周囲に巧緻な罠を張りめぐらせるが、事態はもつれ、からみあいながら、加速度的に転落していく…饒舌な語り口で、おそるべき人間の姿を描ききった、現代ノワールの金字塔!ジム・トンプスンの最高傑作と賞されるあの名作の新訳決定版、ついに登場。
感想・レビュー・書評
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のっわぁ~~~る!
ということでノワール小説です。
「ポップ1280」という本がずっと気になっていて、それを借りようと思ったんですが、同著者の最高傑作はこっち、というのを聞いてこちらに変更。
ずっと「普通」を装ってきた保安官助手の本性は……。
最初から最後まで主人公の一人称で進むので、この男の頭の中身を転写されるような感覚。
「どいつもこいつも、どうしておれのところに殺されにくるんだ?」
主人公にかかわる人間たちに「逃げろ」と言いたくなる。
映画にもなってるらしいけど、観たことないな。
現代ノワールの金字塔! だそうだ。
関係ないけど、金字塔ってそもそもピラミッドのことだよね。でも「〇〇の金字塔」って文言を見て、ピラミッドを連想する人はまずいないんじゃないかな。むしろ金メダルとかトロフィーとか、そっちの方がニュアンスは合いそうだ。それは受け取る方だけでなく、金字塔と書くほうもそう思って使うのだろう。
本当はピラミッドなのに。
ピラミッド級の~と言われてもピンとこない。
正解(ピラミッド)が不正解で、不正解が正解状態。
おもしろいな。
言葉って、生き物なんやな~って思った。 -
作者のジム・トンプスンはパルプ雑誌に二束三文でクライム・ノワールを売っていたが、死ぬ前に彼のすべての本は絶版になっていて、没後評価され始めたらしい。ついたあだ名が、安物雑貨店のドストエフスキー。彼の代表作がこの「おれの中の殺し屋」だ。
僕がこの小説を初めて読んだのは15年ほど前、大学生のころになる。
友達が読んでたのを借りて読んで、もうぶっ飛ばされてしまった。
主人公のルー・フォードはテキサス州の小さな群の保安官助手。
普段はまぬけなお人よしを演じているが、その実態は用意周到で機転もきく殺人犯だ。
読者は彼の一人称の独白に付き合うのだが、おそらく初読の方は驚くと思う。
なぜなら彼の殺しには動機がいっさい無いし、彼の行為そのものが読者に不条理に映るからだ。
この突き抜けた不条理さこそ、トンプスンの作品を特異なものにしていると思う。
一人称で書かれていることや、主人公が時折する言い訳などは読者自身が自己を投影させ、物語に入り込みやすくしている。
加えてフォードの言動には、なにか肉付けされた人としての重みとでもいうものがある。
あとがきでスティーブンキングはこう評している。
「ルー・フォードが口にする田舎言葉の下品な台詞は、すべて完璧にバランスがとれており、さらにそれに重みを増すものとして、人間の有り様に関する簡潔だが心に響く評言が加わっている。」
人間の有り様に関する簡潔だが心に響く評言。まさにその通りだと思う。言い換えればあるひとつの真理のようなものだ。
僕が昔読んだ時は、若く多感な時期だった。だからかもしれないがその時は物語に入り込みすぎて、読んだ後に鏡で自分の顔を覗いたら、そこに映る自分の顔が人殺しの顔に見えたほど、僕は震えあがっていた。
小説って読み手にたいして、こんな働きかけをすることも可能なんだ!と驚いた。年をとって読んでみると、いくらか距離をとって落ちついて読めた。
相変わらずとても面白い小説で、唸らされるシーンがいくつもあった。
個人的にはこの小説は犯罪小説の仮面をかぶった純文学小説じゃないかと思う。
愛を説く小説は多いなか血と暴力に重きを置いた小説家というと、ジム・トンプスンかコーマック・マッカーシー、フラナリー・オコナーくらいじゃないだろうか。
純文学小説の極北として評価できる作品だと思う。 -
ルー自身によって、彼が人を殺していく様子が淡々と書かれていく。
邪魔な相手、殺すように頼まれた相手だけでなく、最愛の恋人エイミーさえも殺してしまうルー。
犯人自身によって事件が語られているのに、彼が「なぜ」人を殺したのかはわからないまま。
殺さないといけないと思ったんだ、わかるだろ? っていう調子。
語り手である犯人自身がこんな状態なので、ルーの殺人も物語の中でさも当然のことのようになされていく。
が、物語が進むに従って、ルーに寄り添っていた物語がだんだん彼を突き放し、ルーを狂人として描きだすようになる。このズレが生じ始めてくるところは本当にぞわっとした。
ルー・フォードが人を殺す理由は直接的に「~が原因」とは語られていない。幼いころにうけた性的暴行の存在はほのめかされているものの単純にそれが殺しの衝動に直結したとは書かれていないし、私もそうとは思えない。
しかし、ルーが人を殺すその原因が明かされていないことこそがこの本の一番の魅力だと思う。AがあったからBを起こしましたと単純に分析できないのが人間だと思うのです。 -
『ポップ1280』と併せて読みたいジム・トンプスンの代表作。
乾いた空気感の狂気にクラクラします。 -
「ポップ1280」に似た構造だが、こちらは少し主人公が計算している感じがある。あと、被害者が善人なので、感情を理解できない主人公に周りが翻弄されるって構造が明確に感じられ、いたたまれない気持ちになってしまった。
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語り手ルー・フォードに「あんた」呼ばわりされるのは、我々「読者」ではなく事件全体を傍観してる(かもしれない)「神」だろう。つまり本書は、神に唾吐くノワールだ。
創造主よ、あんたがお創りたもうたこの世はクソみたいなもんさ、サイテーなんだよ。おれたち、みんな。 -
公式HP:
http://www.kim-movie.com/
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トンプスンの最高傑作だと思います。ルー・フォードの最低ぶりにしびれました。
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素晴らしい!読んでいることすら忘れてしまうほど。
何より凄いのは、これが一人称で書かれているってこと。つまり、最初から最後まで、ルーの視線で物語を追っているってことだよね。こんな離れ業はトマス・ハリスにもスティーヴン・キングにも出来やしない。完璧。
この味わいは村上春樹に匹敵すると、僕は思うのです。 -
読んでいる間、ずーと不安な気持ちがなくならなかった。なぜだろう。
1人称で語られているのでルー・フォードのやっていることは読者にはまるわかりです。でも、なぜかルー・フォードは捕まらない、アリバイ工作もなんとなく幼稚な感じかするのにです。
テキサス州セントラルシティの保安官助手として暴力に頼らずに職務を遂行してきた実績があるのかも知れない。でも、周りの人々は彼の本性に気づかないところが一番の恐ろしいところです。
ルー・フォードにとって善い行いも悪い行いも変わらない、やるべきことをやるだけと言うことだろうか、見た目ではその本性がわからない、それこそが人間としてもっとも恐ろしいことだと思います、
ルー・フォードのことを理解するために重要な箇所があります。
『エイミーを殺さなけらばならないのはわかっていた。その理由もはっきり言うことができた。ところがそのことを考えるたびに、あらためてなぜなのか考えなけらばならなくなった。何かをしていたとする。本を読んでいるとか、あるいは彼女と過ごしているとか。すると突然、自分は彼女を殺すのだという考えが襲ってきて、それがあまりにも途方も無いことに思えて笑ってしまいそうになるのだ。それから改めて考えて、やはりそうだと思う。やはりそうするほかないのだと・・・』
彼の心のなかに進入してくる人間はすべて不幸になる、だれにも止められないことがわかります。
文庫本の解説をスティーヴン・キングが書いていました。ものすごく絶賛しています、彼も私とおなじような不安な気持ちを抱えながらこの小説を読んだのでしょうか、
金字塔ってそんな簡単に使っちゃいけない言葉なのよね...
金字塔ってそんな簡単に使っちゃいけない言葉なのよね本来
ピラミッドですから
もうちょっと言葉を大切にしてほしいな〜って偉そうに思ったり
瑕疵はない、というか。
好みでいえば、もっとドロドロのグチャグチョのねっとりしてほしい。
淡泊なんだ...
瑕疵はない、というか。
好みでいえば、もっとドロドロのグチャグチョのねっとりしてほしい。
淡泊なんだよな。