- Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594058012
作品紹介・あらすじ
はるかな未来。機械文明は崩壊し、さまざまな遺物のなかで、独自の文化が発達した世界。少年"しゃべる灯心草"は、みずからの旅の顛末を語りはじめる。聖人になろうとさまよった日々、"一日一度"と呼ばれた少女との触れあい、"ドクター・ブーツのリスト"との暮らし、そして巨大な猫との出会い-そこからじょじょに浮かびあがってくる、あざやかな世界。彼の物語は、クリスタルの切子面に記録されていく…いまも比類ない美しさを放つ、ジョン・クロウリーの幻想文学の名作、ついに復刊。
感想・レビュー・書評
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遠い未来のノスタルジーが詰まった一冊
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遠い未来のアメリカ、インディアンの末裔たち、天使たち(過去の人間)が残した機械文明の残骸を利用し生きる。あれ?どこかで読んだ設定。と思ったら、つい先日読んだル=グインのオールウェイズ・カミングホームに設定が似ている。内容は、しゃべる灯心草という名の少年が語る自らの物語。ラストを読んで、最初に戻ると切ない・・・。幻想系のSF作品。
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ジョン・クロウリー、作。
大森望、訳。
もう名作確定じゃないですか。これだけで。
ということで、中身も見ないで購入決定。
そして今日、読了しました。
いや、予想通り。期待以上。堪能しました。
複雑な立体の展開図が、少しずつ組み上がっていく感じでした。
通常は逆だと思います。立体が徐々に開いていく感じ。
なんというか、時間が遡っていくような、なんとも不思議な感覚を抱きながら読みました。
といっても、別にタイムトラベルものなんかじゃありません。
あくまでも時系列に沿って、順序よく物語は進んでいきます。
なのに、読んでいると、なんだか逆回しの風景を見ているような、不思議な感覚なのです。
たぶん、読んでいくうちに霧が晴れていくような物語の展開が、そういう錯覚を引き起こしているのだと思います。
とはいえ、この感覚は一般的なものじゃないかもしれないです。ぼくだけなのかも。
あと、なんと言っても「ワンス・ア・デイ」ですかねえ。
「灯心草」との、間柄というか、距離感というか。
もうたまらんですね。じりじり。
文章が本当に素晴らしいです。
難解ではなく、かといって容易でもない。
鈍重ではなく、かといって軽快でもない。
すべてが絶妙のバランスの上に成立しています。
そのバランスが、読み手を確実に捉え、幻惑へと誘い込んでいるのだと思います。
その文章を、これまた絶妙の技で訳している大森氏に感謝。
解説で、大森氏が書いていることを引用しましょう。<blockquote>訳者の贔屓目かもしれないが、”永遠の名作”という言葉は、たぶんこういう小説のためにあるんじゃないかと思う。</blockquote>まさに、仰るとおり、です。 -
9/24 読了。
はるか数千年前、機械文明は死に絶えた。地上に残った人びとが作りだした蜂の巣状の迷路街リトルビレアでは、「ひも系」「みず系」「このは系」「しめがね系」などと呼び習わされるトーテムを同じくする者同士が結びつきながら暮らしていた。文明崩壊後に空を目指した人びとのことは長い時間を隔てて伝説の物語となり、リトルビレアでは彼らを<天使>と呼んでいた。物語の記憶を司るトーテム「てのひら系」の少年<しゃべる灯心草>は、あるとき<一日一度(ワンスアデイ)>という「ささやき系」の少女と出逢う。互いに惹かれ合うものの、ワンスアデイは自らのルーツを求めて、リトルビレアの外からやってきた<ドクターブーツのリスト>の人びとについて行ってしまう。いつか聖人になりたいと願う<灯心草>も、彼女からしばし遅れてビレアを出、外の世界を見に行く決意を固める。
幹線道路やネジや時計やアメリカ国旗が今と全く違う意味を持って神話と化した世界で、ネイティヴ・アメリカンのようにトーテムを重視するビレアに生まれ、猫(虎)を神のように崇めて都市の遺跡でヒッピー的な生活を送るリストの人びと、荒野に散らばる遺物を拾って暮らすアベンジャー、そして空の都ラピュタの天使たちに出逢う<灯心草>のジュブナイル小説。SFのサイエンスの部分が巧妙に隠されているので、口承の物語のなかにある「なぜ世界がこうなったのか」のヒントを繋いでいくのが楽しい。文明崩壊後の世界は一見ユートピアのようにも思えるが、そこかしこにディスコミュニケーションの重たい壁が立ちはだかり、人びとは途方に暮れて立ち尽くしている。物語る想念となった<灯心草>は「物語は人を救うことができるのか」と切なく訴えかけているように思える。 -
特異な幻想世界の日常を描いてるんやけど、根底にSFがって感じは『旅のラゴス』に近くて好み。
面白かったけど、誰にでもおすすめ出来るものじゃないです。世界観に入りこめんと辛いものがある。 -
大洪水の水が引かず、ノアの方舟が何世代にわたって航海を続けたと仮定しよう。ノアも息子たちも死に絶え、何千年も過ぎて陸地が見えたとき、そこに人々がいたとしたら、その人々には、ノアの子孫は地上の者とは思えなかったのではないだろうか。方舟には方舟の物語が、地上にはまた別の物語が伝えられていたはず。もし、言葉が通じるものならば、方舟に招じ入れられた地上の者の語る言葉に、ノアの子孫は耳を傾けたにちがいない。こんなとき、SF作家なら得意のギミックで翻訳を可能にしてみせるだろう。
タイトルの『エンジン・サマー』は、文中では「機械の夏」と訳されている。意味的にはそれにちがいないが、音的には「秋から冬にかけて風が弱く暖かな日のこと」を指す「インディアン・サマー」(小春日和)を思い浮かべてしまう。まるで、本来の意味が失われた後で、誰かがよく似た音を持つ別の言葉で言い換えたように。少し読めばわかるが、舞台となっているのは、文明社会が崩壊した後の未来のアメリカ。かつて繁栄を謳歌していた文明社会は「嵐」と呼ばれる危機の前に完全に崩壊し、地上に残されているのは、「嵐」以前に「都市」での文明生活に見切りをつけ、脱出した者たちの子孫たちだけであることが分かってくる。
主人公はその命名法や、お下げに編んだ髪という記述から、ネイティブ・アメリカンを連想させる<しゃべる灯心草>(ラッシュ・ザッツ・スピークス)。系(コード)と呼ばれる部族によって異なる性向を持つ人々が、生き残るため緩やかな連帯を保ちつつリトルビレアという迷路のように入り組んだ街で構成される共同体を営んでいる。<しゃべる灯心草>が属するてのひら系の者は、その名の通り物語ることを好む。主人公も語り部の女たちによって語り継がれる種族の物語を聞くのを好むが、いつかは故郷を捨てて旅立つ運命にあるようだ。
近未来を舞台にしたSFが好んで描くのが、文明社会が崩壊した後の混乱した世界、つまり「ディストピア」なのだが、本作は崩壊後の世界をそうは見ていないようだ。形式からいえば、若者が旅を通じて様々な人と出会い成長を遂げる、という人格形成小説(ビルドゥングス・ロマン)の系譜につながる。その教養小説の骨組みに、少年と少女の出会いと別れを描く青春小説的な甘酸っぱさを加味し、銀の手袋とボールをはじめ、SF的ガジェットについての謎解き興味をまぶした、著者三作目にして代表作となる長篇小説である。
若い頃は結構読んだSFだが、近頃はとんとご無沙汰していた。物語を楽しむために必要と思われる以上に大量の疑似科学的情報をこれでもか、というほど読まされるのに閉口してしまうからなのだが、好きな向きには、そこがいいのだろうというくらいのことは分かるつもりだ。その点、この作品に登場する物の多くは、クロスワードやからくり人形仕掛けの晴雨計といった、現代人には自明だが未来人には未知の物体である。つまり、「読者は知っているが登場人物は知らない」という物語ならではの仕掛けがほどこされていて、とっつきやすい。
というよりむしろ、科学偏重の現代文明に疑問を呈し、エコロジーや、環境重視といった時代潮流に乗ったところが受け容れやすいのかもしれない。ツリー・ハウスに住む<またたき>(ブリンク)をはじめ、登場人物たちは、廃墟と化した家屋でかつての機械類を再利用した今風に言えばリサイクルやリユースといったエコな暮らしを実践している。かつて、ベトナム戦争反対に沸く人々は、「自然に帰れ」というスローガンを掲げたヒッピー・ムーブメントにオルタナティブな生活様式を見出したものだった。発表されたのが79年というから、コミューンやドラッグ・カルチャーといったヒッピー・ムーブメントの影響を受けたと思しき人物たちの行動様式や慣習が、時代がひとめぐりしたせいか、かえって懐かしく感じられる。
SFらしいギミック満載だが、ストーリー的には少年の旅は意外に地味である。樹上で暮らす<またたき>(ブリンク)に出会うのも故郷の家からさして遠くなく、次に移り住む<リスト>の交易商人たちのキャンプも危険からはほど遠い。遍歴する主人公は「勇者」でも「騎士」でもない。小説が、物語るということ、をテーマの一つとしているからには、主人公の修業はまず「聞く」ことからはじまる。賢者や老婆の語る物語のなかに、彼が解かねばならぬ秘密が隠されているからだ。
物語の語り手が、自分の経験してきたことを語る、という設定が、作家が小説を書くという行為のメタレベルの解説になっている。物語を書くことの意味、作家とは何か、語られた物語は誰のものか、といった世界を創る者としての作家の疑問がナイーブなまでに素直に表現されているところに、初期の作品らしい初々しさが出ている、と今だからいえる。
空を飛ぶ都市「ラピュタ」が登場するように、スウィフト作『ガリバー旅行記』に倣い、寓意や風刺の色濃い本作の謎は物語の最後で解かれるが、回想的視点で語られる主人公の旅の意味は再読を要求せずにはおかない。複層的なテーマを持つ作品に張りめぐらされた伏線一つ一つの意味を回収するために、読者は最初からもう一度<しゃべる灯心草>の話を辿りなおすことだろう。円環構造をなす、終わることのない物語。これに優る物語の愉しみがあろうか。 -
好きな感じの世界観ではあるのに、なぜか言葉が頭に入ってこず、読み進めるのが辛かったたため、半分読んで挫折。
何年か後に再トライしよう。 -
幻想文学と思いきやSF。とても面白く読めたうえ、エンディングのもの悲しさと来たら、もう。素晴らしい一冊でした。読んで良かった。
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大森さんの末尾の解説が私にはよかった。
というか、こんな難しい本を翻訳しようとした志に脱帽。それほど読みづらくなかったし。
希望としては『エンジン・サマー』という原著名より、大森さんの『機械の夏』の方を題名にして欲しかった。その方が中身にもあっている気がする。
結構、読み終わると寂しくていたたまれなくて、だから個人的にはそんなに好みじゃない。 -
登場人物の名前が取っ付き難いが、それでも読み進めるうちに慣れる。<しゃべる灯心草>の辿りつく末路は、今にして思えば、彼の名前が既に示していたのかも。
それにしても<新しい太陽の書>といい、コレといい、文明崩壊後を描く物語は難解だな。 -
名作復刊。ファンタジーの皮をかぶったSFであります。宮崎駿の「天空の城ラピュタ」の元ネタはスウィフトの「ガリバー旅行記」だと言われていますが、直接はこの作品ではないかと思うのですよね。
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全く入り込めず。
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SF。機械文明崩壊後の遠未来もの。
過去の物語を語る「聖人」を目指した少年の冒険と恋。
独特の世界観と意外な結末、様々な遺物の解釈などなど、随所に工夫が凝らされているということは理解したが、この小説の良さを真に理解するには、私には恐らく、SFを読んだ経験と、想像力と、純な感受性が不足していたのであろう。
小説世界に没入できず、彼の冒険も恋もともにすることができず、途中からは正直惰性で読んでいた。
こーゆー類の小説は、その世界に自分も行きたいと思えるか否かが、楽しめるかどうかの鍵だと思うが、私にはこの小説は合わなかった。
SFの読書経験も多くないので、このジャンルで本作品が成し遂げた成果についてもよく分からない。 -
大人の童話だなぁ。清涼感が残ります。
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素敵な本です。
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神話だ。解説してほし〜。
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最後に明かされる語り手の正体は哀切きわまりない。そこに至るまでの幻想的な旅の物語に入り込めたら、訳者のように「傑作!」と唸っていたかもしれないが、うーん、そこがどうにもなんというか退屈だったんで…。意味ありげで、でもよくわからないものが次々出てくるのに飽きてしまった。私はやっぱりもっとすっきりした話が好きだな。
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こんな読書体験は初めて。ディテールの描写が素晴らしい。翻訳家泣かせだったと推察。例えば時間を表現するのにキスに例えた場面など(362ページ) 美しい物語そして結末を読み終わった後の切なさ。
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●私が読んだのはハードカバーの旧版だったのですが、ふと気づくと裏表紙の内容紹介がそこはかとなくネタばれでびっくりしました。八割がた読んだ後でよかったよかった。
●最初なかなか読み進めなかったのは、どうにもヴィジュアルイメージが掴めなかったせい。
平安時代の人が解釈した電子レンジの説明を聞いても、すぐにそれとはわからないみたいな事かなあ。
しかも、こう言うタッチの作品を読む時のクセで、つい用心しながら読んでしまうせいもあり。(←SFだと主人公が一首二手二足構造の人間とは限らないしミステリは主人公=犯人なんじゃないかとつい思ってしまう悪いくせ。)
いちおう話は理解したつもりですが、いまいち入り込めず読了しました。残念。 -
年によっては,初霜のあと,太陽がまた熱くなり,しばらく夏がもどってくることがある。冬はもうすぐそこ。朝のにおいを嗅ぎ,半分色が変わりかけたカサカサの木の葉がいまにも落ちようとしている姿を見れば,それがわかる。なのに,夏が訪れる。ささやかな,いつわりの夏。ささやかな,いつわりのものだからこそ貴重な夏。リトルべレアではそれを------だれも知らない理由から------機械の夏(エンジン・サマー)と呼ぶ。
(本文p.108)