- Amazon.co.jp ・本 (407ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594062484
感想・レビュー・書評
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微妙。
ベトナム帰還兵の過去を丁寧に追いかけたり彼の狂気を丁寧に描写するところには交換が持てるが、それで半分近くまで引っ張るのはさすがにだれてしまう。スリラー的な展開が始まるまでがだるい。
そして彼の狂気からマンハントに至るのがなぜなのかよくわからない。ちょっと飛躍があり過ぎてはないかと思う。何かしら不幸な事件があってマンハントをせざるを得なくなった、みたいな転機が欲しい(たまたまマリファナ畑を発見してしまったというのは弱すぎる)。
作家先生が2人の女を従えていることの必然性もなく、なんなの?なんの意味があるの?とモヤモヤ。とくに奥さんの方は出演させる必然性が皆無では?
落とし穴の竹槍に貫かれた親友を引き上げるシーンは悲しくて無残でよかった。ケッチャムはそういうのが得意だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ケッチャムにしてはストレートな怖さだった。
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ベトナム戦争以降フラッシュバックが頻繁に起こしてしまうようになってしまった男は社会に入れず大麻を育てて暮らしていた
二人の女を愛す作家が女と編集者と友人の作家とカメラマンを連れてキャンプに訪れた
登場人物たちがそれぞれすごく生きてるのに内容はマン ハント ホラー
グロい描写はそれほど多くないけど、痛々しいシーンは盛りだくさん
ちょっと異色じゃない?この小説 -
悲劇だね。
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ベトナム帰還兵リーは、マリファナを栽培して生活していた。過去の記憶がたびたびフラッシュバックし混乱する彼のマリファナ畑に、ある日、都会からやってきた6人の男女が侵入する。そして起こる惨劇。
作中、リーは6人を神経戦で追い詰める。ベトコンの戦術だ。過去のベトナムと現実のマリファナ畑が彼の中で溶けあっていく。裕福な6人の都会人とリーの現実が対比する。
終盤、ひやりとする箇所がある。この小説は現実の地続きとして書かれている。ケッチャムという作家の恐ろしさがここにある。
本書の原題は『COVER』という。暗示的だ。 -
元々は20年近く前に執筆された作品で、著者の長編第3作にあたる。
ベトナムからの帰還兵であり、後遺症による記憶障害に苦しみ、森の中で世捨て人同然の生活を送るリーと、成功を収めた人気作家であるケルシーとその妻、友人でもあるエージェント、そして作家の愛人他といった一行6人。登場する各キャラクターの丹念な心理描写がありながら、その一方で読者が固有のキャラクターに安易な感情移入、あるいは過度に嫌悪感を抱かせることをどこかで拒絶しているようにも思えるのは、何ともケッチャム作品らしい。
また、リーを理解不能な怪物(尤も、それではただのD級サスペンスにも値しない)とも、無為な戦争が遺した哀れな犠牲者(それはそれで絶賛しそうな人々がいそうだが)とも描いていないことで、ベトナム戦争がアメリカ社会に落した影―アフガンやイラク等からの帰還兵の心の傷は、今もなおアメリカ社会の深刻な問題でもある―が作品の基調として(まるで低音部のベースのように)読書中ずっと低く静かに響いてくる。
詳しくはこちらに。
http://rene-tennis.blog.so-net.ne.jp/2010-10-14 -
ベトナム帰還兵リーの記憶に対する苦悩・・・J・ケッチャムは、読者の目を逸らさせない・・・ベトナムで起きた村での惨劇が、読者である自分の頭に強烈なイメージを残す・・・人気作家ケルシーを中心とした6人がキャンプへいき、知らないうちに彼の領域に入ってしまう・・・追われるシーンから読む手が止まらないこと必死!!
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ベトナムからの帰還兵リーは、山奥でマリファナを栽培して生活していた。夜ごと彼はベトナムの悪夢にさいなまれている。
そこに6人の男女がキャンプにやってくる。
彼らがリーの畑を見つけたことで、惨劇が始まる。
ケッチャムにしては、文章がごつごつしてるなと思ったら、デビュー3作目という初期作品でした。
が、この素朴さが恐怖をあおりててくるのであった。
現実社会に適応できず、現実とベトナムでの記憶が混乱していくリーの、その混乱がある意味整然と語られるのが怖い。糸が切れるように落ちていく狂喜もあるのだろうけど、この狂喜は薄紙を重ねて行くような感じだ。
重ねられていく薄紙の向こうから、日が透けるように、リーの妻の姿が見え隠れするのがなんとも切ない。
そして、リーと敵対するキャンパー達。
人気作家と、その妻と愛人が一緒にいるという奇妙な三角関係が、妻と、愛人のキャラクターが物語に不思議なパワーを与えている。
全くすごいキャラクターを生み出したものだ。
結末も結局は、彼女たちのキャラクター故なのだろうなとへんに納得するのであった。
…戦争はなんであれ間違っていると思った。
人が人を殺すことは、どう言葉で飾っても、どう意味をつけても、結局は間違いなのだ。