揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録

著者 :
  • 扶桑社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594064730

作品紹介・あらすじ

戦争体験者から見た震災。過酷な運命の変化に備えるということ。安全を妨げる「絶対安全」という暴論。この災害に責任はない、と言い切れる人はいない。最大の幸福は信頼に足る上質な1億人の同胞。-すべての日本人に捧ぐ、書き下ろし緊急出版。

感想・レビュー・書評

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  • このおばあちゃん(著者)、何もわかっていない。老害。
    久しぶりに本を読んで腹が立った。
    さすが政府のまわしモノ。

    「神奈川にいた私が3.11を語る資格はないのかもしれないが」と前置きしつつ、「戦争中はもっと大変だったんだから!アフリカはもっと大変なんだ! 我慢が足りない!」・・・オイコラー!!

    突っ込みどころ満載。
    どうしてこの本を書いたの?
    書かなきゃいいのに。

    3.11被災者が読んだら(私もだけど)
    はらわた煮えくり返ること間違いなし。

    はらがたった場所に付箋で印をつけたら
    付箋だらけになったんですけど。

    P39 逃げるべき土地を政府に「世話しろ」という発想は戦後一人として考えた人はいなかった (は?)

    P72 被災者にはバスも用意されていた。建物があるだけ幸運なのである (幸運じゃない! 何もわかっていない!)

    P87「生活を元に戻してくれ」などと「世迷いごと」を言ってはいけない (ハイハイ おばあちゃん 寝る時間よ~)

    P129 2畳に3人が寝ることに「死んでしまう」と言う被災者。世界的にこの言葉は通じない。 (ここは日本だし、おばあちゃんはお嬢様育ちでしょ? ちょっと貧しい国に視察に行ったくらいで偉そうなこと言うな♪)

    P233 避難区域にどうしても住みたいと言う人がいるならば、政府は個人の判断を妨げていけない。しかしその場合あらゆることは自己責任で受け止め、政府に補償など要求しないことである (う~~ん・・。安全だって原発推ししたのは電力会社/経済省/国なんだから、医療費無料・食材を毎週 電力会社/経済省/国 のお偉方が届ける、くらいはしたら良いと思う)

    - - - - - - - - - -

    ※募金・義捐金については共感した。
    P137 集めたお金を何に使ったか主な集金機関は公表するべき (怪しい団体いっぱいいるからね・・!!)

    ※これもちょっと共感。
    P167「停電がもたらす最大の社会的変化は民主主義が一時的に停止するということである」

    P174 メモ:惹起(じゃっき)

    P202 上げ膳据え膳の被災者
    これはちょっと考えさせられた。炊出し等のボラもたくさん現地入りするけれど、ある程度の時間が過ぎたら被災者の精神・ADLの向上のためにもボラと被災者が「一緒に」炊出しをするのは良いと思う(なかなか状況的に難しいかもしれないけれど//もちろん手伝いをしていた被災者も多くいるのは知っている。//元気のないおじいちゃんおばあちゃんをうまく誘って、仕事をしてもらうとか・・) やる気満々の押しつけボラも多いから、この案で松岡修造的ボラを落ち着かせたい。。。笑

  • 曽野綾子さんによる、東日本大震災を契機とした日本人考&日本社会考をまとめた本。出版は2011年9月。書き下ろし原稿に加え、様々な雑誌や新聞に掲載されたものも収録されています。

    サブタイトルが「東日本大震災の個人的記録」となっているからか、自説をぶれず曲げずに展開してます。根っこの部分はとてもシンプルで、覚悟と責任ある自由が求められていることや、運命を自覚し受け入れることも必要だということ、さらには生きる力を失った(あるいは自ら放棄した)日本人の甘さと弱さも喝破しています。
    震災直後の、文字通りすべてを失った被災者の方が読むには辛い本かもしれないけど、それでも頷ける部分は多いです。

    心に残った部分を少し抜粋。

    『もちろん運がすべてではなかった。私はかねがね人生は運半分、努力(学習)半分だと思っている。しかし運などというものの存在を、日教組的教育は教えなかったのだろう。何しろ皆がいい子で、平等と公平を何より大切だというような思考では、現実を正視する勇気も教えなかっただろうから。平等と公平は現世における我々の悲願ではあるが、決して現実ではないのである。』

    『住んでいた土地から水が引かなくて、もう居住に適さなくなっている場合は致し方ないが、水道が再建されなくても井戸や湧き水があり、電気がなくても以後はランプで暮らす、という程度の気概さえあれば、政府は個人の決断を妨げてはいけない、と思う。それこそが自由主義国家の国民の選択というものだ。
    しかしその場合は、以後に起こるあらゆることは、自己責任で受け止め、政府に補償など要求しないことである。自由と責任とは、そういうものだ。』

    『放射性物質を含む校庭は表土を取った後なら、子供たちに戸外で運動をさせてもいいかどうか、今のところでは誰にも分からないのだから、私はそういう論議はむだなように思う。もし幾分でも危険が予測されるなら、今後一切、校庭で運動をさせなければいいのである。別に戸外で運動をしなくても、教育にも人間形成にも、何の妨げにもならない。校庭そのものがない学校などアフリカにはいくらでもある。あっても暑くて戸外では遊べない中東の地域もある。
    もしどうしても子供を野球選手やサッカーの選手にしたいので、戸外の運動が必要というなら、一家が犠牲を払って子供のために放射能の危険圏外に疎開するほかはない。バイオリンやピアノに天才的な才能を示す子供の両親は、しばしば夫婦別居という形で、父は仕事のために日本に残り、母と子供だけが留学するという例は多い。あれと同じだ。
    戸外で運動をしなければ学校ではない、という観点はむしろ身勝手だろう。』

    『今回の事故で、ほんとうは日本人は深く反省して、以後決して使ってはならない言葉を二つ知ったはずである。
    一つは「絶対に」という言葉だ。絶対ということはないのだ。
    ……もう一つはもう何度も書いたが、「安心して暮らせる」という甘えである。……安心して暮らせる生活を、約束する人は嘘つきか詐欺師。求める方は物知らずか幼児性の持ち主である。』

    上記の抜粋のすべてに諸手を挙げて賛成できる人は少ないと思いますが、「個人的記録」という布石を打っているにしろ、賛否両慮ンが巻き起こるであろうこうした持論を、誤魔化さず八方美人にならずに朗々と唱えている姿勢そのものに、見習うべきところは多いと思います。

    さて、自分はきちんと義務や責任を果たした上で、自由と権利を主張できてるだろうか?いつの間にか、いつぞや騒がれたモンスターペアレントみたいな、理不尽と我が儘を振りかざす人になってないだろうか?
    そんなことにまで、読了してから考えさせられました。

  • おおむね同感

  •  いつもの図書館の新刊書の書棚で目についたものです。今般の東日本大震災を機に出版された本のひとつです。
     著者は作家の曽野綾子氏。本書での著者の主張は、綺麗ごとで済ませる表層的なコメントではなく、そこには、なかなか面と向かって言えないような正論も多く見受けられます。しかしながら、本書のところどころに見られる「今回の大震災の悲劇を、世界的な貧困や難民の実態あるいは自らの戦争体験等と安直に比較・評価しているように感じられる言い様」は、被災者の方々の心情を慮ると過度に厳しいものに感じられ、とても残念に思いました。

  • 教員からの推薦図書。

  • 「わたしらの世代は動じなかった」ってスタンスが不快で、途中で読むのやめた。

  •  曽野さんは、最近、いろいろ公職にはついておられるが、本をあまりだされていない気がする。

     この本は、アマゾンのお薦め商品で知って購入。

     東日本大震災を受けたエッセイなどをまとめた本。

     いつものとおり、アフリカなどの現状を踏まえて、読者に気合いを入れてくれる。 あと、戦争を経験した人は強いと思う。

    ①人々がどんなに先祖伝来の田畑に執着しようと、それを振り切って町全体を高いところにもちあげなければならないと考えた人がほとんどいなかったということは、やはり行政にも個人にも同等の責任があるということだ。(p82)

     宮城沖地震は、99%の確率があったので、十分な対応をしてこなかった都市計画関係者として責任を感じる。

    ②民主主義は、安定した上質の電気が、国の隅々まで供給されている社会でしか機能しない。(p168)

    ③自分の一存でやるべきことをやって、それがいけなかったら責任をとって野にかえる、浪人するなどという覚悟が最近のエリートには全くない。(p196)

     まったく、そのとおりで自分でもなさけない。保身に走ることなく、国民の利益、国益だけを考えて仕事をしたい。

     ただ、クビになっても、耕す畑もないのが玉に瑕。なにか、自立できる力をつけなくてはいけないと思う。

  • 講演会に行くため、購入。
    個人的記録となっていることもあり、曽野さんが大切!と思ったことを、地震後という非常事態の中で書き綴った感じ。
    練った文章とは言い難いかなあ。

    でもこの人がどれだけ自分を律しているか、本当によく分かります。
    80歳になった時、私はきっと足元にも及ぶことはできないのけど、憧れてめざそうって気持ちは持っていよう。

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著者プロフィール

1931年、東京に生まれる。作家。53年、三浦朱門氏と結婚。54年、聖心女子大学英文科卒。同年に「遠来の客たち」で文壇デビュー。主な著作に『誰のために愛するか』『無名碑』『神の汚れた手』『時の止まった赤ん坊』『砂漠、この神の土地』『夜明けの新聞の匂い』『天上の青』『夢に殉ず』『狂王ヘロデ』『哀歌』など多数。79年、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章。93年、日本芸術院・恩賜賞受賞。95年12月から2005年6月まで日本財団会長。

「2023年 『新装・改訂 一人暮らし』 で使われていた紹介文から引用しています。」

曽野綾子の作品

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