オウム事件 17年目の告白

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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594067496

作品紹介・あらすじ

特別指名手配犯全員逮捕。地下鉄サリン事件発生から17年、麻原の側近が語れなかった真実を初めて綴った。「オウム事件」を取材してきたジャーナリストで参議院議員の有田芳生が徹底検証。

感想・レビュー・書評

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  • 事件の当事者主軸であった著者による回顧です。事件の本質を当事者が分析しています。また事件後の活動についても、著者の視点で述懐しています。一方の主軸である、三女の著作も読みましたが、その後の行動として互いに矛盾するところもあり、どちらが正しいのか分かりませんが、著者の主張の方が具体的のようにも感じ、明らかのようにも思います。本事件の本質を著者は「真面目さ故の行動」で「結果は不幸」であったとされていますが、これは誰にも起こりうることで、自戒の気持ちを持ちました。一方で私自身は当時も今も行き過ぎた行動のようにも思いますが、それは報道でしか知らないソトの人の一般的な感じ方なのかもしれません。
    その後著者は結果責任を負い行動されて、それは当然の行動と私は理解し今後も誠実に行使してほしいと思います。

  • 地下鉄サリン事件が発生した時、私は中学生でした。
    朝から晩まで、あのセンセーショナルな事件に、ニュースはすべてオウム関連、
    当時通っていた学校でも麻原彰晃の奇抜さに、麻原をネタにするカラかいが私の日常を覆っていました。
    全く自分とは「関係ない」事件として。

    ここ数日、改めてオウム事件の歴史的を考えていました。
    たまたまサリン事件の日が近かったこと、またYOUTUBEのお勧めに当時のニュース映像が流れてきました。

    この書籍は、オウム真理教の広報官だった上祐史浩が、サリン事件の17年後に、
    オウムとは何だったのかを総括したモノです。今回、改めて、オウム事件は、「私に関係ある」と思いました。
    つまり、あの事件は他人事じゃないと思いました。

    ここ数日、オウム関連の書籍や映像を見ていました。
    ①上祐史浩のこの書籍
    ②オウムの後継団体であるアレフの代表の野田成人が書いた書籍
    ③上祐史浩がひかりの輪で行っているYOUTUBEの動画、
    ④オウムの信者だった人の告白記、
    ⑤オウムの脱洗脳を行った苫米地英人のYOUTUBE動画
    以上を参考に、オウム事件とは何だったのか、またどのように今の日本に関連しているのか、
    考えていました。

    私の結論から言えば、今の日本は、日本社会も、日本人も、「オウム化」したのではないか、
    その危惧を非常に思いました。オウムというものを、日本社会が生んだ、私達と関係したモノと、
    考えず、頭がおかしいテロリスト集団と断定し、日本社会から積極的に排除してきたことは、
    百害あって一利もなかったように思います。

    「オウム化」とは、複雑な物事や社会の事象を、それが善か悪かのような極端な二元論で考えて、
    自分が自ら考えた思考や経験から導き出したモノではない考え、つまり第三者からの評価や教えを「絶対的なモノ」「批判できない強固なモノ」と考えてしまうことです。この「オウム化」に、今の日本人が陥っているように、私は思います。

    80年代から90年代にかけて、麻原が当時の日本社会に対して、疑問や生きにくさ
    を感じた多くの若者を組織化したのがオウム真理教だった。
    外部環境とは隔絶した空間で、その若者達へ、二元論的な価値観を、身体的な感覚を伴いながら、
    ヨガ教室の一つのプログラムとして、麻原が独善的に教示をしていた。ただ、オウム真理教の教義は、
    当時ニューアカデニズムの有名な学者、宗教家も絡んだいたという。その教義の論理性の、最高学府のインテリでさえ共感をしていた。

    そういった麻原の教えやオウム真理教の教義に当時の若者は非常に共感した。
    少なくない若者が、日本社会が当時世界でも稀にみる物質的な豊かさの頂点を極めて、その社会状況に虚しさを感じて、社会に自分の居場所がないという疎外感を感じていた。物質的ではない、何か精神的な豊かさをもとめていた彼らに、麻原の独善的な考えは非常にマッチした。

    当時、日本社会は、新宗教ブームが起こり、テレビ、マスコミが、その奇抜さを取り上げて、
    多くの人が、面白おかしく認知していった。まさか、その裏で、
    本当に日本転覆を企んでいるとは、夢にも思っていなかった。

    そのノリが、日本至上最悪な犯罪者集団=オウムを生む土壌となっていった。
    今現在の日本には、そんな集団は、表向きにはないが、
    ただ、当時も今も、多くの人が、二元論的な価値感を提示してくれる何かに、悪魔的な魅力を感じるのは、
    変わっていないと思う。つまり、集団はないに等しいが、オウムのメンタリティーを持った個人は、
    この20年で一般的になっているのではないか?

    個人のオウム化は、ネットが普及した今だからこそ、加速度的に進んでいるのではないかと思う。
    特に今はスマホで、自分が好きなモノをいつでも、どこでも、疑似的に享受できる。
    嫌いなモノは、すぐに削除できる。自分が好きなものを、
    ひたすら享受できる。

    YOUTUBEを見れば、いつでも、どこでも、
    自分に対して、聞こえのいい内容が喧伝されている。
    このような生活で二元論的な考えにならない方がおかしいのではないか?
    現代の生活を普通にしていれば、誰も、彼もが、オウム化するのが必至なのではないか?

    オウム事件は、日本社会から彼らを排除して、終わったのではなく、
    オウム的な何かが、浸透していったと思う。
    この20年で、日本人自体が、オウム化したのではないかと、非常に危惧する。
    自分の思い違いならば、いいが、実は、今、オウム事件を考えることが、
    私達にとって非常に意味あることだと思う。そうしなければ、
    オウム事件の歴史的な教訓を抽出することができず、
    不幸にもこの20年でオウム化した私達が、この日本社会を、
    皮肉にも、再度、ぶっ壊しているように思う。
    今度は、合法的に、そして、確実に。

  • オウム真理教の幹部として広報活動にあたり、その後逮捕懲役をへて、オウムへ復帰。そして脱退してひかりの輪を立ち上げる。上祐史裕氏が事件の事や、教団との関わり、そして現在を語った本。

    当時ワイドショーを見ていた時は、この人はあまりサリン製造の事などについては知らないのかと思っていたが、ほぼすべての事を知っていた事実に驚いた。そして男性の一番弟子だった事も。

    宗教に生きる人が、どんな思考を持って生きているのを知れる、とても面白い作品でした。

  • で?

  • 「ああいえば上祐」が赤裸々にオウムと社会について、社会の中のオウムについて、オウムと自分について語っている。
    自分はオウム関連の本は殆ど読んでなくて、知っている情報は当時の報道ぐらいなものだけれど、それでも登場人物の相関図と心理的機敏がビンビンに伝わってきた。

    麻原は俗物だという言説もあるけれど、すくなくともアレだけの人数の組織を組閣できるカリスマは持っていたのだと思う。それを神秘主義とイリーガル・ドラッグで洗脳していったのだけれど、あれはドラッグを利用して…という風に特別に扱うのはキケンだと思う。

    上祐は現在「ひかりの輪」という団体を主宰している。これは智慧を求めるのと言う意味では宗教であるが、特定の何かを信仰するという意味では宗教ではないと説く。サリン事件の被害者と賠償契約を履行し、現在も麻原妻、長女らを中心にした家族が暗躍していて麻原信仰の機運が高まっているという。上祐はそこからの脱退の手伝いもしているそうだ。


    上祐の書籍はいままでにもあったし、対談は散々企画されたという。それらを総て断った有田芳生が検証と対談役を引き受けている。これは目次を見て上祐の親子関係が触れられているのを詠んで快諾したのだ。

    取材を重ねる上で有田はオウムに於ける父性に着目する。本来得られたはずの父性を求めて若者は教団に出家したのではないかということだ。

    オウム事件は麻原彰晃の誇大妄想、被害妄想に端を発していると思われる。その麻腹の原点を探ると全盲の兄に対しての服従、盲学校において自分だけが見えるという立場。親との角質などが三つ子の魂的に顕れている。


    これだけの事件を踏まえ、未だに検証しきれていないという思いを強くした。
    特にいまは宗教のように分かり安い教義ではなく新自由主義や排外主義など根深い空気で固まっているカルトが跋扈している。

    日本はオウムを総括しきれていない。いまこそ! 再犯、再発の防止を!!

  •  オウムの最高幹部の一人でありながら、サリン事件への直接関与を免れた「ああ言えば上祐」こと上祐史浩(現「ひかりの輪」代表)が、オウム時代を振り返った回想録。

     地下鉄サリン事件当時の、全マスコミがオウム一色に染まった時代を知っている者には、非常に興味深く読める本だ。
     アレフに残った者たちとは違って、麻原彰晃によるマインドコントロールから完全に脱した(と思われる)著者が、そこまでの心の軌跡を綴った「転向」の記録でもある。
     オウムがなぜ道を誤ったのかを、自らの古傷をえぐるような痛切な反省を込めて検証していく著者の姿勢は、誠実なものだ。たんなる自己弁護、自己正当化にはなっていない。

     オウム事件と麻原のパーソナリティを分析した本として読んでも、ヘタな評論家が書いた類書よりよほど鋭い(当事者の一人なのだから当然だが)。
     たとえば、“麻原の終末予言は、じつは大日本帝国が破滅へと向かった道程をそっくりなぞっていた”という指摘には、思わず唸った。

     ただ、後半、自らが立ち上げた「ひかりの輪」の宣伝めいた記述が多いのは興ざめ。
     なるほど、「ひかりの輪」はオウムやアレフのような危険な団体ではないかもしれない。が、著者の言葉をすべて鵜呑みにする気には、私はなれない。

     “タバコより害も中毒性も少ないマリファナが禁じられているのは、ハードドラッグへの水際防止としての意味がある”と聞いたことがある。つまり、マリファナを常用する者はより強い刺激を求めて覚醒剤などに手を染めやすいから、マリファナも禁止せざるを得ないのだ、と。

     その伝でいけば、たとえ「ひかりの輪」が危険なカルトではないとしても、そこを入り口にオウム的カルトへと進む者を出さないために、危険視せざるを得ないのではないか。

  • とても興味深く読むことができた。ここで述べられている今の心境に関しては、まっとうな事のように思える。故に、かつてを知らない世代には有意義な話をする人という印象が残り活動に興味を持つかもしれない。が、かつて彼らがやったことを考えると、この心境に至るまでの代償はとてつもなく高くつている。かつての姿を知っている世代としては、読者がどう思うかまでをきいんと計算して書くくらいのクレバーさはある人物なので、本当かどうかを疑われても仕方がない。結局、行動で示すしかないように思う。とはいえ、内側からの考察としてはなかなかのもののように思う。信じるということを考える反面教師になるのではないかと思う。スピリチュアルがブームになったりする昨今、他人事ではないと思う。

  • 前半のオウム分析の明晰さと比較すると後半のひかりの輪の教義の説明は歯切れ悪い。やはりクリエイトするのは大変ということか。

  • 上祐さんの知的で落ち着いた感じは好き。
    凶悪犯罪に加担してしまった責任はあると思うけど、それを全て上祐さん個人が悪いと思わない。
    社会が作り出した麻原と言う魔境に吸い込まれた被害者でもあると感じる。
    今後は余生を全て、賠償、反省、そしてまだ残るオウム信者の脱洗脳をしていくと掲げて行動してることは、今出来うる最善の行いだと思う。

  • オウム本はたくさん読んでるけど 元信者・報道・警察とそれぞれに考え方が違って興味深い
    代表して上祐さんに登場してもらった
    印税はオウム被害者に渡されるそうな

  •  
    ── 上祐 史浩/有田 芳生・検証《オウム事件 17年目の告白 20121217 扶桑社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4594067492
     
    (20140110)(20141018)
     

  • かなり頭が良いと感じる文章です。そして言い方悪いかもしれませんが、俯瞰して観てるなという印象を受けました。

  • なぜ学歴もあるゆしゅうな若者が犯罪者となってしまったのか?これを読むと少しは分かる気がする。

  • 日本を震撼させた世に言う『オウム事件』。本書は教団の元ナンバー2として深くかかわり続けた上祐史浩氏が特別指名手配犯全員逮捕という『区切り』を受け、17年の歳月を経て明らかにした『真実』です。

    実をいうと僕は大学時代、オウム真理教時代に書いたと思われる彼の著作を2.3冊読んだ事があります。その後の生活環境の激変から、そういった事実を忘れておりましたが、本書を読んだことで、当時の記憶と、いまだに生々しい世に言う『オウム事件』の映像が浮かび上がってきました。

    2012年に長年にわたって逃亡を続けていたオウム特別手配犯―平田信、菊地直子、高橋克也が相次いで逮捕され、事件に一定の区切りがついたところで上梓された本書は『ああいえば上祐』の異名(本人にとっては揶揄)でワイドショーで広報担当として自説を展開し、麻原の側近として、教団のスポークスマンとして『活躍』していたことで知られ、その後は教団の土地取得に絡んだ偽証罪などで逮捕され、広島刑務所などに約4年間勾留、服役のち、出所し、オウム真理教の後継団体である「アレフ」の代表に就任するも、2007年に脱会し、現在では自らが設立した「ひかりの輪」代表を勤める上祐史浩氏が、17年の歳月を経て自らが深くかかわった教団の内幕と、さまざまな事情が絡んで、話すことのできなかった『真実』を初めて告白し、白日の下に晒したものです。

    いや…。何というのか…。一読をした直後はあまりの重さに何も考えることができず、ただただ、呆けてしまうばかりでした。この事件や教祖である麻原彰晃は無論、重罪を犯し、死刑になった最高幹部や、刺殺された村井…。彼等に対して僕からの問いはたった一つ。何故日本の最高学府を優秀な成績で卒業。もしくは在籍していた人間たちが、オウム、そして麻原彰晃の『教義』に共鳴し、本書でいうところの『盲信』を深めていき、やがては日本社会に反旗を翻すようになってしまったのか?このシンプルにして根源的な疑問は教祖である麻原彰晃の精神が崩壊してしまっているそうなので、本人の口から『真実』を聞くことはおそらく永遠にかなわぬことでしょう。しかし、彼の元で長年仕え、教団のナンバー2とまで言われた彼がここまでの重い告白を本書でしてくれたということは、『オウム事件』の闇を何割かでも明らかにしてくれた、という意味でもその是非は別として、本当にありがたいと思います。

    まかり間違っていれば、彼もまた、死刑の刻を待つほかの最高幹部と同様、教団を率いて最後まで戦い、死刑に値する重罪を犯してしまっていたという可能性は十分にあったのですから…。本書の中では自分の半生をかけて『盲信』し続けてきた麻原と、その麻原への『帰依』を離れて『自立』するまでの長い長い精神的な彷徨と、自らの家庭環境、特に両親のことについても積極的に語られていたことは、とても印象的でした。

    さらに、巻末には長年にわたって「オウム事件」を取材してきたジャーナリストの有田芳生氏との対談も収録されており、とても示唆に富んだ内容となっておりました。無論、『オウム事件』および教団の最高幹部として深くかかわってきたことは上祐氏の中で生涯背負わなければならない『十字架』であることは疑いようもありませんし、そのことは本人が一番よくわかっているのでしょう。ただ、僕は上祐氏がその事実と生涯にわたって向き合い、そしてどのようにして『贖罪』を果たしていくかはこれからも見守っていきたいと思っておりますし、ことの是非については上祐氏がこの世から去ったあとで、歴史が判断すればよいと考えております。とにもかくにも、本書は『オウム事件』を語る上での貴重な資料であるとともに、一人の人間の重い『告白』であると、僕は考えます。

  • 面白いとは書けないが、読み易かったのは間違いない。
    地下鉄サリン事件当時、自分は小学生だったため詳しくはこの事件を理解していなかったが、ずっと関心は持っていた。また昨年の「たかじんのそこまで言って委員会」に上祐氏が出演された時に、パネラー全員から総攻撃にあっていたにもかかわらず、至って冷静に対応する姿に不思議なものを感じたし、その時にこの本を出版すると聞いていたので是非読んでみたいと思っていた。無論氏が自己弁護に終始していないかという疑念は拭えなかった為、初めから批判的に読むつもりだった。
    特筆すべきは最後の方の章、上祐氏の生い立ちと彼の両親についての話。これは始めて語られることなのではないか。彼がアレフを脱会してひかりの輪を設立する、且つ麻原への妄信を断ち切る要因となったのもこの章に於いてよく知ることが出来る。
    対談部分は余り興味はなかった。有田芳生という人物も江川昭子という人物もオウム事件当時は有名なジャーナリスト(?)だったのかもしれないが、その当時の事は私はよく知らない上に、今現在の彼らについては思想的にも全く信用ならぬ人物として見ているため、話を聞きたいとも思わないからである。

  • オウム真理教かつての「広報」担当、現「ひかりの輪」代表である上祐史浩氏のオウム総括本。
    ただ1995年までの各事件(坂本弁護士一家殺害、松本サリン事件など)は、早川紀代秀『私にとってオウムとは何だったのか』や、降幡賢一『オウム法廷』の方が詳しい。
    むしろこの本で見るべきは、上祐氏自身が自らの家族関係に一章を割いている点であろう。
    また上祐氏出所後の教団の内幕(アレフとひかりの輪の分裂のいきさつなど)が書かれている書籍は少ないように思うので、その点で一読に値するとおもう。
    しかし、やはり直接犯行に加わっていない為なのか、時間が経ちすぎているためなのか、オウムの起こした事件については終始何処か他人事のように書いているように思えた。

  • 地下鉄サリン事件から17年目。オウム特別指名手配中の3人が逮捕されたことをきっかけにオウム教の最高幹部だった上祐史浩氏がオウム真理教時代の自身を告白する。ちなみに彼は現在、懲役刑を終えて出所、「ひかりの輪」という組織を作り、オウム事件の損害賠償や元オウム信者たちの社会復帰を手助けしている。オウムの後継組織「アレフ」とは縁を切っているようだ。

    本の中で、上祐氏は当時の自分が麻原を心の底から崇拝し、世間へ虚偽発言を繰り返していたと告白する。さらに自らの生い立ちと両親のことを語り、オウム時代の自分は間違っていたと反省する。

    彼の言葉の真偽をどう判断するか。私はサリン事件をはじめ、オウムによって被害を受けてはいなので、甘いかもしれないが、彼の反省は真実であり、もし「オウム教=アレフ」が反社会的な行動を起こしたときの防波堤を担ってくれると信じたい。

  • オウムについて改めて整理できて良かった。あと自分の創った『ひかりの輪』という宗教(サークルのようなもの)の宣伝と自分と親との関係についてと対談という内容。

  • 「-」

    元オウム真理教広報上佑文浩氏が語るオウム。
    今まで、体系的にオウムを学んだことがなく、
    当時の幹部がオウムについて語る点に興味をひかれ、
    この度は読んでみようと思いました。

    宗教に嵌る人を弱いというのは簡単ですが、
    宗教を糧によりよい結果を残している人がいることも事実です。
    日本では、宗教=危険と思われがちですが、
    正しい宗教教育も必要だと思います。
    ただし、何が正しいのかが非常に難しいのだと感じます。

  • オウムの広報担当だった上祐が、自分が麻原を「盲信」してしまったのは何故なのか、あるいは、麻原を「盲信」してしまった自分とは何なのか、を自分なりに考え整理した書である。そしてこれから自分が何をしなければならないか、について語っている。
    麻原と自分の分析については、ありがちな心理学の論法にあてはめているだけのようには見えるが、それが今の彼の実感なのだろう。それはそれで重要な証言ではある。
    そうした分析よりも、主に前半に語られる、上祐が見てきた麻原周辺のエピソードのひとつひとつがやはりおもしろい。
    そして自身の責任については、率直に反省しつつも弁解がましくなるのはやむを得ないところだろう。
    ただ、後半は自身が主宰する「ひかりの輪」の宣伝になっている。本人もそう受け取られるのは重々承知で、その書きぶりは慎重なのだが。
    通読して改めて「頭のいい人」だなと思う。自分なりにきちんと反省し、押さえるべき所は押さえていると思う。なのに、なぜか軽い感じがする。簡単には信頼できない感じがする。
    他のオウム幹部たちの手記も読んでみたいと思った。

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著者プロフィール

「ひかりの輪」代表。1962年、福岡県に生まれる。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程を修了後、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に。大学院在学中にオウム真理教に入信、宇宙開発事業団を1年で退職し出家。地下鉄サリン事件発生時にはモスクワに滞在、事件後に帰国し教団のスポークスマンとなる。偽証罪で逮捕され、出所後「アレフ」代表となるが2007年に脱会し麻原帰依から脱却、「ひかりの輪」を設立した。
著者に『オウム事件 17年目の告白』(扶桑社)、鼎談『終わらないオウム』(鹿砦社)、対談『危険な宗教の見分け方』(ポプラ社)などがある。

「2015年 『地下鉄サリン事件20年 被害者の僕が話を聞きます』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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