乱読のセレンディピティ

著者 :
  • 扶桑社
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  • / ISBN・EAN: 9784594069964

感想・レビュー・書評

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  • 著者、外山滋比古さんの作品、ブクログ登録は5冊目になります。
    著者がどのような方か、再確認しておきましょう、。

    ---引用開始

    外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年11月3日 - 2020年7月30日)は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。外山家は法海山龍護院妙光寺の旧檀家である。

    胆管がんのため、東京都内の病院にて96歳で死去。

    ---引用終了


    で、本作の内容は、次のとおり。

    ---引用開始

    一般に、乱読は速読である。それを粗雑な読みのように考えるのは偏見である。ゆっくり読んだのではとり逃すものを、風のように速く読むものが、案外、得るところが大きいということもあろう。乱読の効用である。本の数が少なく、貴重で手に入りにくかった時代に、精読が称揚されるのは自然で妥当である。しかし、いまは違う。本はあふれるように多いのに、読む時間が少ない。そういう状況においてこそ、乱読の価値を見出さなくてはならない。本が読まれなくなった、本ばなれがすすんでいるといわれる近年、乱読のよさに気づくこと自体が、セレンディピティであると言ってもよい。積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。それが、この本の考えである。

    ---引用終了


    それから、セレンディピティとは、ウィキペディアには、次のように書かれています。

    ---引用開始

    セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

    ---引用終了


    ●2024年1月6日、追記。

    本作の要約を適当な所から引用すると、

    1:本は自分で買って読むことが大切。
    2:本は最後まで読み通す必要はない。
    3:本を読むのに、ジャンルにとらわれない。

  • セレンディピティとは、 Serendipity 思いがけないことを発見する能力とある。
    ようは、本を乱読することによって思いがけないよい発見ができるというのが主旨である。

    気になったことは以下です。

    ・本は買って読むべきである。自分のカネで買ってきた本は、自分にとって、タダで借り出してきた本より、ずっと重い意味をもっている。

    ・いやな本を読んでも得るところは少ない。手当たり次第、本を買って、読む。読めないものは投げ出す。身ゼニを切って買ったのだ。どうしようと、自由である。

    ・欲しい本を求めて古本屋めぐりをするのはなかなかおもしろかった。苦労して手に入れた本は宝物のようである。

    ・心ある読者が求められている。つまり、自己責任をもって本を読む人である。

    ・本は、くりかえし読め、はっきり、そういう人は少ないが、良い本や難しい本は一度ではわからないことがある。一度でわからなくてもあきらめずに再挑戦してみよという考え方もある

    ・読書百遍、意自ずから通ず、というのはフィクションであり、神話であることがわかってくる。読書百遍が神話なら、十分間読書は新神話である。

    ・これほど本が多くなったら、良書より悪書の方が多いと思わなくてはならない。おもしろくなければ捨てればいい。読者はきわめつきの良書、古典のみを読むべきだというのは窮屈である。

    ・実際に何度も繰り返して読む本が五冊か、七冊もあればりっぱである。

    ・本を読んだら、忘れるにまかせる。大事なことをノートしておこう、というのは欲張りである。心に刻まれないことをいくら記録しておいても何の足しにもならない。

    ・知識はすべて借り物である。頭のはたらきによる思考は自力による。

    ・本当にものを考える人は、いずれ、知識と思考が二者択一の関係になることを知る。

    ・音読と黙読は、読み取る意味が大きくちがうということに気づくには、相当の読者経験を要する。速読と遅読ではことばの感じがちがうのである。

    ・戦後、アメリカの教育視察団は、日本の学校教育改善のために、読み、書き、話し、聴くの四技能を併行して伸ばすように指示した。

    ・外国語を読むのは、母国語を読むのとはワケが違う。外国語を読むのは難業である。

    ・読み方には2種類がある。一つは読む側があらかじめ知識をもっているときの読み方である。これを、アルファ読みとしよう。もうひとつは、内容、意味がわからない文章の読み方で、これをベーター読みとする。

    ・昔の人は、アルファー読みから始まるのを避けて、はじめからベーター読みをさせた。5,6歳の幼い子に、巧言令色鮮仁 などという漢文を読ませたのである。ベーター読みである。

    ・乱読ができるのは、ベーター読みのできる人である。乱読はジャンルにとらわれない。なんでもおもしろそうなものに飛びつく。とにかく、小さな分野の中にこもらないことだ。

    ・一般に乱読は速度である。それを粗雑な読みのように考えるのは偏見である。

    ・これまで作品はすべて作者の手によって作り出されるもの。読者はそれを全面的に受け入れて読む喜びを受けるものとされた。

    ・私の考えた読書、近代読書は、自分の個性にもとづいて、解釈を加え、かすかでも、作品の生命に影響を与えることのできるアクティブな読者である。

    ・「私の頭は、歩いてやらないと眠ってしまう」。ものを考えるのに、歩くことがいかに大切かということをこれほどはっきり言っているのを知らなかった。私に散歩への眼を開かせてくれたのは、モンテーニューである。

    ・日本の頭は知識を記憶するためのみにあるのではなく、新しいこと考え出すのが大切なはたらきであると考えるようになったのである。

    ・知識を得るには本を読むのがもっとも有効であるが、残念ながら、思考力をつけてくれる本は少ない。ものごとを考える思考力を育んでくれるのは散歩である。

    ・「なぜ、朝廷、というか知っていますか」 中国の昔、君主が政治をする役所は朝の日の出とともに開いたといわれている。それで朝廷の名がうまれた。

    ・夜いくら考えても、うまくいかないことも、朝になれば、おのずと名案が浮かぶものだ。

    目次

    1 本はやらない
    2 悪書が良書を駆逐する
    3 読書百篇神話
    4 読むべし、読まれるべからず
    5 風のごとく
    6 乱読の意義
    7 セレンディピティ
    8 「修辞的残像」まで
    9 読者の存在
    10 エディターシップ
    11 母国語発見
    12 古典の誕生
    13 乱談の活力
    14 忘却の美学
    15 散歩開眼
    16 朝の思想

    あとがき

  • 読書術の本は巷にたくさんある。本そのものを読むのではなく、本を読むことについて書かれた本を読むということだ。
    次の自分の読書に活かせればという目的もあれば、読書の達人の読み方が書かれていないかというような好奇心、あるいは面白そうな本を発見するために紹介されている本を求めて読むということもある。

    自身の読書の合間に、定期的にこの種の本を読んでいるような気がする。

    本書は、「思いがけないことを発見するための読書術」となっている。16の章で、著者のいわば持論を展開されているが、この著者の場合、著者の持論も普遍的な要素が含まれていると思う。これまでたくさんの本を出されており、その一覧を眺めてみると、そのエッセンスがこの16のエッセイに込められているようにも思う

    いきなり第一章から、「本は身ゼニを切って買うべし」とか、ご自身は執筆した本を人にはやらないとか、持論が爆発する。確かにおっしゃるとおりだろうと思うが、自分としては本を買って読んでも、図書館で借りて読んでも大差なく読めるタイプなので、これは著者の持論だなと勝手に思っている(笑)。

    しかし、本書のタイトルにもなっている、乱読を勧める章(6章)や、乱談を勧める章(13章)はよかった。
    乱読の章では、二つのタイプ「アルファ読み」と「ベータ読み」を紹介している。なぜこの呼称なのかは書かれていないが、自分は著者の推奨する「ベータ読み」が好きなので、ちょっと嬉しかったりした(笑)。

    お茶大の名誉教授の過去の教師時代の挫折の話があったり、知識ばかり蓄積したってダメだ、それが高じると知的メタボになるなどと辛口展開があったりと、非常に読者に親近感を持たせてくださる話の中に、時々セレンディピティを感じながら楽しませていただきました。

  • 今年96歳というご高齢でお亡くなりになられた「知の巨匠」外山滋比古の著書。
    思いがけないことを発見する能力「セレンディピティ」には、本をジャンルにこだわらずに読む、乱読を推奨する。
    これはまさに、著書が幼少期から膨大な書物に触れ、かつ単に知識の集積だけに止まらず、「思考」したことで辿り着いた、まさに実体験から生まれた読書の結論ともいうべき言葉であろう。
    その一端でも垣間見れるのであるが、しかもそれが決して威張ることなく、平易な文章で短めの項目でまとめられているのは脱帽である。
    そもそも何かを生み出すのには、やはり全く無からは、ほぼ無であり、すでに先人達が何がしかは考えていると思われる。
    そういった土台という知識を拝借し、それが全く違う物事に触れることにより、新たな境地が生まれると考えれば、まさに別の物事の有用性、それらを統合、磨耗していく思考することの大切さも説いてるように思える。
    その他知的メタボリックシンドローム、作品・著者・読者の関係性、作品の時間的評価からの古典などなど短くも鋭すぎることを捉えている。

  • 『思考の整理学』の外山さんによる読書術な一冊。
    題名通りに“乱読”を軸にした読書のススメです。

     “風のごとく、さわやかに読んでこそ、
      本はおもしろい意味をうち明ける。”

    熟読も大事だが、それが全てではない、
    むしろ、熟読では気づけないこともあると、

    雑食かつ粗読が多い身として、なかなかに興味深い内容でした。

    そしてさらに興味深かったのは、次の点。

     “二十五年でさえ、同時代批評はのり越えることができない”

    イギリスの『タイムズ文芸批評』が二十五年前の誌面を再現したところ、
    ほとんどの書評が正当性を欠いていたとのことです。

    近いということはそれだけ、客観的な見方をするのが難しいと。
    逆に、これを乗り越えられるものは“古典”になるのでしょうか。

    ん、三十年くらい前のもの、何か探してみようかなと。
    そんな風に感じた一冊でした。

  • 朝読の話をさせてもらえるとなって、その前に本当は読みたかった本。

    私は、自分が乱読家だとは思っていなかったのだけど、まあいつの間にか量だけはこなすようになってしまった。
    じゃあ、さぞかし良書を沢山知っているのだろうと言われると、思い出せない本や何とも思わなかった本は沢山ある。

    でも、また懲りずに読書をしている。

    ちょうど、私が話したのは、本を読んでいると、読んだことが本に繋がるという奇妙な感覚が生じることがある、いうものだ。

    これを外山流に言うと、乱読のセレンディピティに当てはまるのかもしれない。

    意味は分からなくても、感動しなくても、蓄積するという準備があれば、このセレンディピティは発動する。

    乱読のススメに抵抗を覚える人はいるだろうし、私は熟読することもある場面では非常に大切な力であると思う。

    年齢と共に読み方は変わる。
    ぜひ、若い人にサラッと読みこなしていただきたい。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「読んだことが本に繋がる」
      ありますよね、、、今まで関心が薄く目に入らなかったモノに、あっと思うコトが(この本は未読)
      「読んだことが本に繋がる」
      ありますよね、、、今まで関心が薄く目に入らなかったモノに、あっと思うコトが(この本は未読)
      2014/05/01
  • 本書は、本を読みすぎて知識過多(知識バカ)にならない、乱読のすすめ、忘却の意味、朝の大切さを主に説いている。「あした」「朝廷」の言葉の由来の話も興味深かった。

    本をたくさん読むことや速読を推した本ではない。

    著者が言うように本があふれるほどあっても一つ一つ丁寧に読む時間はない。知識ばかりで自分の考えが言えない人にはなりたくない。

    部屋を換気するように、頭の中の知識を入れ替えることが大事だと思った。知識に埋もれないようにしながら、色んなジャンルに興味を持ち本を選びたい。

  • 人から乱読をすすめられ、そもそも乱読とは?と手に取ってみました。

    タイトルの「セレンディピティ」とは、「思いがけないことを発見する能力」という意味。目についた色々な本を読んでみる。ときには失敗することもあるが、失敗がセレンディピティにつながる。ある程度の速度で、意味が分からなくてもそのまま読んでいい。とにかく大事なのはセレンディピティ、ということらしい。
    著者は本が溢れている時代だからこその読み方を提案している。

    目からうろこだったのは、読書から得るものは知識ではなく思考力だから内容は忘れてもいい、といった考え。
    本書も乱読のつもりで読んだので、勿体ない気持ちだがメモなどすることなく、内容は忘れるに任せてしまおうと思う。

    ちゃんと理解しなきゃ、血肉にしなきゃ、と囚われていた心を解放してくれた、私にとってのセレンディピティにつながる一冊でした。

  • いつの間にか散歩と朝活の話になってた。

  • いろいろな本を読んで自分の糧にしたい、という思いを後押ししてくれそうなタイトルに惹かれて読んでみました。
    読書術、というよりも、著者の経験と読書や本のことを織り交ぜて、ひらめきという観点から綴った文章といった感。

    本を読むことで知識は得られるけれど、それは人の考えた借り物である。
    知識を貯めこむことに躍起になるのではなく、思考する力、すなわちよりよく生きるための力に結びつく読書をすべし。
    ショーペンハウアーの『読書について』(光文社)を読んだときと同じく、耳に痛いけれど、自分の読書を改めて見直す気付きを与えてくれるお言葉でした。

    また、読んで忘れることの大切さを強調しています。
    著者は「大事なことをノートしておこう、というのは欲張りである」と書かれていますが、私の場合、何もしないと本当にきれいに忘れてしまうので、ブクログでアウトプットしてから忘れるにまかせよう…。

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著者プロフィール

外山 滋比古(とやま・しげひこ):1923年、愛知県生まれ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学卒業。「英語青年」編集長を経て、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授などを歴任。専門の英文学をはじめ、日本語、教育、意味論などに関する評論を多数執筆している。2020年7月逝去。30年以上にわたり学生、ビジネスマンなど多くの読者の支持を得る『思考の整理学』をはじめ、『忘却の整理学』『知的創造のヒント』(以上、筑摩書房)、『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)など著作は多数。

「2024年 『ワイド新版 思考の整理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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