- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594072049
感想・レビュー・書評
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大來尚順
浄土真宗本願寺派大見山超勝寺僧侶。寺子屋ブッダ講師。1982年、山口県生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶でありながら、通訳や仏教関係の書物の翻訳なども手掛け、活動の場を幅広く持つ新世代の僧侶。龍谷大学卒業後に渡米。米カリフォルニア州バークレーのGranduate Theological Union/Institute of Buddhist Studies(米国仏教大学院)に進学し修士課程を修了。その後、同国ハーバード大学神学部研究員を経て帰国
仏教の開祖として知られるブッダ(仏陀) は、サンスクリット語では「 Buddha」と表現されており、英語でも同じように「 Buddha」と表記されます。しかし、サンスクリット語では、「目覚めた人」を意味するので、真理に目覚めた人ということで「 Awakened One」とも英訳されます。
仏教は、英語では「 Buddhism」と表現されます。この単語は、「 Buddha」(ブッダ) と「 ism」(主義) という二つの言葉によって構成されています。「 Buddhism」を直訳すると「ブッダ主義」となりますが、西洋では仏教は「 Buddhism」と呼ばれています。
それは、「欲を少なくし、足るを知る」という「少欲知足」の教えを学ぶことです。私たちはこの世に生かされ、いずれは死ぬという点では、もう十分に生きるうえでは恵まれているのではないでしょうか。どんなに財産を持っていたとしても、財産を死後の世界へ持っていくことはできません。
何も知らない赤ん坊をイメージしてください。何もかもが新鮮で、何もかもが発見の連続。きっと物事を純粋にあるがまま受け入れているはずです。私たちはさすがに赤ん坊のころに戻ることはできませんが、偏見なく物事を受け止めることができたら、苦しみというものも軽減されるかもしれません。まず何事にも向き合い、すぐに判断するのではなく、物事をじっくりと見つめ、人の話を最後までよく聞くことから始めましょう。実は、物事への不満の原因は、他人だけにあるのではなく、自分の偏見や誤解ゆえでもあるということが見えてくるはずです。
頭では理解できる諸行無常の教えですが、本当に理解しているかといえばそれは疑わしいのではないかと思います。大抵の場合、よく人ごととして無常というものを捉えますが、忘れてならないのは「自分自身も無常な存在」であり、永遠ではないということです。だから、「 Everything (すべての物事は) Including Myself(私自身を含め) is Constantly(絶え間なく) Changing(変化している)」と表現したほうが適切に感じます。 私の気持ちも細胞もすべてが変化しています。絶対に変わることはないと信じていたものが変わってしまい、つらく悲しい思いをした経験は誰にでもあるのではないでしょうか。でも大丈夫。自分の気持ちも人の気持ちも、すべてはよくも悪くも移り変わります。ずっといいことが続かないように、悪いことも続きません。そのためには、「水戸黄門」の主題歌ではありませんが、人生、楽ありゃ苦もあります。泣くのが嫌なら、人生、そういうものだと思って、立ち止まるのではなくただ進みましょう(笑)。そうすればまたいいことに巡り合えるはずです。
誰もが持っている「煩悩」。これは人間の欲そのものであり、食欲、睡眠欲、性欲など108つあるとされています。余談ですが、除夜の鐘を108回鳴らすのは、普段なかなか気が付かない108つの「煩悩」を自覚し、反省し、新たな心で新年を迎えるためとされています。「煩悩」は英語で「 Blind Passion」といいます。
「帰依」という言葉は、「帰依する」という文脈で用いられます。実は、この言葉は、自分は仏教徒であることを宣言する意味があります。英語では「 Takeing Refuge in」と表現します。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
究極のニッチ本。目の付けどころが見事。初学者が親しめるようにあえてそうしているのかもしれないが、英語で仏教を知ろうと本書を手に取る読者は、外国人と仏教について話をする機会のある人でもある。そういう人向けにキリスト教やイスラム教との異同について知識を得られるように工夫したら、さらによかったのではないか。
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英語を通して仏教の教えを学んでみよう、という本。
本文は日本語で、かつ、英訳の丁寧な解説があるので、英語が苦手な私にも安心して読めました。笑
おもしろいです。
わかりやすいです。
けれど、いや、だからこそ、いろいろ考えさせられます。
「執着」の英訳が「Attachment」というのに胸が詰まりました。
仏教に対する興味が、ますます深まりました。