- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784595312489
感想・レビュー・書評
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ポストモダンにおいては、直線的に発展していくような歴史が終わって各時代が失われ、その順序や、新しさや古さの差異が無視されるようになってきた。ポストモダン固有のものがあるというよりは、近代も含む他の多くの時代の諸要素が残存し、多くの近代的発想や近代的現象が見られる。真に思考するひとびとにとって切実な問いは、ポストモダンにおいても、より深く掘り下げて、しっかりと思考するという意味での哲学が存在するか否かということ。19世紀後半以降、ドイツにフッサール、ディルタイ、シェーラー、ハイデガー、ヤスパースなど、フランスにギュイヨー、ベルクソン、サルトル、メルロ=ポンティなどの現代哲学者たちが様々な哲学を展開した。その主題は自由、平等、理性、主体から、欲望、暴力、監視、逃亡へと地滑り的に移行してきた。ポストモダン状況下、ひとびとを生命としての人間の概念の枠内に閉じ込めようとする生命政治のもとで、ひとは自由で平等な理性的主体としての人間から、じわじわと別タイプのもはやヒューマンとはいえない人間へと変貌してきた。生命政治は中世の神学に相当するように登場し、20世紀の文化的妄信、これほど個人の生活に干渉した権力は、従来は宗教のみだった。ファシズムにおける積極的な隷属を根本的に思考しなくてはいけない。自由という概念は矛盾を含む。自由な主体としてひとを捉えるときにヒューマニズムという概念が生まれて、人間に価値を置き、人間を主題として人文学が生まれて、それが形而上学である以上、哲学はもはやひとつのヒューマニズムであってはならない。世界中のひとびとが人間ヒューマンにならなくてはならないという西欧近代の普遍主義は終わったし、それぞれの文化で、それぞれに自分を捉えてよい。哲学は生活の指針を与えるようなものであるべきである。
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