『許されざる者』
辻原登
クマは隈、世界の涯、あるいは陰の意か。吉野は美し野。この吉野からみて、ここはそういう位置にあたる。(p9)
★舞台説明。世界の果ての物語ということか。
「キリスト教って、木が一本もないさばくから生まれたんやないの? やすらぐもんが何もあらへん。そやから、もう上しかみるとことがない。上にあるのは空や。美しいのは砂漠の星空や。そしたらそこにたったひとりの神さまがおらはった。わたしは違うし。わたしのまわりには水や木、草や花や虫がいっぱいおってなし。………」(p85)
★多神教と一神教。この違いはこういうことだろう。
永野夫人が、はじめて夫への隠しごとを意識した瞬間だった。奇妙なのは、それが、彼女に、予期したような罪悪感を生じさせなかったことだ。むしろ、小さなよろこびのようなものがこみ上げるのを覚えたとき、これこそが彼女を驚かせた。(p235)
★非常に面白い。『ボヴァリー夫人』を思い出した。
文章というのはすばらしい。だが、兵隊にとられるということは文章の外の現実である。(p327)
★正に。そして我々は現実に住んでいる。
「最後にたずねる。思い姫はおられるか? おられるなら、その名を挙げられよ。その方の名に賭けて戦うのが騎兵の本懐!」
(p81)
★この場面は『ドン・キホーテ』のモチーフをつかっている………だろうか。
……どんな善良な人でも、心の中で起きていることには悪がまざっている。(p121)
★「まざっている」というのがポイントだろう。それは本人さえも気づいていない。
「何もかも……」
と口ごもる。夫人はさらに顔を近づけた。
「……何もかも許す」
夫人は耳を疑って、夫の顔をみつめた。
さ迷っている視線が妻の目を探し当てる。二、三度、力なくうなずくと、
「子供がいたら、よかったな……」
(p194)
★文章の中で時間が動いている。そう読ませる。
「……コドモが……」(p218)
★昏倒しながらもまだ思い続けている。それは夫人への思いの強さだろう。もしくは変えられない過去への呪詛か。
——人形の動作は、はじめはぎこちなくみえていても、太夫の語りと三味線の音色が作りだすリズムによって、生命が吹き込まれ、型にのっとって動いているにもかかわらず、ある種の存在感を獲得しはじめる。
私たちは、それに気づくとともに、いっそう人形の所作やふるまいが予見しやすくなり、まるで我々自身の手で、人形をあやつっているかのような気持ちになる。(p352)
★非常に面白い文章。
「千春ちゃん、さようなら。いつかまた……、どこかで、会えれば……」(p408)
★きっと、また会える。とはこの本の一つのテーマだろう。