どつぼ超然

  • 413人登録
  • 3.47評価
    • (22)
    • (43)
    • (54)
    • (16)
    • (3)
  • 62レビュー
著者 : 町田康
  • 毎日新聞社 (2010年10月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620107585

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

どつぼ超然の感想・レビュー・書評

  • ブクログさんより献本していただきました。ありがとうございます。

    町田康の小説を評するなど、凡人の自分にはまあ不可能だと思われますので感想をば書かせていただきます。

    「くっすん大黒」では大黒像を捨てなければ自分は幸福になれないと思い込み、「きれぎれ」では画家として売れた旧友への嫉妬心を晴らすために、彷徨・思考を繰り返す主人公を描き、僕を悶絶と爆笑の世界に連れて行ってくれた町田康の、久々に時代小説(風)な設定から離れた最新作。

    本作は、初期の上記2作と似たような印象を受けたが、彷徨・思考する方向性が短絡的な目的ではなく、超然とした人間になるという点が大きく違う。

    もちろん短絡的な目的・意図を、得意の被害妄想満点の思考力で展開する初期2作は(目的が自分勝手すぎるため)かえって爆笑を生むのだけれども、本作は(一応)高尚な目的・意図を持って主人公が行動・妄想するところがポイントだと思った。

    高尚な「超然とした人間」になろうと心に決めたものの、そこはやはり持って生まれた被害妄想・誇大妄想の脳内パレードにより、自分勝手な目的よりもさらに多くの困難や、脳内からの反論に見舞われ、そのたびに自分を保つために最大限の言い訳をおこなうさまに、初期2作の自分勝手すぎる主人公の所作に対する情けなさに対する笑いではなく、人間の滑稽さを露骨に見せ付けられ笑いが止まらなかった。

    被害妄想による脳内からの反論に、時に論理的に、ほとんどは詭弁で返し、さらに広がる妄想ドライブに読んでるこちらの脳もぐらんぐらん揺さぶられ、にへらにへらと笑みがこぼれ、ファミレスで読み始めたことに大きな後悔を覚えさせてくれる。

    特にP103「二十四の瞳」の教師を「瞳が二十四ある女教師」と説明するくだり、P133の「当初のコンセプトを最後まで保ち続ける重要性」を説くくだりでは声を出して笑わされた。

    何とか評論チックに書こうと思ったが、やはり町田康相手では無理だなと痛感したので、結局最終的に伝えたいことを書かせていただくと
    「この本は僕が読んだ中でも一番と言ってもいいくらいに爆笑できる稀有な本なので、みんなも読んだほうがいいよ」
    というあまりにありきたりな感想となってしまいましたw

  • ブクログ献本キャンペーンで頂きました。ありがとうございました。
    期日に間に合わず申し訳ありませんでした。

    せっかく頂いたのに急いで読むのは失礼だと思って、ゆっくり読みました。

    舞台は熱海ということで、それがなんだか面白い。
    なぜ田宮とされているのか、熱海と明記するにはためらわれるような記述をしているからなのだろうと察せられます。

    文学にはいくつか条件があって、ある程度日記みたいで、ある程度代名詞と固有名詞がまじっていて、そして現代を描いているものだと考えます。
    それは後世に残されて、また日本の文学者として知られるからには世界に向けても発信されていく。
    そういう意味では視点をこちらも大きくして読む必要がある。

    疲れるからいやなんですが、しかも最初は胸が悪くなりましたが、我慢して読みました。
    そうしたら、最後のほうにはなんかすっきりとしていました。
    つまりこういうことです。

    この物語には三つのポイントがあります。
    これに気づかないと、ただ単純に自殺をしようとしたおっさんが、それをやめて、生きながらえて牧場や文豪の宿泊した施設を見学してよかったね、という話になってしまう。

    そうではありません。まあ、ありていに言えばそうなんですが、そうではないのです。
    タイトルにあるように、「超然」、このこと以外、この本は何も語っていません。
    死でも生でも文豪の旅館でも、牧場でも、そんなものは表面の文章であって、そんなことはどうでもいいのです。

    まずは一つめのポイント。

    P.18 どんな考えか。すなわち超然と言う考えである。
    超然。そのことを乗りこえていて問題にしない様子。世俗的なことと無関係な様。
    素晴らしいじゃないかと思う。これこそが私の理想ではないかと思う。


    主人公は超然としたい、と心に固く誓います。
    そう思うようになるまでも、まあ色々あるんですが、まあたいした理由ではないです。
    なんか、そうなりたくなっちゃった。

    何があっても何がなんでも、超然としていようと。
    これは「海賊王におれはなる」に換言してもいいと思います。
    とにかく、まあ、なんかになりたいんだよと。

    なんかこうありたいんだよと、決意する。
    これは別に特別なことでなくて、こうありたいなあと思うことは、誰でもあると思います。


    そして、実際にそれを実践するべく、一人称を「余」と言い換えるようになります。
    余。なんか超然とした感があるので、そのことに異論はありません。


    けれども、早くも彼は挫折します。

    海岸で若い男女がキャッチボールをしているのを彼は見かけます。
    なぜかわからないけど、キャッチボールをしていて、そのうちの一人の少女は浴衣を着ている。

    浴衣で海岸でキャッチボール。どっこもひとつもマッチしていない、この姿。
    超然としていれば見逃すこともできますが、残念ながら彼は見逃すことができず、超然としていられなくなる。

    むしろ、そんなミスマッチを気にしない彼女こそが超然としていると気づいてショックを受けます。

    P.48 敗北。敗亡。
    この世に生を受けて四十五年。余はけっこう頑張って生き、自らを余と呼ぶ男までになった。
    そしてここ田宮の山上に居を構え、俗事を遠ざけ超然と生きようと心に誓い、実践してきた。
    しかし、余の超然主義の底の浅さがいまここに明らかにあったのである。
    ひとりの娘の存在によって。

    そこまでショックを受けることはないのに、とてもショックを受けて、彼は挙句

    余はこの世を去ることにするよ。

    と、潔いにも程がある、くらいの決断を下します。これが二つ目のポイントです。



    自分の理想とする姿を、あっさりと誰かがやっ... 続きを読む

  • 人生、苦しいこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、でも大丈夫。そういう時は『どつぼ超然』を読みましょう!すると人生『頑張るぞー、頑張って、死ぬぞー』って気になりますから!

    すると悠々と人生を超然と見据える事が出来るようになり、「善きかな、善きかな、ほほほ。」と言えるようになる・・ハズ!!((笑))

    文章の書き方が主人公の独り言の形で物語が書かれているのですが、実は私、こういう文法?っていうんですか?例えば森見登美彦さんの【恋文の技術】や、アンシリーズの【アンの友情】など、台詞があまりない文章を読むのは(しかも、それが状況説明ではなく、独り言だったりすると)集中力を欠いてしまうんです。

    なので、例えに出した作品も、最後は面白く読み終わったのですが、本の世界に入り込むまで時間がかかってしまうのですが、この『どつぼ超然』に限って言えば、最初っから、一気に読んでしまいました。

    一言で言えば『お笑い読本』ですね。

    特に気にいったところ(笑ったの)は、P139の『そこで余は、下りていく男の背中に向かい、心内語、「ばーか」と言い、少し足りないような気もしたので念のため、「ばーか、ばーか、ばーか」と付け加えた。完璧である。』という部分です。

    しかも、この作者の偉いところは、これが『何とかの遠吠え』(もちろん、負け犬遠吠えですよ。これが『オオカミの遠吠え』や、『おっかさん!の遠吠え』だったりしたら、怖いだけですからね。)の証拠を、例え話で非常に上手く説明してるんですね。で、最後は『そうか~、そんな小さい事を考えているようではまだまだ凡人、善きかな、善きかな、ほほほ。』とつぶやいてしまっているんですから、恐るべし、どつぼ超然!と思いました。(ホントか?ホントです(爆)

    他にも人生を超然と生きるためのバイブルが盛り沢山と書かれていますが、一番盛り上がったのは自殺するための場所選びの主人公の考えている事や行動、縄と踏み台の配色などを遠くから真剣に眺めたりするところでしょうか?

    あと、どうしても分からなかったのが、どうして突然主人公が自殺しようと思ったのか?という部分です。その理由が、あまりに超然過ぎて凡人の私などには、とてもとても(ここで手のひらを上に向け、両肩をすくめ、首を左右にゆっくり振る)。理解できなかった次第でして・・うーむ、、やはりまだまだ修行が足りないようです。

    最後に主人公が「善きかな、善きかな。」とつぶやいたあと付け加える「ほほほ。」これにも深い意味があるとみました。ただ「善きかな、善きかな。」とつぶやくだけより、そのあとに「ほほほ。」と付け加えるだけで、あ~ら不思議、主人公が心から「善きかな、善きかな。」と思っている時と、実は無理して「善きかな、善きかな。」と思っている事が分かって面白いと思いました。

  • 呆れるほど不毛で、生きる活力の溢れる物語。
    冒頭から、自殺を志向するという現代的な悩みを持つ主人公ながら、不可解な出来事(?)にどんどん迷い込んでしまう達人。自意識過剰なあまり300P近くの大作になるまで右往左往を続ける。町田作品の中でも、ここまで意味のなさを追求して、笑えて、力が漲る物語はないかもしれない。

  • ブクログ様献本企画で頂きました。ブクログ様ありがとうございます。

    町田康さんの本は初体験ということで何の前情報もなく読み始めました。

    フィクションなのかエッセイ的なものなのか分からない文体で、主人公のひねくれた、頭の中でよくそんなに思考をめぐらせられるなっという独り問答の展開に驚きました。衝撃的なファーストインパクト。

    一体なんなんだこの人は?奇怪なものを見るように読み進むうちに、主人公というか著者の人間観察力とシュールな着眼点にニヤニヤしてしまいました。特に写真がある部分の話はシュールで笑えました。超然ってかっこいいかもしれん。

    普通だったら見逃してしまう事を自己展開し、思考がフライハイするという。人の頭を覗いているような感覚。

    町田康という人の思考や感性を楽しめたという点ではとても満足でしたが、その展開についていくのにはかなりパワーが必要でした。少し読みづらかったという印象です。
    しかし、読後、妙にこの本の内容が頭に残っていて、思い出してしまうのがなんとも不思議。

  • ミュージシャンでもあり小説家でもある町田康氏の小説「どつぼ超然」を読了。3連休で頭は疲れていなかったし、ストレス度合いも低い状態なので読み終えられたが正直読み進めるのにちょっと疲れた。だからといってまったく面白くない訳ではない。妄想力が尋常ではない主人公「余」がストレスあふれる日常から逃れるべく多分熱海をベースにしたとおもわれる街を歩き回り色々なシーンに出会うたびに頭に浮かんだことをつらつら書き付けたような形で進んで行く小説なので、ばかばかしさが半端ではなく、ばかばかしさが限度を超えるときに思わずふと笑ってしまう部分は何度かあるにはある。だがこの徹底したおばか妄想に最初から最後までつきあえる人と出来ない人に完璧に分かれるだろうと思われ絶対読者を選ぶ小説だ。パンクバンドでは伝説の人らしいいので、この小説もパンクだと思えば楽しめるのかもしれないので誰か試してみてはどうだろう。

  • 圧倒的な紙の無駄使い感、思考の無駄使い、日本語表現の無駄使い感。これこそアート!

  • 作者の分身?的な「余」が綴る、街の散策日記的内容。町田康の頭の中はこんなに忙しいのか、面白い。脱線しまくり言い訳しまくり。

  • 今までにも増して、脳味噌をぐぢゃぐぢゃに掻き回されたような読後感。
    私の脳が「余」のとりとめのない思考と、洪水のように溢れ出す
    訳のわからん言葉に浸食、いや侵略されそうだ。
    やばい、やばい。
    うかうかしていると町田康に脳を乗っ取られかねない。
    中毒性のある麻薬のような言葉は、もはや快感。
    ツボすぎて自分が怖くなる(笑)

  • 非常に面白いbut疲れるw読むときのテンションによる。

  • 熱海と思われる場所に移り住んだ「余」が、周辺をうろつくという話。強烈なボケもあっておもしろい。社会の底辺のパンク歌手の物語を書くことで金を稼ぎ、とうとうリゾート地に住んじゃったプチセレブ(に見える)な自分の現状について、ちょっと複雑な心境があるのかなという気がした。

  • ギャグ…?

    うんちくというか、意味の無いことというか、そういうものを列挙している感じ。

    面白くはない。
    ただ、へぇ、そうなんだ、という感じ。

  • 飄然から超然を目指す著者。俗事を遠ざけ田宮にて超然主義を唱える。人間のエゴ、人間の矛盾に疲れ自ら死にゆく場を求め渉猟する。あてどない逍遥の先にあったものは、しかし、生であった。洗練された美しい文章で人間の深奥を鋭く描く。心が浄化されたような空気にどっぷり浸ることができた。

  • とりとめのない日常を洞察妄想で仕上げた独特の世界は健在。
    山羊と国家は、ウケた。

  • もーーーなんなんすか、この人ーーーー!!
    面白いよ!!

    十数年ぶりに町田康さんの文章を読んだ感想です。
    「余」の一人勝ち。

    私は本書を病院の待合場所やカフェなど、公共の場所で読んだのですが失敗でした。数ページに数回は声をあげて笑いたくなる箇所が訪れるため、笑いをこらえるのに苦労しました。

    ひとり、心置きなく声をあげて笑うことができる環境で読むことをおすすめします。

  • 日々、頭の中で取り留めもなく考えていることを一字一句そのまま文字に表したら
    こんな感じになっちゃうんじゃないんだろうか。
    所々に時流に乗った単語を入れてくるのはずるい。不意に笑ってしまう!

    脳で遊ぶ
    という言葉がとても気に入ったので
    ネガティブな思考に陥ったら即座に思い出そう。

  • 果たしてこの想像力、いや妄想力を、おもしろいと言わないでなにになるのだろうか。おもしろすぎる。愉快過ぎる。ひたすら、町田さんが、すごすぎる。

  • なにしろ、町田さんの文体が好きだから。好き、というのとはちょと違うかな(無論、嫌いではない、ほとんど快感)、ただ引き込まれる、と言うべきか。内容はともかく(もちろん貶してるわけじゃなくて)、文体だけで読ませる作家って、「往年の」にはいるけれど、今では少ないのじゃないかしら。それでこの本。『東京飄然』ではなく「超然」なのか。文体や内容の好き嫌いはあろうから、内容についての感想は控えます。代わって、本体の佇まいを少し。メタリックなシルバーカバーと同素材の帯がよろしい。そこに白文字でタイトルもなかなかお洒落。そして花布と栞紐が黄色…うーん、私の好み。そんなわけで、私は町田康作品、猫と犬だけ読んでるわけじゃありませんよ、ということにて。

  • エッセイとフィクションと
    いいかんじに混ざって、マーチダ的。

    後半はちょっと飽きちゃったけど、
    前半は、声をだして笑っちゃいました。

    最近、町田作品、よく、後半でばててしまうなあ。

  • 相変わらずの町田節。
    プラス熱海のくにゃくにゃ感。
    何となくいつもよりくにゃくにゃしてはいるけれど
    善哉、善哉。

  • 町田康の本としては、ちょっと期待外れ。先入観なく読めば十分面白く、かなり笑ってしまったのだが、期待値が高過ぎたかも。他の人が書いたなら星四つ以上だ。この人でなくては書けない、という本でなかった。お茶目で面白いエッセイという感じで、らしさ、クセが薄い。そろそろ町田康のマイブームも終了の時期か。くっすん大黒と、パンク侍が好きだ。

  • 冗長と感じられる文章と、書く対象を絞らないような散漫さを与える運筆で、人生のとりとめのなさを文字で。

  • あえて迷いこもうとする迷路のようであり、脱線ぐるぐる自己完結のオンパレードなのである。その様を眺めるのはたいへん愉快。いちいちげらげら。それは突飛だからウケてしまうのではなくて、なんというか親近感、そう思うわーとか何その捻くれ具合わかるわとか、そういうの。現実ってもんはこんな感じだよね、僕も私も。あと「余」と一緒にうだうだ巡らすことによって、はっと気付かされることがあるなあと思った。
    あ、そうだ盗撮婆が気になって眠れない。

  • ダメだ・・・
    気になってたから読んでみたけど、
    すごく読みにくくて、10ページも読めないかった・・・。

全62件中 1 - 25件を表示

どつぼ超然を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

どつぼ超然の作品紹介

明るすぎるし、見晴らしがよすぎる。どうも死ににくい。飄然から超然へ。世界を睥睨する町田文学の新境地。

どつぼ超然のKindle版

ツイートする