冷血(下)

著者 :
  • 毎日新聞社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620107905

感想・レビュー・書評

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  • 合田雄一郎シリーズ。
    両親共に歯科医師の4人家族が惨殺され、その犯人の犯行に至る動機の検証に翻弄する警察、検察の模様が描かれる。
    上巻の半分は被害者家族の日常の様子、犯行に及んだ2人の犯人の犯行までの足取りなどが描かれる。
    なかなか登場しない合田に、本を間違えたと思ったくらい。
    上巻の後半は事件が発覚して、犯人が逮捕されるまで。
    下巻になると、ほとんどが取り調べの様子を録音したデータを合田が聞く様子が描かれる。上巻の時から感じていたが、今作では自分のしていることの目的が分からないまま、事件を起こした井上、戸田2人の犯人の心理的分析がメインで、前作の「太陽を曳く馬」の時と同じような哲学的な印象が強い。
    今は特捜に所属する合田が、事件の第一線で活躍することもなく、少し物足りない…

  • 何の救いもなく、荒涼な心象風景が呼び起こされるようで暗澹たる気持ちに追いやられてしまう。この「冷血」には、たいした動機も理由もなく一家四人を惨殺し、あっけなく警察に捕まった後も、自分たちの凶行を省みることもなく、はたまた開き直るでもなく、まるでADHA的な非行を重ねる中学生のような犯人が描かれている。

    被害者の一人である女子中学生や犯行直前までの犯人たち二人の内面が描かれているところは秀逸で、複雑で繊細な心の動きにまるで様々な角度からフラッシュを浴びせているようだ。

    しかし、二人が捕まってからは、犯人たちの内面から描かれることはなく、合田刑事から見た二人が登場し、事情聴取が延々と繰り返されていく。そしてやがて合田と犯人たちとの書簡が少しずつ交わされていくのだが、そこに現れる犯人は、文学的な表現ができる思慮深い青年となっている。しかし犯行に対する反省や後悔はなく、人格的な変容が描かれているのではない。

    そこにあるのは塞ぎようのないぽっかりと開いた大きな空洞だ。そこに吹きすさぶ風が血を凍らせていく。9.11で妻を亡くした合田にもその風は吹いている。ただその空洞を見ないようにして生きているだけだ。その為に合田は毎朝、畑に出てキャベツを育てる。金属バットで叩き割るのではなく。でも、育てるのも叩き割るのも、紙一重なんだ、たぶん。

  • 歯科医一家四人惨殺事件。犯人達の心のありように、せすしが冷たくなる思いがする。合田はなんでそんなに犯人に入れ込んでいるのか…。

  • 自白してからの拘置所での自供、裁判。合田へのはがき。上巻と打って変わって、読み進めるのが遅くなる。重いんです。
    犯人二人の生い立ち。友人らしきシンパシーを感じていた共犯者について、相手はそうは思ってなかった節を理解しだし、その部分の削除を申し出、結局は、虫歯がもとで癌になり壮絶な死を迎える戸田。
    キャベツを殴り潰していた過去。
    合田と知り合え、救われたそうだが、殺してしまった一家への反省もなく、死刑に処される。
    冷血って、犯人二人のことではないのよ。被害者遺族、どこかの医者、もろもろに冷血が潜んでる。

  • なんともやりきれない話です。冷血といえども、その血は重く、濃い。

  • 合田が中間管理職をがんばっている。迷いながら、悩みながら、組織の中でなんとかやっていっているのを読んで、共感をもった。

    早朝の畑仕事がストレス発散だって。なんて健康的なんだー。

    ここまで、2014-04-23

    と思ったら、さくさく読んで、23日中に読み終わった。

    なんていうか、高村薫があちこち出てきている小説だった。

    たとえば、33歳の井上の手紙で、「一寸」と「とまれ」が出てきた時点で、「あ、高村薫だ」と思った。

    「とまれ」は地の文でも、手紙の中でも、合田の思考の中でも、何回出てきたか知れない。ともあれとか、とにかくとか、他にいくらでも言い換えることができるだろうに。ワンパターンである。

    また、「一寸」を13歳の中学生の日記と、33歳の殺人犯の手紙の中で平気で使っているのに神経を疑う。

    ふつうに、「ちょっと」とひらがなで書けよ・・・・おばあさん。




    高村薫の文章は法律文、たとえば検察の論告要旨や弁護人の文章、それから判決文には適しているけど、中学生が書いているという設定の文章には向かないと思う。


    合田が死刑囚の井上と手紙のやり取りをするのが不快だった。

    取調べまでは合田に共感できたんだけどな。

    入院している戸田の見舞いに行くあたりから、もう、なんていうか、どんびき・・・・。

    だって、殺人者でしょ?物言わぬ戸田に独り言のようにしゃべる合田・・・・おかしいよ・・・・。

    13歳と6歳の子どもを殺しているんだよ?

    私は戸田にも井上にもいっさいの同情も共感もしない。

    実は、第1章は読んでいない。途中で読むのをやめた。

    あまりにも死亡フラグがたっていたから。

    この仕合せ(「幸せ」でいいじゃん!!なんで「仕合せ」て表記にしたがるんだろう??)そうな家族、あきらかにこのあと死にますね、死亡フラグぷんぷんですねと思ったので、最初の一区切りで読むのをやめ、いっきに第2章へ飛んだ。


    だから、第1章で、戸田と井上がどう出会い、どう過ごしたのか知らない。

    第2章で合田といっしょに合田の視点で事件の概要を見ただけである。

    それで十分だわ。

    子どもが死ぬのが、たとえ小説の中でもえらいこたえる。

    昔はミステリはおもしろかったし、人が文中で死んでも平気だった。

    でも、今はだめだ。

    二人の子どもの親になったからか。年を取ったからか。

    とにかく、子どもが虐待されたり、殺されたりすると、胸が痛くなる。


    合田、なぜにそんなにその二人にかかわる?

    逸脱しすぎだと思った。


    中間管理職している合田はよかったけど、捜査がほぼ終わり、地検に送致してからの合田はなんとも好かん。



    どこかの感想文で、この「冷血」をまた高村薫のひとりよがりな作品(その人は福澤三部作もひとりよがりと決め付けていた)だとし、高村薫がこの作品で何を言いたいか分からんと書いてあったけど、私はそこまでひとりよがりだとは思わないし、作者インタビューの動画も見たので、作者が何を言いたいか(風景の中の個人でしょ?きっと)も分からないではないけど、いかんせん高村薫という個人の個性が文中にいっぱいにじみ出ていて、小説として、没頭しては楽しめなかった。

    風景の中から事件も個人も生まれるって、確かにあちこち印象的なシーンがあって、心に残るんだけど、いっしょに高村薫個人臭もぷんぷんと残ってしまっている。

    それが文体のせいなのか、画一的な表記のせいなのか、私には判断つかないけど、なんつーか、今後も高村作品は合田が出るなら読むけど、合田が出ないならもう読まないだろうなと思った。

  • やっと読み終わった…
    警察の描写がリアル。

  • 3.0 ようやく読み終えました。重たく細かく何とも言えない話しでした。疲れた。

  • いまひとつ馴染めない文章だったけれど、合田刑事のことが知りたくて最後までお付き合いしました。結果、合田さんってやっぱスゲェ深い人だとわかりました!

  • カテゴリってどう使えばいいんだろうか?

    ーーー

    現代の社会派サスペンスならこの人を、と薦める声をネットで拾って素直にブックオフでいくつか著作を眺めて、普段買わない単行本だけど一番読みたいと思ったこれの、とりあえず上巻だけレジに。
    ネットで読みたい本を探している時に、この本は世田谷で起きた、未解決の一家殺人事件をモチーフにしているというような文章を目にした気がするんだけど、おまけにどの本にもあまり食指が伸びない状態で、この本にしたのはこの事件をモチーフにした云々という前情報にしがみついた結果なんだけど、ただの勘違いのように思える。
    凄惨な殺人事件を起こしておきながら、ぼんやりとした言葉でしか動機を明かさない、なんというか新時代の殺人犯とでも形容したくなる、実際の殺人事件の容疑者が幾人も存在していて、事件の血生臭さは数週間、数日間は一般にも強い衝撃をもって残るんだけども、その後別の事件が起こったり、おめでたいニュースでも流れれば、すぐに最初の事件のインパクトは薄れてしまう。数カ月後、あの事件どうなっただろう?と思い返してニュースを検索してみても、進展を知らせる記事には行き当たらず、リンク切れを起こす記事も多々あったりもする。
    「事件の真相」「犯人の心理」みたいなわかりやすいものが好きな悪趣味な私としては、衝撃を受けた事件のその後をググり、上記のような結末を迎え、なんの真相もわからないまま、拍子抜けするような悶々とするような感覚は実際何度も経験している。
    この本はあの感覚が、本の中にある「事件の真相」や「犯人の心理」を探ろうとする時に起こり、読み終えた時にもまた起きた。
    帯に書かれていた「二転三転する供述」だとか、判決後に犯人が主人公の刑事に送った完結な手紙の中のはっとしてぎょっとする一文はまさに映画の予告編。2時間くらいの映画1本を数分で鑑賞した気分にさせちゃうアレ。帯の宣伝文句で本をダメにしているとか、ネタバレだとかいうことではなくて、本ではなく帯の完成度を優先させているような感じ。
    全体を通してすごく淡々とした文章で書かれていて、「小説」と呼んでいいのか今でも疑問なくらいの、私にとって初めての感覚のするものだった。(この前に読んだのが、ちょっと暑苦しい中年が事件について力説している感じの「ゼロの焦点」だったせいもあるかも。)実際に起きた事件のルポタージュを読んでいるようだった。「ゼロの焦点」もこちらも、主人公にプロアマの違いはあれど、事件を追う同じ立場で、こちらの主人公も作中散々「否、否」と繰り返し思いを巡らせていたのに、この湿度の違いは何か。
    「冷血」と同じ主人公の前作も人気があるようで、こちらも実際に起きた未解決の事件を思わせるところがあるようなので、この前作ではどうなのか確認するためにも読んでみたい。でも、多分この作家の色なのかな。
    カポーティの方の「冷血」も映画だけで読んだことがないので読んでみたい。
    ヴェンダースの「パリ、テキサス」も、アルモドバルの「トーク・トゥー・ハー」も、どちらも個人的に思い入れのある映画だし、利根川や赤羽・十条、附属小のあたりの描写も、自分が少しでも知っている土地が出てくると、猟奇的な事件が自分の見知る場所で起きて、それをネットという壁を一枚隔てて賢しく情報漁りをしている自分と現代のいびつで醒めた気味の悪さを見咎められたような、なんともいえない感覚に陥る。
    「悪いタイミングが偶発的に重なって」とか、「魔が差して」とか「ふとした拍子に誤って」とか、そういう、被害者側からすると到底納得のいかない理由というか状況で殺人を犯してしまうことはあり得る、とserialというポッドキャストを聞いて思ったことがある。それまでは「魔が差す、ってなんだ、ついカッとして、ってなんだ」と思っていたけど。この気付きは自分もいつ魔が差したりカッとしたりして取り返しのつかない犯罪を犯してしまう恐れへの気付きでもあって、心底恐ろしかった。なんてことを書きながら、もし本当にそういうことが起きたら、ネットで猟奇事件のことをググりまくったり、事件のルポを読んだりしていることはすぐに判明するだろうから、「こいつはこんな記事や本を喜んで読んでいた異常者なんです!」みたいな声が聞こえてきそうでさらに恐怖。なんというか本当に人ってなんだろう。事件がどうか、とかこの本の中の犯人やその親類や、主人公の刑事がどういう人間か、医療ミスで命や体や将来を潰された被害者はどうか、というよりも、もっと大きいくくりで、人とはなにか、ということを思わされた本だった。いまだに小説とは呼び難い、不思議な本。

著者プロフィール

●高村薫……1953年、大阪に生まれ。国際基督教大学を卒業。商社勤務をへて、1990年『黄金を抱いて翔べ』で第3回日本推理サスペンス大賞を受賞。93年『リヴィエラを撃て』(新潮文庫)で日本推理作家協会賞、『マークスの山』(講談社文庫)で直木賞を受賞。著書に『レディ・ジョーカー』『神の火』『照柿』(以上、新潮文庫)などがある。

「2014年 『日本人の度量 3・11で「生まれ直す」ための覚悟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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