- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620317601
作品紹介・あらすじ
だれも(大きな声では)言えなかった憲法と日本の話。
感想・レビュー・書評
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実は、2012年ちくま文庫でこの本の発行を知り、「読みたい本」のリストに入れていたのだが、家計の関係でやっぱり図書館で借りました(^_^;)。それはいいのだけど、いざ手にとってみると2006年刊行の旧版でした。憲法をめぐる情勢は日進月歩、07年国民投票法成立、2009年民主党政権で改憲勢力の後退、2012年安倍自民党政治復活で改憲勢力大盛り上がりという情勢に、果たしてこの本は役に立つのか、とマア不安に思ったのは無理無い処でしょう。
内田さんによると、この本のコンセプトは「憲法問題についてのゆるやかな国民的合意を形成するため、戦後60年間続いた護憲・改憲の二元論的スキームから逃れて書きたい」ということらしい。そのためには、メデイアからしばらく干されても構わない「虎の尾があればわざわざ踏みたくなる」人で、言葉の力によって「硬直化したスキームの隙間を抜けることの出来る」人を選んだのだと云う。
国民的合意はそんな方法で得られるものなのか、という根本的な疑問を孕みつつもとりあえず読んで見た。
確かに「言葉の力」によって書かれた本であった。ブログの世界では、なぜか改憲派はイキイキしている。彼らには「言葉の量」があるのである。量も少しでも動けば大きな力になる。護憲派は重さはあるのだが、量はない。よって力はあまりないのである。処が、この四人には「スピード」があるのだ。ご存知のように物理の世界ではスピードは力である。言葉と言葉の間を掴む間もなくすり抜けて、自衛隊は必要だと言いながら、何時の間にか改憲反対の結論に至っていたりする。大いに見習うべきであり、もう少し細かく見るために、Amazonで購入を決めたのでした(^_^;)。(つまり、内容検討は文庫本の感想の時に)
2013年4月21日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
p.42
改憲派の人々の多くはナショナリストであり、国旗掲揚・国歌斉唱をあらゆる公的な場所において実施することは彼らの夢である。そして、彼ら自身はそれを特に中国や韓国に対するナショナル・アイデンティティの誇示だと理解している。だが、近代史上、日本人が国旗を掲揚し、国歌を斉唱することを禁じることを望み、禁じることができたのはひとりGHQのみである(一九八四年に国旗掲揚の禁令を犯したある日本人は重労働六カ月を科せられた)。
あまり指摘されないことだが、日本人はアメリカ人を怒らせることについてはきわめて勤勉なのである。しかし、多くの日本人は「日本人は必要以上にアメリカに迎合している」とはいつも考えているが、「必要以上にアメリカ人を怒らせている」という可能性についてはたぶん一度も考えたことがない。(内田樹)
p.92
「憲法という国の要に民族を謳って何がいけないのか?」と疑問に思う人は、「国民国家」というものが全然わかっていない。
ちょっと考えて欲しい。「日本人」という言葉は誰を指すのか?
「日本国民」なのか?「日本民族」なのか?そこが曖昧なのだ。だから、帰化した日本国民である僕に「お前は日本人じゃない」という人々が絶えない。
ところが、「民族」と「国民」は違うのだ。Nation(国民)という英語を「民族」と訳し、Nationalismを「民族主義」と訳す人もいるが、厳密にはそれは間違っている。ナショナリティNationalityは「国籍」であって、エスニシティEthnicity(民族)とは違うのだから。(町山智浩)
P.142
S誌に目を通す。
巻頭のコラム子は
「日本人は、国のために死ぬ覚悟があるんだろうか」
と言っている。
ふむ。
君たちの言う「国」というのは、具体的には何を指しているんだ?
「国土」「国民」あるいは「国家体制」か?それとも「国家」という概念か?
でないとすると、もしかしてまさかとは思うが「国体」か?
はっきりさせてくれ。
なにしろ命がかかってるんだから。
もうひとつ。
「死ぬ」とはどういうことだ?
私の死が、どういうふうに私の国のためになるんだ?
そのへんのところをもう少し詳しく説明してくれるとありがたい。
もうひとつある。
「国のため」と言う時の「ため」は、実質的にはどういうことなんだ?
防衛? それとも版図の拡大? あるいは「国際社会における誇りある地位」とか、そういったたぐいのお話か?
いずれにしろ、「これも国のためだ」式の通り一遍な説明で「ああそうですか」と無邪気に鉄砲を担ぐわけにはいかないな、オレは。(小田嶋隆)
p.168
週休二日制の導入は、日本人が生産というものを中心とした生活から消費を中心とした生活にシフトしたことを意味していた。消費を活性化させるものは間違いなく人間の欲望である。消費を中心とした生活の価値観の中では、生産を中心とした生活に生まれる倫理である、倹約や、勤労は色あせる他はなかったのである。戦後的なものの考え方、つまりは倹約の美徳、労働への誠実、隣人同胞への慈愛といった美辞が、欲望が作り出す「現実」の前では、欺瞞に思えてきたと言ってもいいのかもしれない。消費が中心的な課題となった時代において、持てるものと持たざるものという「現実」だけがクローズアップされることになる。結果の大きさの前では、美辞は貧者の言い訳のように響く。まる金、まるビという「現実」の前に、「理想」も「真実」も嘘っぽい欺瞞にしか見えなくなった。労働から消費への価値観のシフトは、言い換えるならば、プロセス重視から結果重視へのシフトであったということである。
p.174
歴代の大臣も、外交担当者も、この憲法を世界に向かって積極的にアピールし、どのような場合においても武力による解決という手段をとるべきではないと主張するほど、自らの信念に自信を持ちえなかった。いや、実のところ憲法の理想などはじめから信じてはいなかったのかもしれない。 -
狂うことはひとつのソリューションであるが、殆どの場合問題の先送りしか出来ない、と内田さんはいいます。押し付けられた「平和憲法」とその周辺を、狂うことで先送りしてきた、と。では今話題になっている改憲は、狂うことをやめて問題を解決することになるのか。
すでに軍があるんだから改正。基本的人権はもう無いから改正。でいいのか。改憲派は頻繁に憲法がかわるドイツを引き合いに出すけれど、ドイツの憲法は法律のようなものも混じっていて、むしろ重要事項の改正を禁じている。
兎も角、カイセーサンセー、ハンタイ、という部分だけのデジタル的な思考はやめたほうがいいよってことだ。政治家はそうは言えないのだろうけど。 -
なんで、内田 樹さんの本って面白いんだろう。
難しいこと言ってるはずなのに、分かり易くて自分も分かった気になってしまう。 -
内田樹、小田嶋隆、平川克美。いつもラジオデイズやブログでチェックしている3人に加えて、町山智浩氏も参加した憲法論。5月のイベントが楽しみだ。
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東2法経図・6F開架:323.14A/U14k//K
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内田樹の論理が分かりやすくするりと腑に落ちる。4人ともグレーゾーンにある種のソリューションを見出しているように思うが偶然だろうか?共通しているのはさらに護憲改憲どちらも何だかバカに見えてしまうように誘導される気がする読後感。
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3.4
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およそ10年近く前の本ではあるが、その中で書かれていることは、「まさに、まさに今起きてもおかしくないわけであります」という安倍晋三の言葉通り、現今の政治(というか政府の暴走と自民党の劣化)状況を活写している。
とりわけ最終章の平川克美による論考は、ロジカルかつ(良い意味での)詩的な表現により、読み手の心に届く憲法論である。 -
憲法とは法ではなく理想である、という町山氏の言に目から鱗が落ちた気がした。