暮らしの哲学

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著者 : 池田晶子
  • 毎日新聞社 (2007年6月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620318202

暮らしの哲学の感想・レビュー・書評

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  • 納得するところもあれば、そうとは言えないんじゃないかと思う所もある。でも哲学って人それぞれなものだと思うし、本なんかは一方通行であって対話できるわけじゃないから仕方のないことではあるかな。
    やっぱり亡くなる前に書かれた本であるとあって死に向かいゆく心境とかが現れている所があります。老いゆくこと、言うことを聞かなくなってくる体、その受け止め方が記されていました。そういう誰しも生きていれば感じることになることを哲学するっていう意味での題なのかなと思います。
    老いることで、昔には無かった価値観とかが新たに生まれて、内なる成熟を感じることができるから年をとることが楽しいそうです。
    哲学者だからなのかな〜とも思うけど、どうにもならないことを嘆きたくないですね、私も。
    そういう年のとり方をしたい。

  • この本は良いなあ。
    サンデー毎日で連載していたエッセイを集めたものという事です。
    GWという事でだらだらとビールをやりながら読んでたわけですが、この本読んでると、哲学って楽しいものだよなあ、と改めて感じ入ります。

    さて、内容の方はというと哲学エッセイと著者自身が言っているように、深いけど読みやすいですね。はい、アルコールが入っていても楽しめる内容です(笑)

    四季の風情に合わせて哲学してます。
    例えば春ならば桜。
    春の咲き乱れる桜を例に、始まりは痛みだ、と書いてある。そして人は経験を重ねる事により、その痛みが本当は心地よいものである事を知る。
    若者は残念ながらまだその楽しさを知らないのだなあ。
    ふむふむ確かにその通りと少々優越感。やはり歳をとる事は素晴らしい事だ。

    桜は毎年変わらず咲き誇る。だけどそれを眺める我々は少しづつ老いていく。あと何回この桜を見れるだろう。来年は見れるのか?限りがある事を理解出来るからこそ、桜を愛でる今を喜べるという事ですね。

    もしも桜が、我々と同じ速度で老いていくとしたら、自らの変化も気がつかないんだろうなあ。桜という変わらぬ(ように感じる)ものがあるからこそ自らの進んできた道を振りかえる事ができる。

    違う速度で生きている桜と、自らを比較する事が出来るからこそ、桜の美しさ、そして自らの生の美しさも感じる事が出来るわけで。
    つまり自己を知るには他者があらねばならぬ、という事か。

    桜とは反対に、我々よりも遅くやってきて、先に去っていくものもある。

    それは夏の章に登場するの犬という生き物。人間はどのワンちゃんを飼おうかと選ぶ事は出来るけれど、ワンちゃんの方は飼い主を選ぶ事は出来ないんだよなあ。
    だけれども、精一杯、飼い主に寄り添おう、関心を持とうとしてくれる。
    そしてワンちゃんは、たいてい我々よりも先に老いて、この世からいなくなる。彼ら彼女らが我々に教えてくれるものはなんだろう?

    桜と犬が生きる速度の中間の速さで生きる我々人間は何を感じ何を見つける事が出来るのか?

    それを考える事こそが哲学というものなのかもしれないなあ、自分の周りにあるものを、よりよく観察する事こそ、自分の心に何が映っているのかを眺める事なのかなあ、とアルコールで気分上々の私は思ったわけです。

    著者の池田晶子さんが亡くなったのは2007年2月。
    この連載の最終掲載が2007年3月という事です。結構亡くなる寸前まで書いていた原稿なんでしょね。ちなみに享年46歳という事。
    あー、今年誕生日が来れば自分も46だなあ、とその点でもしみじみ。
    おそらく自分はもう少し長く生きそうだ。
    自分は何を見つけられるだろうかなあ、という事も考えさせられる一冊です。

  • 久々に彼女のことばに触れてみる。ああ、やっぱり変わらないな、そんな安心感。文体はかくも息づいている。彼女のことばが、わたしのことばになって音をもって、肉体から発せられる。暮らしはそんな風にできている。それを魂と呼ぶのか、風と呼ぶのか、いずれにしても、存在は不滅なのである。正確には、滅びさえも、存在させてしまっている。
    逆に言えば、彼女の変わらないことばにどこか飽きてしまっているのかもしれない。書かなくても読まなくても、わかってしまう。だってそれはずっと考えていたことだから。
    彼女は書くことを生業とした。自分ももしかしたらそういう道を進むかもしれないし、そうでないかもしれない。あるいは、別の媒体でもって何か表現しているかもしれない。それはこの星の決めること。たとえ何であっても、この自分が生きていること自体が、ひとつの精神の表現であると信じている。生きて死ぬこと、暮らしだってひとつの文体なのである。ならばせいぜい生きてみましょうか。
    目の前に苦しみを訴えるひとがいるとして、彼女はどうするのだろうか。ずっと考えていた。すぐれた哲学人であるから、さぞすごいことをするのだろうとずっと思い込んでいた。あるいは、理を説きまくるものだと。若い頃ならそうしたかもしれない。
    でも、そんなことはないのだと最近思い至る。やっぱり人並みに戸惑って、おろおろして、それでも必ず飲み込んで、考えて、いくつか尋ね、そしてまた考える。彼女もまた人間なのだから。違うけど、おんなじ。そんな風に感じている。

  • 季節のこと、同棲する犬のこと、お酒のこと、亡くなったお父さんのこと、宇宙のことから、生死のことまで、さまざまな日々の暮らし(=現象)を通して語られるのは、入り口は違っても行き着く先はすべて同じ、イデアの世界、存在の不思議。

    「自分の言葉だと思って語られる言葉など、たんなる個人の意見ですから、そんなものやたらに主張するべきではない。これは自分の言葉ではないと、自信をもって語れるようになるまでは、沈思しているのがいいのです。沈黙は大事です。」(P71)

  • 7月新着

  • 大崎Lib

  • 2007年2月に46歳で急逝した著者が、『サンデー毎日』に2006年4月~2007年3月に連載した哲学的エッセイを纏めたもの。
    結果として最後の1年間の四季の日々の暮らしの中で著者が問い続けた「存在」=「生と死」を綴った、遺作とも言えるエッセイ集となっている。
    春~「人生は、過ぎ去って還らないけれども、春は、繰り返し巡り来る。一回的な人生と、永遠に巡る季節が交差するそこに、桜が満開の花を咲かせる。人が桜の花を見たいのは、そこに魂の永遠性、永遠の循環性を見るからだ。それは魂が故郷へ帰ることを希うような、たぶんそういう憧れに近いのだ」
    夏~「人と人とが出会うということは、本当に奇跡的なことなのです。この奇跡の不思議に感嘆した昔の人は、「一期一会」と言いました・・・別れることを恐れるより、出会えたことの僥倖を味わいたいと、私は思うものです」
    秋~「生命としての我々が死を感じるのは、順当に生命が枯れ衰えてゆく、やはり秋でしょう。たそがれ老いてゆく秋の深まり、急がなくちゃ、帰らなくちゃ、残り時間はもう少ない」
    冬~「私にとっては年をとるということは、それ自体が人生の醍醐味のようなもの・・・気持ちを若く保つなんて言い方も聞きますが、・・・老人には老人にふさわしい経験と知恵とが備わっているべきです。そうでなければ、何のためにそんな年まで生きたのかわからない」等
    著者は、元気な時分から、達観したような思想・人生論を展開した思想家であるが、間違いなく死を意識したであろう本書の言葉には、何度読み返しても心に沁みるものがある。
    (2008年7月了)

  • 分かりやすくて読みやすい。

  • 池田さんは分かりやすい言葉で、考えを語っていて考えの内容も良いと思うんだけど、それでも僕には難しかったなぁ・・・。どんなテーマを語っているかは難解な哲学書を読むよりは分かりやすいものだっただけに、「分からない」部分にストレス感じちゃったかも。

  • この本は著者が亡くなる一年前に書かれたものだとか。
    生と死について何度も触れられているし、少し前に亡くなられた
    お父さんのことも書かれている。
    急逝されたときの状況はわからないけれど、書きながら、死が隣に住んでいたのかもしれない。
    だとしたら、死ぬことはそんなに恐れるべき対象ではないのかも、
    そんな気持ちになった。

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人生という不可解な旅。めぐる季節の中で、暮らしの中で、問い続けた存在の謎。急逝した哲学者の、最後の1年間。

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