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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784620320632

作品紹介・あらすじ

あの日、何をしていたか。そして今、何ができるか。

感想・レビュー・書評

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  • 巨大地震発生。
    起きたことはたった一つでも、そこから生まれる思いは千差万別。

    自分に余裕がなければボランティアはできない。
    金銭的な余裕がなければ募金もできない。
    でも、忘れないことはできるから、まずそれだけは、と思います。

  • 3月に入り、東日本大震災1周年が近づいてきたため、改めて事実を見つめ直そうと手に取った本。
    茂木氏が音頭を取り、各界の著名人16名が寄稿しています。
    どのように震災を迎え、避難したのかが、仕事の延長上気になり、ここ1年間、人と会うたびに聞いてきました。
    寄稿者たちがそれぞれに体験した被災状況が語られます。

    決してお涙ちょうだいものではありませんが、前書きの段階で、記憶とシンクロして涙が止まらなくなりました。
    出勤途中の電車の中で、一人で泣いていたので、そばにいる人が気付いてはっとしたそぶりを見せましたが、手に持つ本のタイトルで(ああ)と納得したような空気が漂いました。
    見知らぬ人との忘れ得ぬ共有感覚になっていることを肌で感じました。

    どうしても信じられないほどのつらい記憶として、悲しみと涙が引き起こされてしまいますが、今回、直接被災したわけではない私が泣いたところで、なにも事態は変わらないと思います。
    寄稿者たちも、それぞれに自分のできることを考え、自らの非力さに悩み苦しんでいます。

    驚くべきは、この本が昨年5月、震災から2か月後に出ているということ。
    寄稿者たちは震災後一か月弱の段階で寄稿していることになります。
    大災害の心理的混乱を消化できないまま、文章を書くことになったとまどいが、文面から伝わってきます。

    書くことしかできないという人、言葉による表現の限界に苦しむ人、発した言葉がセンシティブになった世の中に曲解されて非難を受けた人など、さまざま。
    演奏家やお笑いの人は、自分の芸が今すぐに被災者を救うものではないことを悲しんでいます。
    何度考えても、あの大震災で、程度の差はあっても、全ての日本人の心が傷ついたと思わずにはいられません。

    それぞれの道の専門家の文章には、私が知らないこともいろいろと載っていました。
    ライブドアの堀江氏は「Gmailは核戦争にも耐えられるように設計されたネットで、このような未曾有の大災害時には、戦争用に開発されたものが大活躍する」と書いていました。

    ノンフィクション作家の石井光太氏は「日本を勇気づける記事は勝算は去れても売り上げにはつながらず、危険をあおるような記事の方が批判されても売れた」と、ショッキングな事実を打ち明けています。

    上杉隆氏の文章には、東京電力と政府の担当者が情報隠蔽を行ったことが、実名公表と共に記載されており、驚くとともに氏の覚悟の深さを見ました。

    気仙沼でのロケ中に被災したサンドイッチマン。
    芸人としての本職を封印して、ただひたすら事実を伝えようとする二人の文章それぞれに、肌を刺すようなリアルさがありました。

    阪神淡路大震災はM6.9、東日本大震災はM9で、阪神淡路大震災の1400倍のエネルギーだったことも知りました。

    震災後すぐに被災地に飛んだボランティアネットワークの人が、被災地の状況を「語弊を恐れずに言えば、広島の原爆投下後の焼野原が、福島の北部から青森の南部の海岸線までひたすら続いているような状況」と表現していることに、胸が詰まりました。

    津波で全てを奪い去った自然の猛威ですが、こんな大災害を受けても、地元では海を悪くいう人は誰一人いないというのも印象的でした。
    さらに、被災地で窃盗を働く人のことも「どうしようもないから仕方なくやっているのではないか」と、やはり責めないのだそうです。
    命ギリギリのところに立たされても、日本人の優しさが輝いているところに、新たな涙が出てきました。

    今後ずっと、誰もがこの痛みをかかえ、共有していくことが、復興に繋がる道となるため、たとえ被災地から離れていようとも、忘れずにいたいと思います。
    その日は一日中、仕事中瞼が重くて泣き疲れていました。

  • さまざまな立場の人がさまざまな場所で体験した「3.11」が書かれています。誰もが、自分の無力さというか、できることの限界を感じていました。それでも前を向いて進もうという意志が感じられました。

    「日常」「当たり前のこと」と思っていたものが「日常」「当たり前のこと」でなくなった現在、私たちが何を考え、将来に向けてどのような日々を積み重ねていくかが問われていると思います。(直接の本の感想ではありませんが……)

  • テレビで茂木氏が「これで日本は変われなかったら被害に遭われた方々に申し訳ない」と語っていました。1人1人が今回の震災に真摯に向き合わないといけないというメッセージをこの本から受け取りました。

  • ・あの日のあの瞬間をどう迎えたか
    ・その後に何を感じ、どう行動したか
    という2段階構成で、各人の文章を読み比べられる。先頭と中ほどに編者の茂木さんによる文章が提示され、その周囲に、作家、演奏家、学者、ジャーナリスト、歌人など職業はいろいろながら、あの日以降が等身大で描かれている。

    「書ける」という状況そのものが一種の幸運であることは確かで、横浜で揺れを体験した自分がこれを読めるというのも幸運だ。そういう意味で、著者達との近い距離感を持って読めた気がする。



    何らかの事情や理由で被災地へ赴いた人の文章には「現実」という言葉がよく出てきているように感じた。そうしていない人の文章では「無力」がそれだ。意外と「不安」は少なかった。

    前者の場合、想像もしなかった現実が目の前にあり、これまでの自分の日常が非現実的に思えるほどだった、ということだろう。後者は、辛い、悲しい、悔しい、けれど‥の後に続く気持ちとして必然に出てくる。「不安」が少ないのは、自分に関わる問題として震災と向き合っているからだろうと思う。逆に巷間では、実体験していない人ほど「不安」を口にしていると感じる。



    珠玉、という単語はこういう文章にはふさわしくないかもしれないが、個人的な珠玉はサンドウィッチマン2人の談話文だ。足下の地震と目の前の津波を実体験した生々しさが伝わってくる。同じ場所で同じことを体験したからか、そのときの心象や擬態語の表現がほとんど一致している。

    一部の人の文章は2段組みになっていて、結果的に読み続けさせる工夫になっているように思う。無事にこれらの文章を読むことができる幸運に感謝しながら、読んで感じたことを大事にしていきたい。

  • 以前に途中で読むのやめてたのを見つけて再開して読んだ。
    現在のコロナウィルスと通じるとこある気がする。
    雨宮処凛さんの文が読みいった。
    できることなら憎しみに飲まれないような社会であって欲しい。

  • あの日あの時何が起こったのかを、いろいろな人の観点から書いてある。だんだんと記憶が風化することに不安感を覚えて読んでみた。
    ただ被災地の声が少なく、客観的にこの地震を見ることができる人のコメントが多く、そういう意味では物足りなさを感じてしまう。

  • 3.11当日何を経験したのか、その後何をしてきたのかを16人が綴る。自分自身のも綴っておこうと思う。いつか子ども達に伝えるために。

  • (特集:「もしもの時に備えよう」)

    ↓利用状況はこちらから↓
    https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/BB00516935

  • 石井さんの文章が一番心に残った。いろいろな場所で、いろいろな人が経験した3.11。その瞬間を思うと胸が詰まる。

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著者プロフィール

脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授。「クオリア」をキーワードに、脳と心の関係を探究しつづけている。1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。
著書『脳と仮想』(新潮社、第4回小林秀雄賞受賞)『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房、第12回桑原武夫学芸賞受賞)『脳とクオリア』(日経サイエンス社)『脳内現象』(NHK出版)『感動する脳』(PHP研究所)『ひらめき脳』(新潮社)ほか多数。

「2013年 『おぎ・もぎ対談 「個」育て論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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