新・環境倫理学のすすめ (丸善ライブラリー 373)

著者 :
  • 丸善出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784621053737

作品紹介・あらすじ

京都議定書のような国際協力体制が生まれることを同世代人に向かって期待しながら書いた前著と、京都議定書が誕生すると同時に傷だらけになっている現状で書いた本書との間には、気分的に大きな違いがある。さらに深刻になる環境問題に直面する若い世代に向けて、重い課題を投げ出さないで引き受けてほしいと願う気持ちで執筆したのが本書である。「環境倫理学」の第一人者が、一四年ぶりに書き下ろした、待望の続編。

感想・レビュー・書評

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  • 二回目か?先進国と途上国のquotaの公平性についての論点が中心かな。

  • どっかの本に、冒頭で示された3つの観点で環境倫理学が言い尽くされているみたいな話をしてたけど、そうなのか。とすれば、冒頭を読めばいいだけなのでお得。

    ただこれも「応用」と同じように、論点整理した後に根拠を提示せず意見を述べて終わり、ってのがいくつかあって、そこは不満。

  • 従来の哲学書に環境的側面を盛り込んだ正に時代の最先端をゆく倫理学書だという印象を受けた。環境は保全するものか、保存するものなのかという点を切り口に人間中心主義すなわち自然主義か人間非中心主義かについて言及している。人間が多様性を重んじるのは、経済効率を求めた時にはメタセコイアのみを採用すれば良いのに対して嶺北杉など高級木材が好かれるという要因があるからである。ではその多様性であったり自然環境であったりをどのように守っていくのか、どうして守らなければならないのか。その中の幾つかとしてサンクションや実在論が述べられている。

  • 請求記号:SS/519/Ka86
    選書コメント:
    日本で環境倫理学を本格的に紹介し考察してきた第一人者による入門書。世代間倫理、自然の権利など環境倫理学の基本的な考え方がわかる。
    (環境創造学部環境創造学科 北澤 恒人 教授)

  • 12のトピックを並列に連ねる章立てで描かれており、この本一冊としての彼の主張が見えにくいのは前著と同様。
    その中でも興味深かった論点は以下のようなところ:

    ①生態系・生物多様性と環境倫理学【(4),5,6章】
    著書加藤は、ディープエコロジー的な「保存」を切り捨てて、また、研究者と生活者の視点のずれを主張した。そして、自然保護という姿勢が「生物多様性の保護」とされてしまうことの多い風潮への問題提起を行ったのだが、過去の倫理学者たち(基礎倫理学者たち)の議論や論争に耳を傾けていく中で、色々な立場を示すことに終始し、結局分かり易い結論を得ることはできなかったようだ。

    ②国際化(グローバリゼーション)と環境問題【(6),7-9章】
    ハーディンの「共有地の悲劇」「救命艇の倫理」あたりではアメリカの自国中心主義っぷりが存分に表れている訳だが、それではまずい!というのが加藤の考え。京都議定書のような数値目標を定める場面でも貧民問題やあるいは責任因果関係論(→受益者負担)vs責任負担能力論、といった論点を抜きにしては語れまい。「幻影論文」の、「貧民問題は環境問題より重大で、これを抜きにした環境問題への"部分的正義"など幻影でしかない」という主張は面白かった。あと、途上国がグローバリゼーションを望んでいるか、という論点は、「救命艇の倫理」への批判のヒントを与えてくれるものである。

    ③加藤による鬼頭批判は、もはや環境倫理学の諦めではないか?【10章】
    中西順子の「環境リスク論」(損失余命を基にしたもの)への鬼頭の批判を、加藤は「きりがない」と批判。鬼頭は「定量化できる価値のみで比べること」の限界を述べたのに、それを切り捨てては、重大な論点を掘り下げて論じる役割を担うべき環境倫理学の意義を危機にさらさないだろうか?
    <補足>加藤は「定量化できない価値があるのは当然で、そのうえで何を省略するか考えないと、問題解決できない」というが、中西は果たしてこの前提を受け入れたうえでリスク論を提示したのだったのだろうか?

  • 請求記号・519/Ka
    資料ID・310004338

  • 難しかったです。

  • 環境倫理の本らしくない本だった。

  • 取り上げる範囲は広く、環境難民、市場経済、グローバリゼーション、環境リスク、戦争による環境破壊にもおよぶ。

    市場経済では、資源の枯渇や廃棄物の累積が経済的な取引の外部にはみ出している。民主主義では、未来世代の利益擁護や国境を隔てた人々への拘束力を確保できない。

    現在進行している問題で、修復するのに数百万もの歳月を要する唯一のものは、自然環境の破壊による生物多様性の損失である。自然保護の倫理を実際に機能させる唯一の方法は、それを利己的な論理の中に位置づけることだ(E.O.ウィルソン「バイオフィリア」)

    社会ダーウィニズム、功利主義、人間中心主義はどれも自然主義。自然主義が排撃されたのは、責任の概念が成立しなくなるから。

    経済支配的な少数民族がいる社会では、政府の選択肢が差別構造の温存か生産性の低下かとなってしまいがち(「富の独裁者」エイミー・チュア)

    自由化と解放市場の成立が、先進国による経済支配の確立になる。IMFは、そのような先進国の支配を浸透させるための出先機関となっている(「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」ジョセフ・E. スティグリッツ)

  • (「BOOK」データベースより)
    京都議定書のような国際協力体制が生まれることを同世代人に向かって期待しながら書いた前著と、京都議定書が誕生すると同時に傷だらけになっている現状で書いた本書との間には、気分的に大きな違いがある。さらに深刻になる環境問題に直面する若い世代に向けて、重い課題を投げ出さないで引き受けてほしいと願う気持ちで執筆したのが本書である。「環境倫理学」の第一人者が、一四年ぶりに書き下ろした、待望の続編。

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著者プロフィール

京都退学名誉教授

「2012年 『科学・文化と貢献心』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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