ヨブへの答え

  • みすず書房
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622012184

感想・レビュー・書評

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  • みすず書房  ユング 「 ヨブへの答え 」 訳 林道義


    ヨブとヨブから見た神を ユング心理学を使って分析した本。ヨブの情動と畏れ、神の善悪二重性だけでなく、ヨブと神の表裏一体性も示唆しているように思う


    訳者解説と訳註が秀逸。特に「神の人間化」については 解説を理解してから本文に進む方がいい


    神の無意識とヨブの意識の対立と逆流、神の人間化(神の意識化)、人間の神化(自己を知る)と自我インフレのテーマは面白い


    旧約聖書の神から 新約聖書の神への変化について、一神教の矛盾はないのだろうか?



    十字架でのイエスの叫び「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」神に対する苦しみ、恨みの叫び〜イエスの叫びは、これまで神によって人間に与えられてきた不当な苦しみを自らも味あうことを意味する


    神と人間との和解は、神が人間と同じ苦しみを経験することにより成立する〜人間は罪から解放されるのでなく、神の怒りへの恐怖から解放される





















































  • 前半、ものっすごい刺激的だったけど、後半は睡魔との戦い

    とりあえず、

    ・「ヤハウェ」の産まれた時代の神は、ユダヤ教的な道徳観を持ち合わせてなかった

    ・ヤハウェは絶対なので、その時代の神観は変わらないまま、道徳観が発達した

    ・ので、神と信仰が乖離した

    ・ヤハウェがヨブに与えた試練は、その乖離を、人間に発見させた

    ・人間は、意識を、認識を獲得したが、ヤハウェは依然と無意識に存在してた

    ・そのズレを正すべく、導入された概念が、愛の神のキリストだ

    と、ユングは言ってないけど、この本をキリスト教の発展段階を暴く内容に読み替えると、そういうところかと

    で、そういうように読んだせいで、後半の、そういう内容でないとこでこけたんだけど

  • 読まずぎらいのユングだったが、元型(アーキタイプ)に興味があって、入門書などをパラパラとながめたあと、ついに本人の書いた本を読むことにする。

    たくさん本があってどれを読むか迷うが、1冊目としては「最高傑作」らしい本書にしてみる(比較的ページ数も少ないし)。 

    ユダヤ教、キリスト教に詳しくないし、またいわゆるグノーシス主義的な話しも説明なしにどんどん出てきて、難しいところも多々ある。

    が、訳者の解説も参照にしながら、読んでみると、これは本当に驚きの本である。
    キリスト教の根幹部分を心理学的に表象として、分析して、キリスト教を普通の理解と全く異なるものに脱構築してしまう。で、わたしには、この解釈はとっても納得のいくもので、本当にお見事としかいいようがない。

    キリスト教社会の真ん中でこんなことを言ったら、袋だたきにあうだろうな〜。これを出版した勇気にも感服した。

    どんな話しなのかは、他の書評かなにか、読んでください。
    (すごすぎて、まとめることができない)

  • 他のフィクションのキャラクターがどれだけ理不尽な目にあおうとも誰もその意味について考察などしないのに
    聖書に登場する人物であればユング大先生直々に考察して頂けることがたまらなく羨ましい

  • 購入後4度目の再読である。
    内容の難しさはキリスト教に対する無理解に負うところが大きいようだ。キリスト教の知識をすこし仕入れてから読むと、かなりわかりやすくなった。
    また、癖のある訳文のために読みにくいと感じる箇所も多い。が、同書の他の翻訳版に比べれば、はるかに文章の意味を把握しやすいと思う。

    本書において、変容するのは神ではなく、人間の持つ神のイメージである。

    神は絶対的な善であると同時に、絶対的な悪でもある。
    神はヨブとの確執から、人間になることを欲し、光の息子キリストとなる。だが、受肉はそれだけでは不完全である。
    ヨブが見たのは神の暗黒面だったが、その暗黒の神もまた人となろうとするからには、罪を持つ者として受肉しなければ居場所がないからであるという。
    そのために罪びと、「原罪によって汚され」た者の内にこそ、神は受肉せんとするのである。
    光と闇に引き裂かれた精神の中で、その光と闇をつなぎ、和解させようとする働きが結晶化し、一人の子供を産む。それが黙示録でヨハネが見た、「太陽を着た女の息子」であるという。太陽(光)と月(闇)の子供、天なる神と大地なる女の聖婚、方形の都エルサレムに住まう神、それは対立するものの結合であり、「自己」のシンボル(=神)である。

    それは確かにキリスト教的でない。大乗仏教を知っている者ならば、そこに仏性論との類似を見ることもできるであろう(ユングはプルシャ-アートマン説との類似を指摘している)。それゆえに、これは非キリスト者をも含めた人類全体への、本当の新しい福音となるはずである。人は悪の神をも受け入れねばならないが、悪の憑依に無意識なまま行動すれば、黙示録の強大な破壊衝動を現実化することになる。それだけの能力を、人間は科学技術という形ですでに手に入れているのである。それゆえ今、人間がなすべきことは、自らの内にある悪を知り、それに翻弄されない事、悪に傾く意思を「愛と智慧の精神をもって制御する」こと、「自分のしていることを知る」ことであるという。それは自力で成し遂げるには難しく、確かに聖霊の働きによらねばならないだろう。
    苦しみとは対立に引き裂かれることである。人は苦しまねばならない。そこに認識の光がさす。神はそういう人間をこそ受肉の場として選ぶ。神が受肉しようとするのだから、人は決して無に等しいちっぽけな存在ではありえない。

    だれもが「太陽と月の息子」を生み出す可能性を持っている。神は罪に苦しむ人間の中において、より高次の人間として変容する。それこそが救いである。

  • 神秘的な謎掛けみたいなのが続く。著者が博識すぎてくどくどと回りくどいというか、読者に対してもっとはっきりとした優しい書き方もあるんじゃなかろーか。

  • 旧約聖書の「ヨブ記」について、ユングが心理学的に考察しまとめた著作です。
    ユングは「ヨブ記」を意識と無意識の対立の物語としてとらえていました。
    それにしても、一般的に受け入れられている「全知全能・最高善」の神のイメージを、根本から考え直させられる深い内容です。

  • なぜ神は信心深い善良なヨブに試練を与えるのか?
    ユングが迫る

  • 取扱注意。キリスト教の基礎が分からない人が鵜呑みにすると非常に危険。目を通す、というくらいに留めておいた方が懸命だろう。
    聖書から19世紀の科学に流れる精神性、みたいなものを汲み取るという作業は見ごたえはあるが、やはり綱渡りだ。

  • 目から鱗がぼろぼろ落ちる。面白い。

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