メディア論―人間の拡張の諸相

  • みすず書房
3.60
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感想 : 41
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622018971

作品紹介・あらすじ

テレビ、ラジオ、広告、自動車など現代の多様なメディアの本質と機能から、文化と社会の変容を探る。エレクトロニクス時代の見取図を示すブリリアントな思考と透徹した洞察力。

感想・レビュー・書評

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  • メディアとは一体何なのか、その根源を語った本

    目次
    <blockquote>メディアはメッセージである
    話されることば―悪の華?
    書かれたことば―耳には目を
    数―群衆のプロフィール
    住宅―新しい外観と新しい展望
    貨幣―貧乏人のクレジット・カード
    漫画―『マッド』―テレビへの気違いじみた控えの間
    写真―壁のない売春宿
    新聞―ニュース漏洩による政治
    広告―お隣りに負けずに大騒ぎ〔ほか〕</blockquote>
    なんとか読み終わりました。
    前半は総論、後半はメディアごとの各論となってます。

    「メディアはメッセージである」という有名な言葉が載った本ですね。
    そのぶん、難しいです。物凄い難しいです。よっぽど本を読みなれた人でないと難しいです。
    そのために、あまり読んでくれと推奨はしません。

    <blockquote>すべてのメディアが人間の感覚の拡張であるが、同時にそれは個人のエネルギーに課せられた「基本料金」でもある。それはわれわれ一人一人の意識と経験をまとめあげる。</blockquote>
    「メディアはメッセージである。」
    この言葉の意味は、意を示すのは、中身ではなく、メディアそのものなのだという事。
    そして、メディアは、人間の感覚の拡張であり、意を示すのにメディアを使っているのだということ。
    他の書評であった例として、メールと直接の対話をあげている。
    人間は知らず知らずのうちに、何を使って表現を行うかで、随分違ったメッセージを出しているんだな。
    メールなどの言葉では、冷たい感覚を持ってしまう。それは直接の対話ではそぎ落とされた情報がそうさせてしまうのだけど、伝えたい言葉自体は、どちらも同じものだったりする。
    そこからも、何を使って伝えるかで変わる……この本ではこう言ってたりする。

    もう一つは、熱いメディアと冷たいメディア。
    <blockquote>熱いメディアとは、単一の感覚を「高精細度」(high defnition)で拡張するメディアのことである。「高精細度」とは、データを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」(low defnition)なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。
    (中略)
    したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い
    </blockquote>
    これは情報量の差をまた別の面から見た言い方なのかな。
    ただ、分け方が独特で中には「?」と思うものもあるので、それは置いておこう。

    しかし、これ以外にもこの本独特の理論が多用されていて、それが理解を難しくしている。
    特に根源に位置しているのは、文字文化と口踊文化の違いだろう。それと「外爆発」と「内爆発」。
    説明するのが難しいのだけど……。
    文字と声の違いは特にその性格が大きい。これもメディアはメッセージであり、文字は冷たく、声は熱い。なんか本文から行くとごちゃごちゃになるんだけどね……。そして文字は反復性があり、そこに強みがある。一方声は反復性が無い。文字によって文化は変わっていった……という感じかな。
    そして、文化が拡張して行く様子は「外爆発」であり、統合していく様子は「内爆発」である。

    これでざっと理論は追えたと思う。新しいテクノロジー、かつて存在した文化、人間の歴史の中ですべてはこれを持って変化してきたのだ……ということなんだろうな。

    マクルーハンのおっさんの言い分はわからんでもないが、まだ粗の目立つ言い分だから、うまく使わないとごっちゃになる。そこは気をつけなきゃいけないのかな……。
    この本では、各論として、テレビやラジオ、映画に電話、ゲームに広告、新聞、写真……そこまではいかにもなメディアだが、貨幣や住宅、衣服、車輪、兵器……そんなものまであげられている。

    世の中の変化をそれぞれ微妙な言葉の言い回しで説明してるけど、それも……なんか目くらましのような気がしないでもない。
    ただ、それぞれの理論はツールとしてうまく使える。これからの変化に対しても、それを思えば、どっちの方向に行っているのかはわかるのかもしれない。拡張しているのか、統合・収縮しているのか……、データが豊富なのか、シンプルに削ぎ落としているのか……メディアはいつでもその時代にあった人間の拡張部分として存在しているんだろうな……。コンピュータもそうだし、ケータイもそうだし。

    根っこの話をすると、当たり前に思えるようで、意外と自分たちがわかっていない話だったりする。それは無意識に当たり前にやってることだから、意識的に理論的に語ろうとすると、声が出ないんだな。
    わざわざそういうことをしてなかったし、そう考えてみたこともなかったから。でも、わかってる人は、それゆえに、今のメディアがどっちに向いているか、何のメディアがどうなっているのかを、まぁ、わかったうえで次の仕掛けをやってるのかもしれないな。多分感覚的な理解なのかもしれないけど。

    ▽参考図書
    ・<a href="http://mediamarker.net/u/kotaro/?asin=4414302854" target="_blank">プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く
    </a>

  • メディア論の古典的名作だよね。
    ブライアン・イーノもクリントンもこの本を褒め讃えていた。
    でも、オレから見れば、哲学的すぎて退屈だった。

  • 彼の本によって、テレビとかラジオとかいろんなメディアを、人間がどう用いて、そしてそのメディアによって、どう変わるかということを学びました。
    僕のメディアへの興味にとても影響を与えた人です。
    僕にとっては、ソクラテスやプラトンの話と同じで、マクルーハンのメディア論が哲学といってもいいかもしれません。

  • 目の拡張が望遠鏡・顕微鏡。望遠鏡・顕微鏡はメディア。皮膚の拡張が衣服・家。衣服・家はメディア。足の拡張が車輪。車輪はメディア。爪と歯の拡張が兵器。兵器はメディア。人間と物理的対象の間にあるのがメディア。▼メディアはメッセ―ジを乗せて運ぶ乗り物で、メディアそれ自体がメッセージをもつ。メディア自体が人間の経験や相互行為を構造化する力をもつ。話し言葉(というメディア)は、同じ空間に居合わせなければならない、聞く人々の間に親密な関係を作る。一方、書物(というメディア)は、持ち運び可能で好きな時に好きな場所で読める個人的なもの。マクルーハン『メディア論』

  • NDC(8版) 361.45

  • 所謂「メディア」という言葉で想像される「情報伝達インフラ」に限らず、人類の感覚・能力を拡張する「プロダクト」全てに対して、それらが人類の「振舞い方」をどのように変えてきた(いく)か、ということに対する考察。単純な話ではなく、人類の歴史や文化圏の比較など、議論が多岐にわたる。45年前に書かれたものだが、今なお新鮮。(この本買ったのが15年くらい前だが、ようやく読み通すことができた。けっこう読み通すのがしんどい。)

  • 衝撃的に刺激的な内容。インターネット登場により、世の中がどうなるかを見事に予見しています。

  • 6090円購入2010-07-08

  • wired・システム、ネットワークと情報・1位

    mmsn01-

    【要約】


    【ノート】
    (wired)
    マスメディアによっていかに人間の知覚が変わっていくのか。『WIRED』創刊時の守護神マクルーハン。生誕100年の今年もなおそのセンセーショナルな議論は有効だ。

    ◆ユーザーからのコメント
    マクルーハン読みたい/『メディアはメッセージである』/なんやかんやでこれに止めを刺すことになるなぁ/Web社会を理解のため、本を読んでみましたが、行き着くところはココ。古典です!/マクルーハンは必読だろ!!!つか、このキャンペーンは面白いと思う/マクルーハンは偉大だ!/エンジニアの人々を含め幅広い層にヴィジョンを提供したマクルーハンの名著/何度も読みました。僕らは拡張しているといまこの時代に実感できる/駄洒落センスや「誰がうまい事を」感の教養のためだけでも必読

  • 著者が裏付けもなく、非常に広い範囲の事物を「メディア」と定義し、思い思いに書きなぐったもの。

    書きなぐりだから為せる洞察もあることはあるが、メディア上の情報ではなくメディア自体について述べた最初の本とされていること以外に価値を感じられなかった。

  • 読了

  • メディア論の超有名古典。
    インターネットが流行りだした時に、再度注目され、今も強い支持を受けている。

  • 2013 8/15 第1部+第2部1・2までパワー・ブラウジング。司書課程資料室の本。

    図書・図書館史授業用にマクルーハンをおさらい・・・と思い手にとったものの、やはり初回では使わないかなあ・・・。
    各メディアの話部分を先々では取り上げる可能性あり。

  • むっずい。けど言ってることは納得。クールメディアとホットメディア、それに関連した感覚配合比率的な話。
    行動経済学でいう認知負担との関連性もあるんじゃないかなーとか思った。

  • 数十ページ読んだあたりから私の鼻は嫌な臭いを嗅ぎとった。洗練された言葉の羅列はどれ一つ肚にズシリとこない。重量を失った思考は飛散する。しかし花火のような情緒はない。ただネオンサインのような刺激があるだけだ。

    http://sessendo.blogspot.jp/2012/09/blog-post_1054.html

  • 何回読んでも面白い。
    メディアによる身体に拡張というのは刺激的な考えだと思うよ。
    メディアによって拡張されすぎた身体は切断されて行って、代替物がやって来る。
    それは文字であったり、他人の欲望であったり、メディアに切断された意識の集合であったりするのかもしれない。

    僕らは切断面がありすぎて、外から色々な物に取り憑かれて易くなっているのかもね、マクルーハンがまだ生きていたら現代の情報社会が形だけ並列化に向かっている姿をどう思うのだろう。

    刺激的な理論だけれど、鵜呑みにするには、まだ実証例が足りない。

  • 副題が「人間の拡張の諸相」とあるように、身体能力、認知能力を拡張するものとしてメディアを捉えている。
    全体としてサイバネティクス的な雰囲気が漂う。

    半世紀も前にメディアにについこれだけの考察ができたとは。
    ネットも携帯もないそんな時代のものとは思えないほど現代に通じる。
    とはいえ、マクルーハンの議論はあまりに多岐に渡り体系化できていない。
    学術的というには散文的。
    その中の一部に現代に通じる内容が含まれていたとしても不思議はない。
    マクルーハンが語っていないこと、マクルーハンの考察と現代とで異なることこそが問題なのだろう。

  • よめない。
    ただ、慣れてくればそれなりに読めるし、名著であることに間違いはないらしい。

    振り落とされないように、ゆっくりとじっくりと読み進めていきたい。

  • 久々に刺激を受けた本。活字文化を極限まで使い倒し、メディア=人間拡張の技術を通して、現代を語る。彼は安易な価値判断はしない。冷静に認識を示すのみだ。マクルーハンはテレビというメディアを高評価していたという批評あるが、彼はただクールなメディアだと分類しているだけだ。そこから導かれるテレビっ子の姿を説明しているだけだ。

    通例、最近は、読了した本の内容で気になった部分を抜き書きしているが、本書は無理だ。なぜって?大量に線を引いたからだ。これは読みながら、感じ、考える本で、記念碑として飾っておくものではない。

    すでにメディア論の古典だが、原著を読んで良かった。学術書のカテゴリーに入るのだろうが、彼はレトリックの魔術師であり、翻訳の良さも手伝って、退屈する、ということがなかった。

    ただ、論理に無理がある部分は数カ所あった。彼のフレームに無理がある部分もあるのだ。彼が印刷メディアについて言及した教育の防衛力を皮肉にもここで使わなければならない。

    最後に活字ではない、テレビのマクルーハンはどうだったのだろう?と思って、YouTubeを見た。非常に分かりやすい、論理的な英語で、私が好感を抱いてしまったのは、彼の作戦勝ちだろう。

  • 自分の興味のある部分だけ飛ばし読み。

  • ここ1,2年、HPやブログで自身の考えをアウトプットする中、「メディアってなんだろう」と思い読まねばと感じた本。いつになるかは分かりませんが、読んだら感想を書きます(笑

    原書の冒頭も楽しく読めるようで、そちらも手に入れたいですね。

  • 学部時代のバイブル
    メディアとは何か?

  • G.グールドなど多くの著名人が愛読した超有名な本ながら、図書館には置いてないし本屋でも見かけず、ずるずると読まないまま40歳になってしまった。そうしてやっと購入し、読んでみた・・・が、これはもっと早く読んでおくべきだった。
    卓抜な指摘が随所にあって、読んでいて興奮した。
    マクルーハンのすべての意見に同意できないとしても、これだけの知見にわくわくしないわけにはいかない。
    機械や、電気的情報ネットワークを「人間の諸器官の拡張」と見なすのだが、マクルーハンの言う「人間」の定義がよくわからない。一人一人の個人ではなさそうだが、それは共有された感覚を備えた集合的な「人間」のことなのだろうか。
    疑問は残るが、社会を論じる前に、是非誰もが読んでおくべき1冊だ。
    今頃やっと読んで、自分は恥ずかしいなと思う。

  • メディア論の古典的書物。

    約20年ぶりに読み返しましたが、案の定内容の大半は失念していました。(覚えていたのは全ての技術は我々の身体の拡張である、という件だけ)その分、半世紀前に書かれたとは思えないほどの先見性に改めて驚いた次第です。

    一方でこの非常に読みにくい書物から、その先見性とは何であったかを再考してみるに、ひとつはこの本が「メディア論」という形式を規定してしまった点にあるように思えます。

    マクルーハンはメディアを論じるに当たって、彼がメディアと考えているもの(話しことば、書きことば、・・・ラジオ、テレビ等々)に対する評論の集積と、それらの相対によって描き出していますが、そのことはメディアの裾野の広がりと特性を過不足なく捉えています。逆に言えばそのような形でしかメディアは捉えきれないということなのでしょう。

    もうひとつは、この論が膨大な書物・映画・論文などの参照によって作られている点です。現在であれば「サンプリング」という言葉を与えられるであろうこの手法は、メディアの特質のひとつである、「オリジナルの不在」を図らずも描き出していると見るのは見当違いでしょうか?

    いずれにしてもこのマクルーハンの労作が、いまなお多くのメディア論に引用されている点から見ても、今なおその古典的原点としての輝きを失っていないと言えるのかも知れません。

    ただし、読むのにはものすごく根気が必要。で、得られるものは???という正直な感想を最後に記しておきたいと思います。

  • メディア関係、マスコミに進みたいひとは必須の一冊。
    テレビやラジオだけでなく、あらゆるものをメディア(媒体)と考えると、世界の見方が変わります。

    マクルーハンさんがちょっと偏屈で好き。

  • 大学院に入るときに、ゼミの先生に絶対よめ!といわれた。
    高かったけど、これを読まなかったら世の中の見え方が全然違っていたと思う。

  • 大学3年の頃、ゼミで使った本。定価で買うとかなり、高価だが
    偶然古本屋で2100円で買う。ラッキー☆

    いろんなヒントがつまってる。

    買わなくてもいいから、図書館だ借りるべしー

  • ホットなメディア・クールなメディア

  • メディアの文化構造を知りたいならこの本。要するに「メディアはメッセージである」わけです。

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著者プロフィール

1911年、カナダのアルバータ州生まれ。英文学者、文明批評家。カナダのマニトバ大学で機械工学と文学を学んだのち、ケンブリッジ大学トリニティー・カレッジに留学。1946年、トロント大学の教授となる。1951年に広告文化を論じた『機械の花嫁』を刊行。62年には、『グーテンベルクの銀河系』を発表、次いで64年に刊行した『メディア論』は世界的なベストセラーとなり、すでにメディア論の古典となっている。ほかにも、『文学の声』(1964-65年)、『消失点をつきぬけて』(1968年)、『クリシェからアーキタイプへ』(1970年)などの優れた文芸批評、さらには現代の情報化の波のなかにあるビジネスの状況を論じた『今をつかめ』(1972年、B・ネヴィットとの共著)など、多彩な作品で知られる。1980年、トロントの自宅で死去。

「2003年 『グローバル・ヴィレッジ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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