イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622020097

感想・レビュー・書評

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  • ユダヤ人絶滅を目的としたナチスによるホロコーストの主担い手と目され、潜伏していたアルゼンチンよりイスラエルによって誘拐され裁判にかけられたオットー・アードルフ・アイヒマン元SS中佐に対する、あまりにも有名なハンナ・アーレントの公判レポートである。

    最初は極悪人、人非人な悪魔とみられたアイヒマンであったが、被告席に立った彼は、虚言癖があり、話しも下手で、SS(親衛隊)で出世を願いながら挫折し、逃亡先で哀れな生活を送ってきた小人物に過ぎなかった!
    ホロコーストにおける彼の立場も、決して指導的な役割ではなく、ユダヤ人大量移送を行う部署の課長に過ぎず、本人は自分では一人もユダヤ人を殺したことはないと言い、移送されたユダヤ人たちの結末は知っていたが、上からの命令に従い移送しただけだと主張するのである。
    当初はユダヤ人問題(!)の専門家として、ユダヤ人自身による移住組織を編成させ、彼らとともに強制移住(=追放)そして強制収容にかかわってきたアイヒマンであったが、ヒトラーがユダヤ人問題の「最終解決」(=殺戮)を指示するや、ユダヤ人問題専門家である自分とは関係なく大量虐殺が始まった。本人も「最終解決」には当初は抵抗感を感じたというが、「忠誠こそわが名誉」という親衛隊にあっては悪を識別する能力(=良心)をいとも簡単に放棄させてしまうことになる。しかも、ガス殺は総統の慈悲であるという論理に転化して・・・。
    正当な法律に従って選ばれた国家の指導者が、ユダヤ人絶滅を国家の方針とし、これに逆らえないような法律を定めた時、これに反することは可能なのか?犯罪国家のもとでは、命令に反して軍事裁判にて処刑されるか、敗戦の場合は戦犯として処刑されるか、という選択肢しか残されていない中で人はどう行動できるのか?まさにアイヒマンの状況がこれにあたるというのである。
    だが、裁判過程で明らかになる数々の聞くもおぞましい状況が確認された上でアーレントはいう。例え戦勝国による裁きやイスラエルによる裁きに正当性や公正さに疑問符が付けられようと、これは「平和に対する罪」や「人道に対する罪」ではなく、「人類に対する罪」であり、いかに酌量の余地があろうとも、人類が今後ともに彼と生きることを許さないだけの行為であったことは明らかであるが故に、これは極刑が相応しいと。そしてそれが、取るに足らない小人物によって成された主体性のない「陳腐な悪」であったとしても。

    また、アーレントの冷徹な眼差しは、アイヒマンの裁判を通じて得られたホロコーストに関与したあらゆる人間・組織の様々なレベルの行為にも向けられている。
    追放→強制収容→大量虐殺といった段階過程やナチスドイツ帝国の国内事情、さらにはヨーロッパ国々での関与の仕方を曝け出し、そこから彼らの成した罪状の数々をきわめて論理的・網羅的に暴きだしていくのである。
    ユダヤ人虐殺に加担したユダヤ人組織、ナチスドイツ下でむしろ積極的に相争うように「最終解決」を推進した各庁の官僚たち、大量虐殺を推進した前線の指揮官たち、ルーマニアなどナチスドイツ以上に積極的だった国、戦争終盤には自らの政治的保身のためヒトラーに逆らい虐殺中止命令を出していたヒムラーSS長官、そして、なおドイツ国内で軽微な刑罰しか受けずにのうのうと公的役職に就いている者などなど・・・。
    ユダヤ人追放も含めて、その関与の広さから「ユダヤ人問題」がこれほどヨーロッパに根深いものであったとは驚きであるが、惨たらしさと嫌悪感が充満するこの著述の中で、デンマークやブルガリア、イタリアなど、ナチスの「最終解決」圧力を無視あるいは抵抗した国があったのはわずかな救いと言うほかはない。
    さらに本著作で大きな議論となった一つとして、ユダヤ人自身の行動が挙げられる。ユダヤ人自身の支援組織(追放から虐殺まで)、収容施設内での自治管理組織および虐殺およびその隠ぺい工作の担い手として、そして集団移送から収容施設にいたるまで圧倒的大多数はむしろユダヤ人側だったにもかかわらず大きな抵抗が無かったこと(ゲットー心理とか自治組織の存在、ナチスの巧みな隠ぺいや甘言などによるものか)など、本書は不都合な事実も数多く含まれていたため、裁判後のユダヤ社会においても批判の対象になったとのことである。

    この著作はアイヒマン裁判のレポートということにしてあるが、あの当時を生きた同じユダヤ人として(最終的にアメリカへ亡命した)、また真実を探求する哲学者として、この裁判の行く末を見届けることで、あの惨禍を単なる過去としてではなく人類への警句として残そうとするアーレントの強い情熱と冷徹な洞察や分析が入り混じった、気迫のこもった著述であったといえるだろう。
    やたら挿入文が多いのと、2重否定以上の文章の多用、それにシニカルな表現も多いためか、日本語訳としてはひどく読みずらかったが、アーレントの思考のほとばしりを感じることができて、これはこれで良かったかもしれない。

    • mkt99さん
      佐藤史緒さん、こんにちわ。(^o^)/

      学生時代に丸山真男・愛の後輩がいて(笑)、自分の場合はその影響です。(笑)
      自分もひさしぶり...
      佐藤史緒さん、こんにちわ。(^o^)/

      学生時代に丸山真男・愛の後輩がいて(笑)、自分の場合はその影響です。(笑)
      自分もひさしぶりに丸山真男の著作を何か読んでみようかな。(笑)

      ホント、何か「空気」が変わった感じはありますね。ネットの普及が「空気」の変化の加速化を促しているような気もします。不特定多数の匿名の、無責任な発言の横行が悪い方向への導いている状況もあるのではないでしょうか。
      自分は韓国ドラマは観ませんし別に好きでも嫌いでもなく、逆に中国指圧マッサージは大好きですが(笑)特に中国も好きでも嫌いでもないのですが、本屋で平気で「嫌韓・嫌中」コーナーを見かけますと自分も暗い気分になります。どの本屋にもあるということは需要が大きいということですよね。
      いまは当3国の政治的な思惑が強く出て感情論が先んじることになってしまっていますが、本来、政治や国家戦略等の国益と憎悪の感情とは別もののはずであり、ここに「嫌」という文字を使っていること自体に何か作為的なものを感じます。
      憎しみの応酬から何か建設的なものが産まれてくるとは思えません。「嫌」のような煽動的なものは排除して、まずは感情論を鎮めることが必要かと思います。政治や国家戦略も冷静なもののはずですしね。
      「嫌」を前面に出すなど愚かなことだと、みなさん早く気が付いてほしいですね。
      2015/11/08
    • χαιρομἐνさん
      興味深く拝読しました。ただ、アレントは「真実を探求する哲学者」ではなく、むしろそういったアイデンティティを嫌い、拒否し通した思想家だったとい...
      興味深く拝読しました。ただ、アレントは「真実を探求する哲学者」ではなく、むしろそういったアイデンティティを嫌い、拒否し通した思想家だったという点に、僭越ながら注意を促したいと思います。プラトンやハイデガーのように世俗から離れて傲然と「真理」を追究する哲学者に批判的だったアレントは、一なる「真理」を多なる声(「意見」)を抑圧する圧政のようなものと考え、群衆に塗れず思索に耽る哲学者を「真理を語る者truthteller」と揶揄し、それを受けて哲学を「真理を語ることを職業とするものに顕著な暴君的傾向」(『過去と未来の間』三二五頁)とまで言っています。それ故に、彼女が哲学的遺産から多くを得たことは疑いようがないものの、自らをあくまでも複数者の間に存在する政治思想家と見なし、自らの思想すら自らの思想に適用して、それを「真理(アレーテイア)」ではなく「意見(ドクサ)」に過ぎないとしました。教科書的な指摘になりますが、気になったのでここにコメントを残しておきます。
      2017/11/09
    • mkt99さん
      ごじさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      丁寧にご教示いただき誠にありがとうございます。m(_ _...
      ごじさん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      丁寧にご教示いただき誠にありがとうございます。m(_ _)m

      意外かもしれませんが、実は私もアーレントが「真理を追求する哲学者」であるとは思っておらず、仰る通り「政治思想家」あるいは「政治哲学者」であると思っていましたが、これを書いた時のことをつらつらと思い返してみますと、やはり一般的な意味でその立場上「真実は探求」していると考え、軽はずみにもこのような言葉を選んでしまっていました。

      ご指摘いただいた上、懇切に説明いただき感謝いたします。

      今後ともよろしくお願いいたします。(^o^)/
      2017/11/18
  • 「それはあたかも、この最後の数分間のあいだに、人間の邪悪さについてのこの長い講義がわれわれに与えてきた教訓 - 恐るべき、言葉に言いあらわすことも考えてみることもできない悪の陳腐さという教訓を要約しているかのようだった」ー 絞首台の前で、最後の言葉として世話になった国への「感謝を忘れない」という自らの弔辞には似つかわしくない紋切り型の言葉を述べるアイヒマンを評して、裁判の報告の最後にアーレントはこう書いた。

    本書の副題にもなり、また有名にもなったこの「悪の陳腐さ」ー the Banality of Evil - は激しい論争を引き起こした。なぜなら、アイヒマンは陳腐な人間どころか誰もが文句なく死刑台送りにするような<怪物>でなくてはならなかったからだ。さらに、本書の中でアーレントがユダヤ人名士や一般ドイツ人に対しても最終解決に対する共犯性を強く指摘したため、これらいわば同胞からも強い批判を浴びることになった。

    ちなみに”Banality”という英単語はほぼ初めて見た単語だ。Cambridge Dictionaryを引いてみると、”the quality of being boring, ordinary, and not original"となっている。退屈なほどありふれた、という意味があるとすれば、Banalityはアイヒマンその人にだけ向けられるべきものではなく、それよりもいっそう<悪>がありふれたものであるということを示していると考えてよいだろう。狂っていなくても、悪意がなくとも、いわば簡単に<悪>はなされてしまうということだ。アイヒマンは、あなたであったかもしれないし、あなたがそうならないことを保証するものは何もないのだ。

    【裁判の背景】
    アイヒマンは、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関に捉えられ、イスラエルの法廷に引き立てられた。ナチス最後の大物と言われたアイヒマンの裁判には当初よりいくつかの前提が存在していた。ユダヤ人にとっては、多くの同胞の敵討ちであるとともに、ユダヤ民族に起こった理不尽な悲劇を世界に改めて知らしめる場であり、イスラエル建国の正当性をさらに確かにするためのものでもあった。だからこそ、アイヒマンはドイツではなくユダヤ人の法廷で裁かれるべきだった(これに対してはアーレントも賛同している。ただし異なる理由で)。一方、ドイツ人にとっては、自らの身を批判しつつ、かつての彼らの政府の犯罪的行為が、ナチスの特定の高官たちの暴走によるものであることが証明されることを望んでいた。アーレントは最後までドイツ政府が正当な権利である引き渡し要求を行使しなかったことを指摘しているが、それはドイツ政府ひいてはドイツ国民が望むところではなかった。仮にドイツにおいて裁判を行った場合、アイヒマンに対して他のナチス関与者の戦後の裁判でそうであったように無罪や極刑以外の判決が出る可能性があり、ドイツ政府にとってもドイツ人にとっても、それは大きなリスクでしかなかった。そういった状況からして、アイヒマン裁判は、結論がそのはじめから求められたショーでもあった。実際、アメリカではこの裁判がショーとして放送されていたのである。
    そういった背景があるがゆえに、アイヒマン裁判を傍聴して書かれた「悪の陳腐さ」という副題を持つこの本は、ユダヤ人とドイツ人の両方の側から撃たれることとなった。特に彼女自身がユダヤ人であることから、飼い犬に手を噛まれるような心情となったユダヤ人社会からの非難は特に厳しかったという。その指摘は、ユダヤ人にとっても、ドイツ人にとっても素直に受け入れることは難しかった。待ちわびたショーの幕を降ろすにあたって、それは相応しい言葉ではなかったのだのだ。

    アーレントは、最初からこの裁判のショー的要素に対しては嫌悪感を覚えている。検察側がショーのように自らの「正義」を振りかざすして振る舞うとき、彼女は次のように記す。「正義はこのようなことは全然許さない。正義は孤高を持することを要求する。正義は脚光を浴びるという快感を厳しく避けることを命ずる」
    アーレントにとって、この裁判は「正義」の問題でもあった。だからこそ、最後にこう付け加えるのである。
    「私のこの報告は、どの程度までエルサレムの法廷が正義の要求を満たすのに成功したのかということ以外には何も語っていないのである」

    【アイヒマンの良心】
    裁判の結論は彼女の下した結論と同じ(被告であるアイヒマンの絞首刑)であったが、その過程においてはその要求を完全に満たすものではなかった。また、アイヒマンは何度か精神鑑定も受けたが、彼はいたって正常な人間であり、狂信的な反ユダヤ主義者でもなかった。それでは、アイヒマンについては「正義」ならびに「良心」はどのように働くものであったのか。

    アイヒマンに良心はあったのかという問いに対して、アーレントは、列車の目的地をユダヤ人の命を救うように書き換えた例をもって、アイヒマンにもはじめは良心はあったとする。しかし彼の良心がその他の世界の社会通念に沿って機能したのはおよそ四週間ばかりであった。ヴァンゼ―会議において、ナチスの高官が最終的解決について判断をした後においては、アイヒマンはもはや良心に悩まされる必要はなく思う存分強制移動の専門家として活躍することとなった。アイヒマンは、自分よりも上位の立場の人が判断した場合、それについてほぼ何の疑義を呈することなく、彼の「良心」と呼ぶべきものは彼の心に留まるすべを持たなかったのだ。

    「どこの<上流社会>も彼と同じ反応を熱烈に真剣に示しているのを見ては、事実彼の良心はもはや悩む必要がなかった。判決で言われているように「良心の声に耳を塞ぐ」必要は彼にはなかった。彼に良心がなかったからではなく、彼の良心は<尊敬すべき声>で、彼の周囲の尊敬すべき上流社会の声で語っていたからである」

    次の言葉がアーレントの典型的なアイヒマン評であり、まさに裁判の鍵ともなる彼の性質であった。
    「彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が思考する能力 ― つまり誰か他の立場に立って考える能力 ― の不足と密接に結びついていることがますます明白になってくる。アイヒマンとはコミュニケーションが不可能だった。それは彼が嘘をつくからではない。言葉と他人の存在に対する、したがて現実そのものに対する最も確実な防壁、すなわち想像力の完全な欠如という防壁、で取り囲まれていたからである」

    もはや、アイヒマンは多くのものの期待に背く存在となった。多くのものがそれを否定したがったのだが、アーレントが言うように、「検事のあらゆる努力にかかわらず、この男が<怪物>でないことは誰の目にも明らかだった」。アイヒマンには強い悪意も強烈な意志も持ち合わせておらず、また期待された<怪物=特別さ>を持ち合わせていなかった。

    「悪の陳腐さ」と表現するとき、この前代未聞の「罪」において、アイヒマンならずとも多くの人がその立場に立つ場合に同じように行動したのではないかという思いこそが、受け止めなくてはならない教訓なのである。
    「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。われわれの法制度とわれわれの道徳的判断基準から見れば、この正常性はすべての残虐行為を一緒にしたよりもわれわれをはるかに慄然とさせる。(略) 事実上人類の敵であるこの新しい型の犯罪者は、自分が悪いことをしていると知る、もしくは感じることをほとんど不可能とするような状況のもとで、その罪を犯していることを意味しているからだ」

    アイヒマンならずとも「良心」はおそらくは容易に抑制される。とすると「良心」とは何であるのか。その問いとアイヒマンの存在は、ヒューマニズムを危うくする。それを認めることから始めなくてはならない。

    【ドイツ人の良心とその批判】
    アイヒマンのドイツ人に対する批判は苛烈で厳しい。アイヒマンならずとも「良心」が奪われて、その時代と多くの人間が、何もしないということも含めて、知りながらあえて何もせず害をなしていたのである。

    「数々の証拠からして、良心と言えるような良心は、一見したところドイツから消滅したと結論するほかはない。しかもそのため、国民が良心というものの存在をほとんど忘れ、外の世界が驚くべき<ドイツの新しい価値体系>に賛同しないでいることがわからなくなってしまったほどなのだ」
    そしてドイツの中において、「最終的解決に実際に反対する人にはひとりも ー まったくひとりも ー 会わなかった」ためにアイヒマンは良心に苦しむことなく、またそれについて考えることもなく任務の実行に勤しむことができたのである。

    次のように語るアーレントは容赦がない。ドイツ人ならば、そこまで言われるのであれば、何をか言わざるを得ないと思う人も出てくるだろう。
    「自己欺瞞の習慣はきわめて一般的なものになり、ほとんど生き延びるための前提条件にすらなってしまっていた。そのため、ナチ崩壊後十八年を経、そうした嘘の一々の内容が忘れさられた今もなお、嘘をつくことがドイツ人の国民性の一部であると信じないわけにはいかないことが間々あるほどなのである」

    一方でアーレントは、ドイツ人の謝罪、特に当事者でなかった若者の謝罪の所作についても強烈に皮肉な言葉を投げかける。日本においても「自虐」という文脈で出てくる謝罪と同じ反応であるのかもしれない。
    「われわれにヒステリックな罪悪感の爆発を見せてくれるドイツのあの若い男女たちは、過去の重荷、父親たちの罪のもとによろめいているのではない。むしろ彼らは現在の実際の問題の圧力から安っぽい感傷性(センチメンタル)へ逃れようとしているのである」
    彼らにとって、アイヒマンの死は、ある種の祝福ですらあるのだ。意識をした上でかどうかは別として、彼らの罪をいくぶんか軽くしてくれることに役立つのかもしれない。そうであってはならないのだが。

    多くのドイツ人が良心の呵責に耐えているのかもしれないが、それは贖罪にはならないし、そうすべきでもないのである。「彼らが勝ったとすれば、彼らのうちひとりでも良心の疚しさに悩んだだろうか?」とアーレントが問うとき、静かな強い怒りを感じることができる。

    【ユダヤ人社会自身の共犯性】
    ドイツ人と並んで批判の対象となったのはユダヤ人評議会である。裁判がイスラエルで行われたことから、ドイツ人に関して不利な証言が多く並べられたかもしれないことには不思議はない。一方で、アイヒマンの行動を証明するために必要であったとはいえ、ユダヤ人評議会の行動を公に持ち出すことになり、アーレントに厳しく批判されるようになったのは、特に彼らにとっては誤算であったとも言えるし、いまだ有力者の中で生存者が多くいる状況において、あってはならないことであったのかもしれない。

    ユダヤ人評議会はアイヒマンの要請に応じて、その結果起きることを明らかに知りつつ、列車の移送容量に沿ったユダヤ人のリストを作成して渡したのである。また、帝国内の各所において、ユダヤ人は従順にその命令に従ったのである。さらに言うと、ユダヤ人は従順以上、つまり、協力的であったというのだ。「死にいたるまでの全道程でポーランド・ユダヤ人が見かけたのは、ほんのわずかのドイツ人でしかなかったのだ」

    「自分の民族の滅亡に手を貸したユダヤ人指導者たちのこの役割は、ユダヤ人にとっては疑いもなくこの暗澹たる物語全体の中でも最も暗澹とした一章である」という指摘は、当事者にとってはそこにいなかったお前が言うなと言いたくなるものであるにせよ、ある種の真実を示しているからこそ激烈な拒絶反応を引き起こした。

    「ユダヤ人役員は名簿と財産目録を作成し、移送と絶滅の費用を移送させる者から徴収し、空屋となった住居を見張り、ユダヤ人を捉えて列車に乗せるのを手伝う警察力を提供するという仕事を任されており、そうして一番最後に、最終的な没収のためにユダヤ人共同体の財産をきちんと引き渡したのだ」。なぜか。彼らは、そのリストから彼らの選定した者を外すことにより、「「百人を犠牲にして千人を救い、千人を犠牲にして一万人を救った」救い主たちのように彼らは感じた」からだ。

    また、すでにそのころには明らかになっていた強制収容所でのユダヤ人協力者 ― カポや特別班 ― 存在についても指摘する。「絶滅収容所で犠牲者の殺害に直接手を下したのは普通ユダヤ人特別班であったという周知の事実は、検察証人によっていさぎよくはっきりと確認された」

    「ユダヤ人であれ非ユダヤ人であれ<特例>を是認する者が自分の行っている無意識の共犯に気づかなかったとしても、実際に殺害に関係している連中の目には、すべての非特例に死を宣告するこの原則を相手が暗黙に承認していることはまことに明白だったはずである」ー アイヒマンの目にとっても。アイヒマンの良心にとっても。

    【アイヒマンの引き受けるべき罪】
    法律に照らして、アイヒマンは有罪とできるのか、アーレントは次のように述べる。
    「彼のすることはすべて、彼自身の判断するかぎりでは、法を守る市民として行っていることだった。彼自身警察でも法廷でもくり返し言っているように、彼は自分の義務を行った。命令に従っただけではなく、法律にも従ったのだ」

    さらに、アイヒマンが直接に殺人の罪に問えるのかについても問題となる。
    「労働のための選別は現地のSS軍医によって行われるし、非移送者の名簿はそれぞれの国のユダヤ人評議会もしくは通常警察によって作られ、決してアイヒマンもしくは彼の部下の手によらない以上、誰が死に誰が死なないかを決定する権限はアイヒマンになかったというのが真相だった」

    アイヒマン自身も「起訴状の述べている意味においては無罪」と陳述している。それでは、彼はどういう意味においては有罪であると考えていたのか。問われなかったこの問いの答えについて、弁護士は神の前で有罪と考えているのではとコメントした。それは本人に対して決して確認されたことではないが、正しいものでもなかったのではないか。アイヒマンは、当時の法においては違法な点はまったくないのであり、問われているのは国家としての行為であり、個人として罪に問われるものではないと言いたいのではないか。むしろ、心の中で反対をしながら良心に反してさせられていたのだと主張することを潔しとしなかった。「彼は、実はしろと命じられたことを甚だ熱心に果たしていたのに、今では「自分はいつも反対だった」と主張している人々の仲間に入りたくないのである」

    しかしながら、アイヒマンが上位者に従うのみであり、そこに彼の意志や悪意がなかったのだとして、彼がそれにも関わらず死刑になるべきだと考える理由をアーレントは次のようにたたきつけるように吐き出す。それは、本書のひとつのハイライトでもある。

    「ユダヤ民族および他のいくつかの国の民族たちとともにこの地球上に生きることを望まない ―― あたかも君と君の上司が、この世界に誰が住み誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのように ―― 政策を君が支持し実行したからこそ、何ぴとからも、すなわち人類に属する何ものからも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待し得ないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である」

    アーレントは、アイヒマンに法的な罪があるから死刑になるべきだと言っていない。起きた出来事に対してアイヒマンに責任があるとも言っていない。それが前代未聞の罪であり、「人類に対する罪」であることをこのように表現したのだ。

    われわれはさらに続けなければならない。果たしてそのように断定することはいかにして可能なのか、と。

    【人道に対する罪】
    アーレントが、アイヒマンの負うべき罪と措定した<人類に対する罪>は、彼女の主張を正しく理解する必要がある概念だ。先に見たように、アイヒマンの行動を<人類に対する罪>であると措定したかったし、またそれのみが彼を極刑にする理由であるとするものなのだ。
    「前者(追放)は隣国の国民に対する犯罪であるのに対して、後者(ジェノサイド)は人類の要請、すなわちそれなしには<人類>もしくは<人間性>という言葉そのものが意味を失うような<人間の地位>の特徴に対する攻撃なのだ」

    「一度行われ、そして人類の歴史に記された行為はすべて、その事実が過去のことになってしまってからも長く可能性として人類のもとにとどまる。これが人間の行うことの性格なのである。かつていかなる罰も人間が罪を犯すのを妨げるに足る阻止力をもたなかった。反対に、どのような罰が行われたにせよ、これまでになかったある罪が一度行われてしまえば、それがふたたび行われる可能性は最初に行われる場合よりも大きいのだ」

    これは恐るべき予言になったのだろうか。ジェノサイドは、その後の世界において行われただろうか。ナチスによるユダヤ人の最終解決にその規模や意図の観点で比肩できるものではなかったのだとしても、われわれは、旧ソ連の強制収容所、カンボジアのポル・ポト政権による大虐殺、ボスニア=ヘルツェゴビアにおける民族紛争、ルワンダにおけるフツ族によるツチ族の虐殺、などが起きたことを知っている。学ぶべき教訓を、われわれは十分に学んでいるのだろうか。今の時代においても、この本が読まれるべき理由があるとすれば、この教訓を学ぶことではないだろうか。

    新版の解説者である山田正行の次の言葉が、頭に浮かんだことをうまく表現している。
    「複数性を否定する行為は死刑が相当だとなぜいえるのか反問せよという「思考」をうながすアーレントの声が聞こえてくるのではあるまいか。思考するための条件が知らず知らずのうちに失われていく気配の漂うこんにち、アーレントをふまえて時にアーレントに反してもアーレントの先を思考するという読み方がもっとあってよいように思われる」
    この山田氏の解説は、本人が「旧版「解説」はあらためて読み返してみてもおよそ修正の余地のない実に要を得たものだが、ささやかな補足をほどこすことで読者の便宜に資するとすれば幸いである」と謙遜するが、この新版の解説こそ実に要を得たものであって、この新版を手に取る価値のあるものにしているとも言えるものである。

    すでにして価値ある書として名声を得たものであり、あえて言う必要のないことではあるけれども、あれから七十有余年が過ぎ、関与者も生存者もすでに世を去った人がほとんどとなった今でこそ読まれるべき本のひとつ。

  • ブラジルでイェルサレム当局により強制逮捕されたアイヒマンの裁判をアレントが雑誌(ニューヨーカー)で連載した記事です。

    アレントはアイヒマンを見て「根源的な悪という概念が打ち砕かれ、なおも残ったものは「凡庸な悪 banality of evil」」であると述べています。根源的な悪というのはアレントが「全体主義の起源」で想定していた絶対的な悪のことですね。

    そして「凡庸な悪」というのは今後アレントの中で念頭に置かれることになります。

    「凡庸な悪」というのは、端的に言うと、「知識や教養も備えているのだが、当の人間が判断能力を停止しているため何も考えずに行動に従事する」となります。アイヒマン自身は、カントの格律をもすらすら言えて行動出来ていたものの、繰り返し官僚言語で応答を繰り返すというえらく「凡庸な」態度を露呈しました。

    アレントはその一連の過程を見て、このような分析結果を残しました。

    ------
    アイヒマン裁判を生で見たい方は映画「スペシャリスト」を御覧になるといいでしょう。この作品はアイヒマン裁判のみならず、その構成はアレントのこの書籍を元にされています。

  • アイヒマンのエルサレムでの裁判でのアイヒマンの説明及びアイヒマンのユダヤ人の移送の役割について説明されている。悪の陳腐さということは最後に出てくるし、裁判の判決理由はあとがきのみで説明されている。
     日本では、アイヒマンがユダヤ人差別をしてアウシュビッツにユダヤ人を送って大量殺りくをした、という単純な形で語られている。しかし、東ヨーロッパの国々が様々にユダヤ人の財産を奪い強制収用をおこなったり、財産と引き換えに自国からユダヤ人を排除した、ということは、この本以外にはあまり説明されてこなかった。
     雑誌に掲載されたということで、ハンナ・アーレントの文章の中ではもっとも読みやすいものと考えられる。

  • 現代人はみんな一度、読んだほうが良いと思う。
    責任が己に帰結しない(と脳が判断できるような)状態に陥った時、人間は、何処まで自分の良心的判断に従うことが出来るのか。大きな流れに逆らって、良心的判断に行動指針を委ねるのは本当に難しいことが分かる。薬物中毒等と同じで、一度でも手を染めたら最後、後は決壊したダムのように『どんな行為にでも』手を染めてしまうかも知れない。
    人間は思っているよりも惰弱で、決して過信してはいけないということを思い知らされると共に、もし自分が同じ立場にいたらどうするのだろうかと考えさせられる。

  • イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告
    (和書)2012年09月14日 13:47
    1994 みすず書房 ハンナ アーレント, Hannah Arendt, 大久保 和郎


    今回再読してみました。アーレントさんの作品は図書館で借りられるものは、すべて読みました。初めの頃、アーレントさんについて思考できない状態でいました。だから読み直して吟味し直したいと前々から考えていて、今回思い立ちました。

    この本は、アイヒマンに関するものでアーレントの他の著作を読んでいないと彼女の立ち位置に混乱を来すかも知れない。

    この本を読んで思考自体がどのように可能になるか!他者の立場に立つという想像力とは何か!を考えさせられました。これはアーレントさんが他の著作でも指摘しているものでこの本も同様に読むことができます。

    読み直して、気にかかっていたことが一つ理解できたように感じます。

  • 正直本編の訳文は読みづらかった(´;ω;`)

    だが、限られた休憩時間で可能な限り調べたり、あるいはわからないまま保留して読み進めるなどして兎にも角にもたどり着いた「エピローグ」、「あとがき」、そして「訳者解説」で僕は震えた

  • タイトルとは違って、単なる裁判の傍聴記ではない。
    そも「イェルサレム裁判が裁判として成立するのか」から問うている。
    1:勝利者の裁判であり公正さに欠ける、2:人道に対する罪の明確な定義がない、3:この罪を犯す犯罪者に対する認識が不十分なこと、この3点をもって法廷として失敗していると断じている。特に動機がないままに行われた犯罪をどう裁くのかは、法治国家にとって最大のハードルだろう。ユダヤ人迫害は国家行為だったのだから。
    それ故にアイヒマンをに対しての訴追理由を「政治においては服従と支持は同じものであり、ユダヤ人迫害を行う政治を支持し実行したからこそ何人も、ともに生きていくことはできない。これが絞首の唯一の理由である」とすべきだったとのアーレントには迫力がある。多様性を否定する事は赦されるべきではないのだから。

  • なんだか気になる政治哲学者(?)ハンナ・アーレント。

    今、その哲学的な主著(!)の「活動的生」(「人間の条件」のドイツ語版からの翻訳)にチャレンジ中なのだが、半分くらいまで読んだところで、話しが分からなくなってきて、小休止。

    で、かわりに昔から気になっていた「イェルサレムのアイヒマン」をとりあえず、読み始め、こちらは無事読了。

    アーレント独特の皮肉なというか、反語的な表現はあるものの、基本的には「ニューヨーカー」という雑誌にのったルポ記事なので、アーレントのなかでは読みやすいほうかな?(文章が2段組みになっていて、活字が小さくて読みにくいというのはあるが)

    内容としては、ナチスの戦犯のアイヒマンの裁判傍聴記録みたいなもので、どんな極悪人かと思っていたら、ごく普通の人だった。人間って、命令されると普通の人でも、こんな残酷なことをするのか〜という驚き、そしてそうした「悪の陳腐さ」をどう法的に倫理的に考えるべきなのかという本。

    アーレントの入門書を読んだり、映画の「ハンナ・アーレント」を観たりして、なんとなく知っている気になっていたが、読んでみると、かなり印象が変ったし、知らないことがたくさんあって驚いた。

    つらつら書くとかなりの分量になるので、個人的にまったく知らなかったことだけ紹介する。

    アイヒマンは、ナチスに入党し、ユダヤ人問題の担当になるのだが、最初にシオニズムの本を読んで感動したらしい!!!で、ユダヤ人が自分たちの国を作るということはよいことだと思い、ユダヤ人の国外移住に協力するというところから、仕事を始めたらしい!!!

    これは偽善でも、言い訳でもなく、ナチスの最初のスタンスはまさにそういう感じで、ユダヤ人の国外移住が進むのは、お互いにとっていいことだという理解となっていて、シオニズム側も他の国よりもドイツに共感的であった、らしい!!!

    そういうスタートなので、アイヒマンは、最初、良いことをしているという感じで、ユダヤ人問題にかかわり始めていて、ユダヤ人のリーダー層とも個人的な信頼関係があったらしい。

    が、ナチスの反ユダヤ政策が強まって行くなかで、だんだん自分の理想とは違うことに気付いたが、それが国の方針だから、国の法律だから、というわけで、仕事としてやるべきことをやった。。。。みたいな話し。

    理想からスタートしつつ、当時の法律に従っているうちに、組織内での出世に頑張っているうちに、前例のない悪に加担してしまった普通の人。

    アイヒマンは戦後アルゼンチンで逃亡生活を送っていたが、1960年にイスラエルのモサドが逮捕して、イスラエルに連行する。そして、イスラエルで裁判が行われ、アイヒマンは2年後に死刑となる。

    このプロセス自体が、国際法的にどうなのか?イスラエルに裁く権利はあるのか?法的に、倫理的に正義といえるのか?みたいな話し。

    さらには、ヨーロッパでユダヤ人の虐殺には、ユダヤ人のコミュニティのリーダーも関与していたという記述もあり、そりゃあ、そんなことを言ったら、大騒ぎになるでしょうな話しです。

    しかも、アーレントもドイツ系のユダヤ人で、一時、収容されたこともあり、なんだかラッキーで旅券なしで、アメリカに亡命した人。

    自分は、亡命しておいて、残った人のことについて、なんか言う権利あるわけ?なバッシングをうける。

    そういう状況のなかで、この議論の冷静さはすごい。

    読まずに分かった気になってはいけない。

    アーレントが生涯をかけて戦っていたこと、つまり全体主義を繰り返さないということ(それは、ナチスに限定されるものでなく、人間の思考のなかに存在するもの)が、具体的なケースとして、ここに明らかになっている気がした。

    内容的には重くて気がめいるし、値段も高いし、字も小さいけど、必読の書です。

  • 「悪の陳腐さについての報告」と副題が付いているが、著者自身がユダヤ人であるにもかかわらず、些かの感傷的態度もなく、アイヒマン裁判の一部始終を極めて冷徹に「報告」した著作である。
    それにしても、ショアーという前代未聞の組織的犯罪が、どうして出来したのかという些細な素朴な疑問がいつまでも頭から離れない。その背景には、特にヨーロッパにおいて長きにわたる反ユダヤ人主義があったということは想像に難くない。
    それにしても、なぜ?という疑問は消えない。どうして、人間が人間をかくも組織的に抹殺していくことができたのかという疑問が残るのである。
    著者は、その組織的犯罪の素因として、「無思想性」を挙げている。わかりやすいプロパガンダに流されず、自らの思想を鍛え上げることが必要だ。
    ナチスドイツによるショアーの悲劇は、これからも形を変えて出現してくる可能性がある。そんな徴候を見逃さない人間でありたい。

著者プロフィール

1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。著書に『アウグスティヌスの愛の概念』(1929、みすず書房2002)『全体主義の起原』全3巻(1951、みすず書房1972、1974、2017)『人間の条件』(1958、筑摩書房1994、ドイツ語版『活動的生』1960、みすず書房2015)『エルサレムのアイヒマン』(1963、みすず書房1969、2017)『革命について』(1963、筑摩書房1995、ドイツ語版『革命論』1965、みすず書房2022)など。

「2022年 『革命論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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